ktc-johnny.com(トップページ) > パ好きタンの歩き方 > マルダーン(Mardan)2004年秋の訪問記
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※2009年09月27日:加筆・写真と動画追加&画質向上させました。
日ごろからお世話になっているJICA現地スタッフの方で、ラヒム(Mr.Rahim)さんという方がいます。
JICAパキスタン事務所開設以来から仕事をされていて、普段は事務所の諸事務をされたり、週に2度ドミトリー(隊員連絡所)へ手紙を届けたり営繕関係の仕事をなさっていらっしゃいます。
昨年(2003年)7月にパキスタンに来てから最初によくお話をするようになったパキスタンのお友だちでもあります。
イスラマバードで出会った人々(下段「ドミトリーの前にて」でラヒムさんをご紹介)
http://www.ktc-johnny.com/peopleinibd.html
休みになったら、彼の故郷のマルダーン(Mardan=ペシャーワル北方にある街)へ遊びに行くと約束していてずっとのびのびになっていたのですが、今年のイードの期間にまとまった休みが取れることになり、彼の家にお邪魔できることになりました。
マルダーンの位置・・・パキスタン全土の略地図を参照ください。
2004年11月16日(火曜日):快晴 20℃
マルダーン(Mardan)へ出発
午前6時半、ラヒムさんの親戚の方が私の家に迎えに来てくれました。
マルダーンの郊外で分かりづらい場所にあるということで、一緒に同行してくれることになったのです。(ラヒムさんは前の金曜日から帰っていました。)
自宅からタクシーで約20分ほどでピールワダイに到着しました。
イード期間中でしたが、朝から多くのバスが行きかいなかなかにぎやかな光景でした。
ピールワダイのバススタンド付近
【参考】ピールワダイのワゴンバス・ステーションの様子。
行き先を連呼してお客さんを集めています。よ~く聞くと「チャックワール(Chakwal)・チャックワール・チャックワール」と言ってます。
ここで、マルダーン行きのワゴンバスに乗り込みました。通常は55ルピー(110円)~60ルピー(120円)の運賃だそうですが、イード中とあって70ルピー(140円)とちょっとお高くなっていました。
そのかわり、日ごろは女性が座る助手席に私たちが座れることとなり、行きの道中は眼前の眺めを楽しむことができました。
パキスタンではイードになるとみんな一斉に休みをとり故郷や自宅でゆっくりと過ごしたり親戚の家を訪れます。ですから、それ以外の用事であちらこちらに出かけることがない分、幹線道路はびっくりするくらい空いていました。
マルダーンまでお世話になったドライバーさん。しっかりカメラ目線なのは、パキスタン人共通。
ペシャーワルへの幹線道路はごらんの空き具合。普段じゃこんなの考えられない。高速道路状態。
この橋を渡ると、パンジャーブ州→北西辺境州へ。
ワゴンバスはまったく車の走っていない幹線道路を120キロ以上のスピードで走り続けました。(これくらいスピードが出続けていると助手席も結構おっかないもんです。シートベルトは外されて無かったりするし(笑))
普段は3時間弱かかるそうですが、この日はなんと2時間ちょうどでマルダーンの市街地に到着しました。
マルダーン(Mardan)の街に到着。帰省した人たちや買物に出かけた人で賑わっていました。
マルダーンの市街地ではあちらこちらにバザール(市場)がたち多くの人が行きかっていました。
チャーワル(ごはん)などを売っている露店。やはりキマッテマス、カメラ目線(笑)。
興味を引いたのが、朝食でチャーワル(ごはん)を売っている店が多いこと。牛肉や山羊肉入りのご飯はとっても美味しそうでした。
野菜と鶏を一緒に炒める料理。パキスタンではよく見かけました。美味しそう・・・・。
ここで朝食を食べたい気持ちをおさえて、ここからタクシーで30分ほど離れたラヒムさんの村に向かいました。
車で10分も走るとそれなり建物が並ぶ市街地をぬけ、のどかな風景が目に入ってくるようになりました。
そして、いよいよラヒムさんの故郷の村に到着。
ラヒムさん家の裏手の風景。とってものどかな風景がひろがっていました。
畑にはとうもろこし・さとうきび・小麦などが植えられ、イスラマバードで見る緑とは違う自然風景がひろがっていました。ここには十数年前から人々が入植し始め、今では数百人単位の集落に成長したとのことでした。彼の家はその村の中心街から程近いところにあり、家族(ラヒムさんは単身でイスラマバードに住んでいる)は親戚たちと一緒に暮らしているとのことでした。
ラヒムさん宅。夫婦の部屋や子ども部屋、炊事場などが作られています。
一生懸命働いて&家族親戚で協力して建てたようです。
ここでまずお客さん用の部屋に通され、彼の父親はじめ兄弟親戚一同を紹介していただきました。
その数はざっと20~30人近くになったでしょうか。
この地域の言語はパシュトゥー語(Pashto)ですが、ウルドゥ語(Urdu)とは使う単語はほとんどちがうため彼らの間同士での会話はよく分かりませんでした。(公用語のウルドゥ語で会話ができるが、イントネーションなどやや通じにくいところもある)
お茶や食事でもてなされたあと、ラヒムさんに案内されてこの村のあちこちを訪ねることになりました。
1(到着まで) | 2(市場・採石場) | 3(遺跡) | 4(さとうきび・水車) | 5(2日目) | Photo(写真)
初版 2004年11月25日 最終更新日 2009年09月27日