>>Hassan Academy : インクルーシブ教育の学校 2 >>パキスタンの障がい児者支援
2012年7月26日木曜日追記:
イスラマバードに特別支援ならびにインクルーシブ教育を行う学校を建設するために、日本政府から910万ルピー(約780万円)の支援が行われることになり、今年2012年1月に大江博パキスタン駐箚特命全権大使とハッサン校長とで調印式が行われました。
ハッサンアカデミー校長の Ahmed Hassan博士が日本政府の財政援助を受けてイスラマバード市内に障害児学校を建設へ(2012年1月20日報道)
http://ktc-johnny.com/paknews/?p=391
また、今月2012年7月初めにハッサン校長から
We are pleased to inform you that construction at islamabad project started.
(イスラマバードでの学校建設プロジェクトが始まったことをあなたにお知らせできることをうれしく思います。)
という連絡をいただきました。
完成まで時間がかかるかと思いますが、ぜひ足を運んで進捗状況を見てみたいなと思っています。
2005年4月18日:アップ
ラーワルピンディ(Rawalpindi)の下町にある私立の学校があります。
名前は「ハッサン アカデミー(Hassan Academy)」。1993年にハッサン博士(Dr.Ahmed Hassan)が私財を投じて現在の地に開校しました。
Kal TakというTV番組がハッサンアカデミーを取材した模様です。(ウルドゥ語:2009年9月放映)
Youtube: Kal Tak, Eid Special Program with special children of Hassan academy Part 2
レポーターがハッサン校長と各クラスを訪れています。
聴覚・知的・身体障害のある生徒たち、障害のある・ない子どもが一緒に勉強しているクラスを紹介しています。
この学校の特色は障害のある子どもと、ない子どもがともに同じ学び舎で学ぶ「インクルーシブ教育(Inclusive Education)」。
昨年暮れにハッサン博士(校長)と初めてお会いし、かねがね伺ってみたいと思っていましたが、この4月上旬に学校を何度か訪問させていただくことができました。
ブログで2回に分けて、その訪問記を綴っていきます。
↑学校はラーワルピンディのピールワダイモールそばにあります。すぐ近くを走る幹線道路(The Mall:マールロード)から狭い路地を5分ほど歩くと学校の白い壁が見えてきます。高級住宅街ではなく庶民的な下町の一角に学校は建っています。
1993年1月1日に設立されたこの学校にはNursery(ナースリー:幼稚園年長組)から10年生(中学~高校に相当)までの児童生徒が在籍をしているそうです。
また、この学校には地元ラーワルピンディだけでなくカラチやラホールなどから来た子どもも学んでおり、そうした子どもたちは学校やハッサン校長のご自宅に設けられた寄宿舎で生活をしています。
お邪魔させていただいたのは、4月の新年度が始まってすぐの金曜日でしたので通ってくる子どもは少ないようでしたが、ハッサン校長に案内していただき各教室にお邪魔させていただきました。
【その1:知的障害のある子どものクラスにて】
まず案内していただいたのは、ダウン症候群などの知的障害のある子どもたちのクラスでした。いた子どもたちの年齢は多少幅があるようでしたが、「Nursery」クラスとの位置づけで授業が行われているようでした。
行ったときに子どもたちは絵と単語のマッチングの課題に取り組んでいました。「りんご」の絵なら「りんご」とウルドゥ語や英語で答える課題に取り組んでいるようでした。
↑首根っこをつかまえて「こら!」と言っているようにも見える(笑)写真ですが、ハッサン校長の子どもへの関わり方は非常に丁寧なように見えました。
【その2:聴覚障害のある子どもたちのクラス】
次に訪れたのが聴覚障害のある子どもたちのクラスでした。
大きな声で話せば聞き取れる子や、補聴器を使えば聞き取れる子、まったく聞き取れない子どもまでさまざまな障害の程度の子どもたちがいましたが、みんな元気に授業を受けていました。
↑クラスのアシスタントをする女性と紹介されましたが、彼女はひたすら1枚の絵を描くことに一生懸命になっていました。(聴覚障害のある方のようでした)
↑この子はほとんど声を聞き取ることができませんが、先生と手話などを使って黒板に文章(学校や校長先生の名前など)を書いていました。
聴覚に障害のある子どもたちは日本と同様に手話を使い上手に会話をしています。また他方では、リハビリによる口話の習得も先生たちから促されていて、そうした訓練をするスピーチセラピスト(Speech Therapist:言語聴覚士)をお願いされることもあります。
【その3:インクルーシブなクラス】
その次に案内されたのは、聴覚に障害のある子どもと障害のない子どもが一緒に学ぶインクルーシブなクラスでした。
そのクラスには、10人ほどの子どもが勉強していました。そのうち半分は聴覚に何らかの障害はありますが学習面では問題のない子どもたちが集まっていました。
お邪魔させていただいたときは、イスラミアート(イスラームの教えを学ぶ)時間だったようで、コーラン(クルアーン:イスラームの経典)を読誦したりしていました。
6つほどあるクラスのうち、こうして障害のある・ない子どもがともに学んでいるクラスは2~3のようでしたが、実際にこうした姿を見るととても感銘を覚えました。
パキスタンでは他の開発途上国と同様に障害者に対する支援施策はまだまだお寒い現状で、公的な年金をはじめ財政的なサポートはほとんどない状況です。
また、障害のあることを差別的に見る風潮も根強く、家族に障害者がいることを隠すという事例もしばしば聞くところです。
日本のように障害者教育(特別支援教育)が独自に発達してこなかったからこそ、こうしたインクルーシブな教育が始めやすかったという事情もありますが、財政的な支援が得られるかどうかわからない民間の学校が理想に燃えてこうした活動を10数年にわたって続けてこられたことに、私は敬意を表したいです。
コメント
又聞きの又聞きですが、今から30年以上前に亡くなられた糸賀一雄氏の「この子らを光に」という言葉に惹かれます。私も「この子らに光を」ではなく、この子らが光になることは出来ないだろうかといつも思っています。
「この子らを世の光に」、この本を私は北海道にいたときに買いました。
そしていつでしたか近江学園のビデオ(テレビ番組でしたか)も見たことがあります。
戦後の混乱期に自分の身を投げ打って取り組まれた糸賀先生のことは今もずっと私の関心事のひとつです。