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セニョールさんの快諾をいただきましたので、ここに紹介させていただきます。
なお、他のページへの無断引用などはご遠慮下さいね。
クラカビ谷通信<第24号/2004/03/29配信>
東京辺りでは、もう桜のシーズンが来たと聞きました。言われてみるともう3月末、日本は春なんですよね。
南半球のチリは、秋の日のツルベ落とし状態で日に日に日照時間が短くなってきました。
冷え込んできたせいか、体調を崩す人も多くなってきてますがクラカビ谷住人、よほど悪くならない限り病院へは行きません。
そのかわり、ジェルバを飲みます。ジェルバとはハーブ、要は薬草。またマリファナを意味することもあります。
その辺に生えている葉っぱを採ってきて湯を注いで飲む。この葉っぱは熱、あの葉っぱは下痢など、みんなよく知っています。
しかしその葉っぱたち、薬草だけあってどれもくさい。
我がオフィスでも、毎日誰かがジェルバを飲んでいて臭いが充満、耐えられなくなってきました。
ジェルバのせいで私の体 調は悪くなりそうです。
さて、第24号は、久しぶりに仕事の話(ちょっと古め)を、ここチリはクラカビ谷よりお届けします。
夏休み明けの週末、2004年2月27日(金)~29日(日)に、クラカビ谷の北西の山・カレンへ、トレッキングルートの視 察へ行った。
視察と言ってもトレッキングはトレッキング、要は遊びが仕事。観光業隊員の特権。
夏休みから帰ってきた2004年2月23日(月)、1月にヒッチハイクで一緒にビーチへ行ったクリスチャン(無職)が我がオフ ィスに来て、
『オレ、トレッキングのガイドやりたいんだよね。1度オレが開発したルートを見に行かないか?』
と誘ってきた。
カレンは行ったことがなかったし、地図で見ても道が無く、1人で行けるところではなかったので快諾した。
そして、金曜日の出発は朝早いから、木曜日の晩はルートに近いクリスチャンの家に泊まった。
同行者はもう1人、クリスチャンの親友にして、性格が正反対のマルセロも行く。
クリスチャン…猪突猛進型。何かやると決めたら、余り後先を考えず進んでいく。 細かいことにはこだわらず今を生きている、行動の人。旅が趣味。
マルセロ…堅実にしてナイーブ。何かやると決まっても、より良いことはないのか考えてしまう。
未来のための選択肢を考えることができる、思考の人。読書と音楽が趣味。
2人の共通点は2点。無職なことと、ヒゲが濃いこと。それぞれ私と2人になるとそれぞれの批判をするが、いつも一緒に居るところを見ると結局仲がいい。いいコンビ。
そうそう、もう1つ共通点があった。私の大事な親友たち。
今回のトレッキングは結構ハードだったため、2人の性格の違いが諸に出て、ある意味興味深かった。
さて金曜日は朝5時に出発する予定だったが、クリスチャンが起きなかったため、1時間遅れの6時に出発。
未だ日の出前で、街灯の無い砂利道は暗く歩きづらい。
隊員必携の懐中電灯を持参していたから、照らして歩いて
いるとクリスチャンが『ヒデ、消してくれよ。目が慣れないよ』
と言った。彼は月光りで夜目に慣れようとしていた。さすがガイドをやりたいだけのことはある。しかしシティーボーイの私に は不可能。
ちなみにチリ(クラカビ谷だけかも…)では“シティーボーイ”を、都会育ちのひ弱なお坊ちゃんと揶揄して“マクドナル”と言 う。
そう、国際的ハンバーガーチェーンのそれを都会の象徴と見ているのだ。
7時過ぎ、ようやく遠くの山際に太陽が姿を現し、マクドナルな私も快調に歩き始めた。
しかしその山際を見ながら1つ気になることが発生した。このトレッキングはどこを目指しているんだ?
