2004年夏 : ギルギット・フンザ旅行記(8)

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  • A digest map of Hunza and Gilgit area

    2004年8月12日(木) ファラハットさん・SHIHOさんYUKIKOさん、イスラマバードに出発

    今朝も雲がかかっているギルギット上空。でも雲量は昨日ほどではなさそう・・・
    ホテルの人から連絡が。「今日はイスラマバードから飛行機が飛んでくるようです」と。ファラハットさん、私を乗せた車は急いで空港へ。
    ターミナルビルも開いていて、搭乗手続きをしているようだ。
    ここでファラハットさんとはお別れ。しばらくして、彼を乗せたフォッカーフレンドシップ機は飛び立っていきました。

    このあと、SHIHOさんYUKIKOさんたちも陸路でイスラマへ向け出発することに。8時30分発のNATCOバスで元気に帰っていきました。
    約1週間、視察中心のスケジュールでちょっと息抜きがしたいなぁと思っていたので、もう3~4日間はひとりでギルギットをブラブラすることに決定。

    ギルギットの空を飛ぶPIA機
    この日の2便のイスラマ行きが離陸。いい天気。

    ホテルもリーズナブルな「パークホテル Park Hotel」に変更。
    シングルルームは325PKR/1day。お湯もキチンと出て快適に過ごせました。ちょっと調度品は古ぼけてますが。

    2004年8月12日(木) アイ・ホスピタル Eye Hospital の再訪

    午前10時、約束していたアイ・ホスピタルを再び訪れました。病院に併設して校舎や寄宿舎、運動場や農場が整備されています。

    学校の中庭
    ここで夕方になるとみんなで遊んだりするそうです。

    この日のメインはここで働く Mr.Tauqeer トキールさんと、Mr.Nawaz ナワーズさんからインタビューをとることでした。

    トキールさん ナワーズさん
    トキールさん(左)とナワーズさん(右)

    ここでトキールさんのインタビューを紹介したいと思います。


    私はギルギットで生まれ、第8学年(日本では中学2年)までここで勉強をしました。
    このあと、父親の紹介でラホールにある視覚障害者のための学校にナワーズさんと一緒に進学しました。
    実はそのとき、私は地元で話されているシナ語やブルシャスキー語しか知らなかったので、授業で話されるウルドゥ語や英語、パンジャービー語はまったくわかりませんでした。

    それで、まずは先生や友達の話を聞くことから始めました。
    一生懸命聞きつづけたおかげで、1ヵ月後にはウルドゥ語で手紙を書く(口述筆記してもらって)ことができたのです。
    その手紙を故郷の父母が読んだときとても驚いたそうです。「どうして、こんなにはやくウルドゥを覚えたんだ!」って。

    それからは英語やウルドゥ語、基礎教養を学び、2年間で4年分のカリキュラムをパスすることができました。
    その後、ナワーズさんと一緒にギルギットに戻り、当地でナンバー2のランクの普通高校に入学しました。
    そのとき周りの友だちは口々にいいました。
    「君たちはどうして字が読めるんだい?」「どうして文字が書けるんだい?」「It’s a magic!!(まさにマジックだ!)」と。

    その後も努力し続けて、ギルギットのカレッジ(日本では高校~短大のグレード)に入学しました。
    ここで4年間の課程を修了し、BA(Bachelor of Arts=文学士)の資格を取得しました。
    (註:これはギルギットで初の快挙だということです。)

    そしてカレッジを卒業し、もっと勉強したいと考えていたころ、このアイホスピタルの存在を知り、今はここで同じ障害を持つ仲間に勉強を教えているところです。

    ・・・そして、ナワーズさんはこう語りました。
    We are thinking about the meaning of “Handicap” like this “If you can not any work, you have handicap.”
    “As long as we keeps working, we are not special person, we are normal person.”
    訳 : 私たちは、”障害とは「何もすることができない」”ということではないかと考えています。私たちはいま常に努力し続けています。そうである限り、私たちは障害者ではありません、健常者なのです。

    そのときのインタビューを後日発行されたPakistan Special 2004年8月号に掲載していただきました。
    >> http://www.ktc-johnny.com/pakspecial040801.html


    彼らは2人ともとても物静かな印象です。でも秘めている情熱はとても熱いものを感じました。

    授業のようす
    授業のようす。ノート代わりに点字を打刻している。

    いつかチャンスのあったときに、こうした懸命な人々と一緒に働けるといいなぁと思いました。

    2004年8月12日(木) 市街地の散策

    ひとりで羽根を伸ばそうと意欲満々でしたから、学校見学を終えた後、市街地のあちこちを訪れました。
    街はあさって(8月14日)の独立記念日に向けてのグッズがあちこちで売られていました。そうしたお店ではあちらこちらに人だかりができていました。

    国旗やピンバッジを売るお店 肉の串焼きを売るお店
    左 : 国旗やピンバッジなどを売っています。
    右 : サダルバザールで見かけた串焼き屋さん

    また、サダルバザール近くでは肉の串焼きを売るお店が軒を連ねていました。
    1本5PKRで食べることができました。
    肉 Beef はちょっと硬いんですが、炭火で焼いていてしかもあっさり塩コショウだけの味付けなんでこれ絶対ビールにあうと思います。美味しいですよ~。
    それと、4月にもおじゃました、 Mr.Shah Jahan シャージャハーンさんの家に遊びにいきました。
    この日は小学生くらいのガキンチョがいっぱい(笑)。・・・もう写真いっぱい撮りましたとも、それといっぱい歌い・踊りましたとも(笑)。

    子どもたちの踊り 美味しかった食事
    左 : ギルギットの音楽にあわせて踊っています。
    右 : カレーやごはん・・・ごちそうさまでした。

    こんな感じで12日の夕方~14日あたりは特別な行事とかはありませんでしたがいつの間にかあっという間に時間が流れていったのでした。

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    初版 2004年08月  最終更新日 2005年02月07日