2009年12月 : イスラマバード訪問記(4)

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初版 2010年02月17日


2009年12月02日(水)

ゲストハウスに帰ってきたら、ちょっとまどろんで、それから夜中から朝まで今日の記録を綴ってはTwitterにアップする。1ツイート140字(全角70字)の制限があるから、ひとつひとつのトピックを簡潔に、でも要点立てて書くように意識できるから、ちょっとした作文トレーニングやね。
結局AM05:30のアザーンも聞いてしまった。
そのままの勢いで、朝シャワー。

前回2006年冬に泊まった、G7シターラー・マルケットの安宿はお湯が出なくて、ブルブル震えながら水を被ったものなぁ。
今回お世話になってる、New Cape Grace Guest House ゲストハウスは、ラッシュ時(パキスタン人は朝シャワー派多い)にはややぬるいお湯が続くけど、それ以外は24時間ちゃんとお湯が出るいいゲストハウスだ。
朝食は摂らず、AM08:30前に宿を出て、Nazm-uddin-Road ナズムディンロードを歩く。この4年であちらこちらの道路が再整備されている。China Chowk チャイナチョークも、Mobilink モビリンクも、PIMS ピムス(パキスタン医学研究所)の交差点も、昔は渋滞ラッシュがすごかったけど、立体交差化されていて、通行がすっかりスムーズになった。ゲストハウス前の道路だって、昔は Green Belt 緑地帯だったのに立派な Double Road 複線道路&立体交差になっていて驚いたもの。

Nazm-uddin-Road : ナズムディンロード
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隊員時代は片側1車線のシンプルな道だったけど、いまでは中央分離帯つき&複車線化。

一番渋滞するのは、爆弾を警戒して設置されたチェックポイントのところ。主要な道路には何ヶ所も設置されているから、滞在中何度も通ったけれど、こんなとこで待っていてドカンとされたらいややな、と薄々思いながら通っていた。

さて、話を戻して、Nazm-uddin-Roadを歩く歩く。
今日は快晴のイスラマ。
大阪とおなじくらいの寒さで、日なたを歩くと、とても気持ちイイ。ゲストハウスから歩いて15分ほどで、協力隊時代の Counterpart カウンターパートだった Ms.Nuzhat Seemi シーミーさんの家へ。シーミーさん、旦那さんの Mr.Abbas Hashimi ハシミさんもまったく変わらず。

Counterpart カウンターパート:
ニュース英語では、異なる組織や国で、同等または対応関係にある人や立場、役割のことを指してcounterpartと表現することが多い。(英辞郎Web)
とあるように、協力隊の派遣先で、隊員の技術知識の移転対象となる方々を指す。職場の同僚さんということですね。
活動先では一番顔を合わせる時間が長い方たちなので、自然と仕事上のお付き合いだけでなく、家族ぐるみのお付き合いになることがよくあります。
帰国してからも、電話・メールなどで連絡を取り合ったりすることもあります。

実はシーミーさんとこにイスラマに行くと連絡したのはつい数日前。4年ぶりにお邪魔するのだけれど、ちっとも変わらない温かさ。
熱いハグもそこそこに中に案内される。たびたびお邪魔した家だから勝手は知っているけど、懐かしさがこみ上げてくる。お二人には3人の娘さんがいる。私が活動していた時に長女のSana サナさんが、帰国したあと次女の Hina ヒナさんが結婚。二人ともアメリカ、カナダで旦那さんと暮らしているという。
旦那さんはそれぞれ在外で住むパキスタン人。そういう人と結婚できるんやから、中流から上流のご一家ではありますね、ハシミさん一家。
でも、お家は普通の集合住宅やし、ご家族みんなそうした気取りは全然ない。ある程度裕福やから、気持ちも大らかなんかなぁといつも思ってた。

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壁に真新しい写真ボードが掛けられていた。照明をおしゃれにあてて。
こうやって娘さんたちを3人ともしっかりと育ててキチンと嫁がせる、写真を1枚1枚じっくり拝見させていただきながら、その時間の流れとご夫妻の御苦労にただただ頭が下がる思いだ。