北西の山カレンと書いたが、山々が連なる幾つもの山脈一帯をカレンと総称し、富士山みたいに目標地点がはっきりしているものを指している訳ではない。
即クリスチャンに質問。
『どこって…まずあの山に登るだろ。そのあと尾根に沿って歩
いて西側の山に移って…』
『そういうことじゃなくて、どこが目的地なの?』
『どこって、カレンだよ。決まってるじゃないか』
彼も漠然としている感じ。
名ガイドかと思いきや迷ガイドの疑惑が生まれる。その確信は、数時間後に分かることとなる。 私が持参した地図が重宝することになって…。
1つの山に登って、次の方向をそれから探すという行き当たりばったりルートは、それでも山の奥へ奥へと誘なってくれた。
午前10時頃、小川の岸に出て朝食。焚き火をし、小川で汲んだ水を沸かして、パンにトマトをはさんで食べる。
小1時 間後、出発。
水。クリスチャン曰く今回のトレッキングは川が常に近くにあるし重いから持って行かない。
さすがに信じ切れなかったマルセロは700mlの水筒、私は500mlのペットボトルを持ってきた。しかし、これが正解になる とは。
その後午後4時まで水場は無く、夏の暑い日中、険しい急斜面の上り下りでさらに水分補給が必要な体に鞭打って 進むような状況になってしまった。
午後4時の水場は、幅20cm高さ1mくらいの小さな滝。待ちきれない私たちは沸かさずダイレクトに飲んだ、ウマイ!
喉が渇いていなくてもこの岩清水は美味いだろう。この水系ではないが、クラカビ谷のあるホテルは湧き水を使ってソーダ水を生産している。これは谷の大いなる財産だ、大事にしなくては。
5時間の行軍で水の重要さを知った私たちは、水場に捨てられていた2lペットボトル2本を拾って、2時間後出発した。
午後6時。
午後8時、日が傾きかけてくる。水場以外は基本的に乾燥していて、森にはトゲトゲの木ばっかり。 さらに傾斜がきつく(というか崖)、キャンプできるようなところは無い。
我らの名ガイドは『人の前に道は無い。人が道を作るのだ』と意味不明な格言を吐きつつ、森をかき分け進んでいく。
しかし完全に日が沈み、未だ足場が悪く、前にも後ろにも進めない状況になってしまった。辛うじて見つけた2m四方くら いの岩の上で休むことになった。
しかしパーソナルな問題発生。暗くなり始めた頃からマルセロがクリスチャンの行く方向に難癖を付け始め、こっちの方が歩き易いだとか、あっちの方が正しいとか言い出し始めた。休むことになった岩にも難癖を付け、結局彼は1人で50mくらい崖を下って、若干緩やかな傾斜で寝た。どちらでも同じようなものなのだが…。
テントは張れないので寝袋だけで寝る、寝返りを打ったら崖から転げ落ちる恐怖を感じつつ。 迷ガイドに難癖男、明日はどうなるのだろう?
恐怖と寒さであまり眠れないまま土曜日の朝を迎えた、
今日も快晴。未だグズるマルセロを何とか岩の上に朝食で誘き寄せ、焚き火を囲みパンとジャム。残りの水は1l。
出発は午前9時。
今日のルートは、この断崖絶壁を越えたところに恐らくある放牧用の道ででて、その道の終着点にあるクラカビ最高峰のネグロ山標高2014mに登り、そのあと行ける所までカレンを目指すと言うもの。このまま行き当たりばったりでは死亡してしまうかも、と不安になった私が地図を前に、しつこくクリスチャンに詰め寄った結果出た答え。
行ける所までと言うのが 気になるが昨日よりはマシ。
放牧用の道に出たのは約2時間後。上り坂はきついが、ちゃんとした道は歩き易い。しかし歩いていると、1つの不安が皆の頭を過ぎってきた。そう、水。山に登って行けば行くほど水場の機会を失う。しかし残りの水は約600ml。
約2時間歩いた辺りで、崖の下に、小川がありそうな木が茂った筋が見える。しかしそこまでは約800mで、しかも厳しい崖。行って帰ってくるのに約1時間かかる。しかしここは山頂まで残り約2時間というところ。
