KATOHさん(パキスタン協力隊:先輩隊員)

初稿:2005年3月19日 更新:2018年5月25日(加筆修正)

2018年5月25日追記
JICAボランティア(青年海外協力隊・シニア海外ボランティア)パキスタン派遣は2009年8月に全員引揚(事実上の無期派遣中断)になっています。
JICAボランティア | 事業実績・派遣実績(各国状況の一覧表)
https://www.jica.go.jp/volunteer/outline/publication/results/contracts.html
以下の文章は、私が活動中だった2005年3月に書いたものです。

私の活動先(国立障害者職業訓練センター)には、1995年の派遣開始以来、私を含めて6人の協力隊員が活動しました。

2005年3月現在、同センターには
【協力隊】
KATOHさん(H14年3次隊~2005年4月まで:木工)
ktcjohnny@わたし(H15年1次隊~2005年7月まで:養護)
SHIHOさん(H15年2次隊~2005年12月まで:コンピュータ技術)
の3人と、
【韓国ボランティア:韓国海外奉仕団】
KOHNさん(機械操作クラス)
の、あわせて4名のボランティアが活動中です。

そのなかの、KATOHさんが3月24日でここのセンターの活動を終えられ、翌4月に任期を終えられて日本に帰られることとなりました。

<2005年3月19日土曜日記入>

今日は職場でKATOHさんの送別会がありました。

食事の準備をするみなさん。

食事の準備をするみなさん。(2005年3月)

今回は職場の方が、家で料理をこしらえててくださいました。
1人50ルピー(約90円)の会費を集めて、Saba(サバ)さんたちが作ってきてくださったのが30人前(!)の料理。ごはん+カレー+サラダのメニューです。

今日の料理です。

今日の料理です。(2005年3月)

↑Sabaさんは料理を作るのが上手。
1つの皿に盛りつけられたこれらの料理もとても美味しいものでした。

送別会の会場

送別会の会場(2005年3月)

↑送別会は私のクラスで行われました。
今日までテスト期間で子どもたちは12時で下校。
その後30人ほどの先生や職員の方が集まり、会食となりました。

はじめに、校長先生がKATOHさんに「よくがんばっていただきました」とねぎらいの言葉をかけました。
またスタッフに対して「日本のボランティアが、一生懸命がんばっているのだから、あなたたちも真摯に仕事に取り組みなさい」とはっぱもかけて(笑)いらっしゃいましたねぇ。

その後にKATOHさんからスピーチがありました。
「高い値のつくものづくりよりも、心のこもったいい品をつくることができるよう努力してきたし、これからもそうあって欲しいと願っています」
そのようなお話でした。

スピーチするKATOHさん

スピーチするKATOHさん(2005年3月)

その後は歌を歌う人がいたりするなどとてもなごやかな様子で会は進みました。
とても素敵な会の準備をしてくださったみなさん、ありがとうございました。

<2005年3月14日記入>

KATOHさんの活動しているクラス

KATOHさんの活動しているクラス(2005年3月)

KATOHさんは木工クラスを立ち上げるために赴任されました。
はじめは生徒がいない状態でしたが、現在は10名の生徒が在籍していて毎日にぎやかに活動しています。

生徒たちの作品

生徒たちの作品(2005年3月)

電動のこや旋盤といった工作機械は一切なく、糸のこや彫刻刀、やすりなどを使って作品を仕上げるよう子どもたちに指導なさっていました。
Kとうさんらしいところは、身近にある廃材を使って手軽に安価に製品を仕上げるということ。
よく学校の帰りにマーケットに寄られてもらってきた木箱を分解し、その板切れから↑のような素敵な製品を作られてきました。

学校に来るお客さんもKとうさんのクラスに立ち寄られるとよく買っていかれます。

KATOHさん手作りのパン

KATOHさん手作りのパン(2005年3月)

また、KATOHさんはパキスタンにある食材で和食やお菓子をつくることのエキスパート!
木工隊員だったのか「食品加工隊員」だったのかわからないくらいのすばらしさ&熱の入れようでした。
その恩恵に多くの隊員が浴したのでした。

そう、いままでにこんなものを作られています。

かまぼこ、生麩
ういろう、きんつば、桜餅、まんじゅう、干し柿
魚のセイロ蒸し、ぎょうざ、肉まん、うどん、ラーメン
さらに、ぶどうの天然酵母を使ったパンを焼いたりもなさっていました(↑の写真です)

KATOHさんの家は「KATOHセンター」とも「KATOHハウス」ともいわれ、多くの人が訪れたのでした。

クラスの生徒さんたちと

クラスの生徒さんたちと(2005年3月)

KATOHさんのクラスの子どもたちは、活発・やんちゃ・いたずら好き、とまぁナイスな(笑)子どもたち。
でもKATOHさんのことは「サール(Sirの尊称のパキスタンなまり)」と呼んでみな親しんでいました。
KATOHさんは家庭訪問に力を入れられて、放課後スクールバスに乗ってそれぞれの家を何回となく訪問されいろいろ親御さんとお話なさってきました。

KATOHさんをイラストにしてみました。。。

KATOHさんをイラストにしてみました。。。

↑KATOHさんをイラストにしてみたのですが。。。。似てます?(笑)
で、みんながどれだけKATOHさんのことを好きだったかといいますと、

こんなにみんなから愛されてました(2005年3月)

↑パキスタン人スタッフ&韓国ボランティアさんに囲まれるKATOHさんです。
KATOHさんがパキスタンを去られるととても寂しがるパキスタン人&隊員は多いです。
そんな姿を見ていますと「4ヶ月したら私もパキスタンを去らなければならないんだなぁ・・・・」とさびしさがこみ上げてくる、そんな隊員活動最終盤に私もあることに気がつきます。

KATOHさん、フライング気味ですが、
おつかれさまでした!ありがとうございました!

コメント

  1. 斉藤聡志より:

    エジプトより
    アレキサンドリアで障害者体育を指導している斉藤といいます。はじめまして。
    クロスロードでかとうさんの記事を拝見させてもらい気になっていました。
    是非かとうさんのつくった作品等をもっと見てみたいのですが、連絡先など教えていただけないでしょうか。
    よろしくお願いします。

  2. johnny@ktc15-1より:

    斉藤様ご投稿ありがとうございました。お尋ねの件は先ほどメールにてお返事させていただきました。どうぞこれからもよろしくお願いします。
    ※アドレスのご投稿分は削除しておきました。