さて、隊員時代のようにふらっとお家にお邪魔したけど、普通に家に通されて、変わらないいつもの食卓で朝食にあずかる。
今朝はラスク&バターとミルクティー。ラスクは甘くない乾燥したパンという感じだけどバターと紅茶との相性が良くて美味しかった。

今回持ってきた、荷物の半分はお土産。
何がいいやろ?お土産なぁ。そうあれこれ考えながら詰め合わせて持ってきた。
シーミーさん宅に持ってきたのは、「白い恋人」と砂糖(スーパーで売っている1㎏袋のやつ)など。
白い恋人はどこでも喜んでくれるお土産。こちらでも喜んでくれたけど、
”パキスタンでは砂糖が高騰してるってニュースで聞いたから持ってきたよ”
というと、苦笑された。
”持ってきてくれてうれしいけれど、私んとこは間に合ってるから、他の人にあげてね”
と返された。心配しすぎたみたい。そうやなー、生活には困ってへんもんなー、シーミーさん宅。
でもシーミーさんから、粒の粗いあんまり溶けない砂糖でもいまは80-90PKR/1kgすると聞いて驚いた。前は25-30PKR/1kgだったのに。

朝食をごちそうになったあと、シーミーさんとこの車で活動先だった学校 National Training Centre for Special Persons 国立障害者職業訓練センター(NTCSP)へ。
学校は、G9 Karachi-Company カラチカンパニーそばにある。Bari Eid バリー・イード明けだったから、いつもより来ている生徒や先生は少ないようだ。4年ぶりにお邪魔する学校だけど、当時いた人は私を忘れていなかった。

シーミーさんに連れられて全部のクラスにSalam サラーム(挨拶)して回る。新しく音楽クラスができていて、演奏と歌を聴かせてくれた。
先生は Mr.Imran Nazir イムラーン先生といい、転勤でこちらにおいでになったそうだ。明日大きなイベントがあるので、その練習をクラスでされていたようだ。

Youtube: Pakistani Music Playing students 1

先生がきっちり教えているようだし、生徒も素質のある子たちだからだろう、上手な演奏だと思った。
ただ、協力隊時代から変わらないのだけれど、政府から十分な予算は来ていないのだろう。学校の看板にある職業訓練の部分では、教師の研修不足、材料不足、設備が旧式・故障したままで、生産的な活動はどのクラスもほとんどできていない様子に見えた。

AM10時過ぎ。
シーミーさんが「これから明日のイベント準備に行くわよ。一緒にいらっしゃい」と他の先生生徒とスクールバスに乗り込み、G8-4のAl-Farabi アルファラビー(肢体不自由校)に連れていってもらう。
バスはギュウギュウ。生徒と体をくっつけ合って座る。みんな陽気な子どもたち。すぐにうちとけて会話する。
学校でみんなと再会してまだ1時間しか経っていないけれど、もう協力隊時代の自分に感覚が戻っていた。

さて、明日12月3日は International Day of Persons with Disabilities 国際障害者デー。関連して政府が障害児教育学校の生徒を集めて歌や踊りを披露させるイベントがある。そのリハーサル。動画はパキスタン国歌を歌っているところ。男の子は聴覚障害、女の子は視覚障害。

Youtube:Pakistani Song

10:30-13:15くらいまでリハーサルは続いた。
先生たちは分担して会場のデコレーションや、生徒への指導などに当たっている。
私は生徒や先生とおしゃべりをしたり、写真や動画を撮ったりして過ごす。さぁて、お腹すいたなぁと思い始めた頃、リハーサルは終了。スクールバスに乗って学校に戻る。
以前は14:00までだった学業時間は13:30までに短縮されていた。金曜日は礼拝がある日だが、その日も前より30分早い11:30で終わりになる。