ここで2つの選択肢。
①水確保を優先する。体力の消耗から考えると、ネグロ山頂に泊まる事になる。
②この水場はパスして山頂を目指し、昼食を摂ったあと、速攻水場を探しカレン方向へ向かう。
クリスチャンは①を、マルセロと私は②を推した。
話し合った結果②の策で行くことになった。
理由は、
A.小川がありそうだが本当にあるかは疑問。無かった場合深刻な水不足に陥る。
B.今日ネグロ山泊だと、明日の行軍距離が多過ぎ、かなり疲れてきている体には無理がある。
節水しながらネグロ山頂を目指す。午後1時到着。それまで脱水症状気味で皆機嫌が悪かったが、頂上に着き一気 に好転。
本来カレンを目指していたにもかかわらず目標達成したような感覚になり、その美しい眺めを満喫した。空にはコンドルが舞い、南米最高峰のアコンカグアが、遠く雪を頂いたその美しい姿を現した。
登頂を記念して、豪華にイワシの缶詰 を開ける。
(注:後日、インターネットでアコンカグアの写真を検索すると、どうも形が違う。アコンカグアじゃない山かもしれません)
軽く山頂を散策したり、昼寝したりしていたら、あっという間に午後5時、居過ぎた。
水確保のため山を下る。
しかしすぐに問題発生。クリスチャンが膝を痛める、行軍スピードが落ちる。
午後8時過ぎ、昨晩と同じように未だ水場を発見できないままに森の中で日が暮れる。この辺は既に目標のカレン。
これまた昨晩と同じようにルート選択で2人がもめる。 最終的にどちらが正しいかは分からないが、昨晩よりも水が無い状況では、この争いは命取りとなる。
山歩きに1番詳しいクリスチャンの意見を私が信じるということで、マルセロも渋々納得、暗い森を歩き出す。
午後10時、ぬかるみを発見。しかし水の湧き出しは、高さ3mくらいの崖から張り出した木の根を伝って滴り落ちてくる
毎秒1滴ほどの水滴。30分くらい周りを探したが他の水場は発見できなかった。缶にその水滴を集め、分け合って飲 む、ウマイ。
100ml集めるために15分かかる。暗闇の中これ以上進むことは困難と判断し、完全に喉を癒せないまま、またテントを 張れないまま寝ることとなる。
午前8時起床。朝食を摂らずに、ぬかるみの下にある枯れ川に沿って山を下る。約30分で水場を簡単に発見。やはり 夜の行軍は無理がある。
焚き火を起こし、米を炊く。アジア人ということで米炊きは私が担当させられた。 飯盒みたいな鍋で見よう見まねで炊いたが、思いの他出来が良く、炊いた本人がビックリ。
午後10時出発。放牧場と思われる、低い潅木に無数に張り巡らされた獣道を下る。2時間後、1軒の民家を発見、 久しぶりの人間の生活の香り。
その民家には、老夫婦が住んでいて、牛の飼育や養蜂を営んでいた。田舎の人は親切だ。
庭になっているブドウやモモをご馳走になりながら四方山話をした。
そこで初めて聞いた話。
この山にはピューマが住んでいて、焚き火もしないで山の中で寝るのは非常に危険だということ。マルセロ君、襲われな くて良かったね。
小1時間後、車も通れる砂利道を帰路に向かって歩いていく。
途中の農家で水をもらい休憩しながら4時間。
カレンを抜け、車の往来があるレペにたどり着いた。車の往来があると行っても、30分に1,2台と言う感じ。
これ以上は歩けないのでヒッチハイクをすることに。道の脇に生っているイチジクを食べながら、根気良く車を待つ。
待っている間クリスチャンに当然の質問。
『ルート開発したって言ってたけど、これって知らないも同然じゃん。水場の位置も定かじゃないし』
『何言ってるんだよ、このサバイバルな感じがいいんだよ』。
…この名ガイドにガイドを頼みたい方、是非ご一報ください。
約2時間後、1台のトラックが私たちを拾って街まで運んでくれた。
ということで、第24号はこれで終わり。次号をお楽しみに!
初版&最終更新日 2004年04月10日