放課後は一切残業はないから先生も生徒もスクールバスに乗って帰っていく。Bari Bus バリーバス(大型バス)も健在だったが、風雨にさらされて真新しい塗装だった車体が色あせていたのは寂しかった。私はシーミーさんの車に乗せてもらう。運転は夫のハシミさん。

で、そのままシーミーさん宅まで帰ってくる。お昼ごはんをいただくことに。
パキスタンでは14時頃終業または昼休みになり、それからお祈りをしたりして食事となる。だから食べ始めるのは15時くらいからだ。

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そしてお待ちかねの料理。
右下:Daal Masur ダールマスールという豆を使った薄味カレー。
上:の白いのは Raita ライタというヨーグルトソース。
左上:の茶色は Bakri ka Saalan 羊カレー。
下:の黒は Kalayjee カレージーという肝臓カレー。
その左:は Piaaz Salad タマネギサラダ、Ninbu ニンブー(レモン)を絞っていただく。

Youtube: How to Make Cucumber Raita (Indian Cuisine Video)

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でデザートが Sawaiyaan スァワイヤーンというコレ。ヒゲのように細いパスタをさっとゆで、それにミルククリームやカルダモンやブドウなどを和えたもの。シーミーさんとこでご馳走になるといつも出される一品。マジでうまい、泣けてくる。

ウルドゥ名:Sawaiyaan, Savaiyaan
イタリア名:Vermicelli (1.2mm未満の物:ヴェルミチェッリ、ヴァーミセリーなどと呼称)
Wikipedia: Vermicelli http://en.wikipedia.org/wiki/Vermicelli

日本のそうめんのように作ってるんですね、Sawaiyaan。
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掲載ページ: http://pakistaniat.com/2009/09/16/sewayyian-sawaiyan-verm…
2010/02/17 閲覧

シーミーさんとこにはこの15年来何人もの協力隊員がカウンターパートとしてまたは同じ職場の同僚としてお世話になってきた。パキスタン人は概して時間や計算には疎いところがあるが、いったん仲良くなった友人の思い出はとても大切にしている。食卓はその話題で尽きなかった。

シーミーさん宅でゆっくりしたあと、携帯の Activate アクティベート(使用許可認証)をしてもらいにブルーエリアMobilinkに行く。動画はその道中にジンナー大通りから撮った、16:30ごろ。綺麗な車は増えている。

Youtube: Jinnah Avenue,Islamabad

さてさて。
無事携帯は使えるようになった。iPhoneと現地携帯の2本持ち。試しにゲストハウスの無線LANを使い、iPhoneからskypeで現地携帯を呼び出すとつながった

Mobilinkからの帰りにまたまたフレスコに立ち寄る。サモサ2つを砕き、そこに豆カレーソース、甘いチャットニーとヨーグルトや刻み野菜をかけたプレートってやつ。35PKR。いまの日本円なら40円。でウマい。

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このときもそうだった。
夕日を背に浴びながら、Jinnah Avenue ジンナー大通りを宿に向かって歩いていく。
観光地でもなんでもない場所なんだけど、ああ、やっとこの場所に帰ってこれたんだ!ってゆう満たされた思い。
カラッカラに乾いた砂に水がスーっと染み渡っていくような心の感触。
自分が5年前6年前の現役協力隊員にすーっと戻っていくような心地。

感情が高ぶっているのはよく分かっていて、冷静に冷静に、という気持ちもあるのだけれど(安全には留意しないといけないし)、でも、こうやって歩けているだけで大満足。よかったーという思いがあふれてきてしょうがなかったんだ。
で、そうしたメンタルな部分が作用するのだと思うのだけれど、日本ではからっきし使わなかったウルドゥの単語が次から次へ思い出されてくる。4年間使わなかったフレーズが湧き出してくる。
現役協力隊員にもどっていく心地と一緒に、ウルドゥ脳に切り替わっていってるってすごい感じられた。

で、ゲストハウスに戻ってプレートを一気に食らい、メールの返事を打っていたら、いつの間にか寝ていた。
夜も更けてきたから外出はやめてそのまま寝たり起きたりしていた。

(続きは執筆中)

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