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4月1日(木) 快晴
(何も食べず)(マイルストーンのみなさんと会食)(近くのマーケットでチキンシュバルマなど)
楽しみにしていたマイルストーン(障害者自立団体NGO)のみなさんとの交流のため、 09:00のバスでラホールに向かいました。
マイルストーン(Milestone)・・・パキスタン(ラホール)で障害者自身が設立したNGO。設立は10年前(1993年)。
パキスタンでの障害者の権利拡大のための運動を精力的に取り組み続けている。
2002年、日本で障害者の自立生活について研修(ダスキン)を受けたメンバーによって、 パキスタンで初の障害者ための自立生活センター(Life Independent Living Centre)を設立した。
これまでの活動により、パキスタン政府からは強力な障害者支援交渉団体として認知されている。
パキスタンでのDPI(国際障害者団体ネットワーク)の本部もここに設置されている。
今回は13年度2次隊(フィリピン・コンピュータ技術)で活躍されたAKASAKAさんとご一緒に向かいます。
09:00にカラチカンパニー(イスラマバード)を出発した高速バスは13:30ごろバクラーマンディ(ラホール)に到着。
事前に到着を伝えさせていただいたために、しばらくするとマイルストーンの方が車で迎えに来て下さいました。
マイルストーンの事務所は旧市街から離れた静かな住宅街の一角にありました。 数年前に手狭になった旧事務所から現在の地に移られたそうです。
玄関のスロープや看板など
到着早々、早速みなさんと昼食をとりながら自己紹介をします。(←ここのカレーは本当にうまい!!)
現在のところ、マイルストーンのメンバーはポリオなどによる肢体不自由障害の方を中心に構成されているため、 彼らの活動も車いすで自由に街中に出たり、仕事に行くことができる「バリアフリー」を主眼に置いているようでした。
そして、実際にメンバーのなかには日本から寄贈された電動車いすを使っている人もいます。
日本の支援団体から寄贈された電動車いす
さらにマイルストーンの設立メンバーのアシムさん(代表)とシャフィークさん(プロジェクトリーダー)は、自分たちで改造した車で運転もしているんですよ!
自分たちで溶接し、かかった費用はわずか1500ルピー(3000円)!
運転技術はどうやって覚えたのかと聞くと、
「日本に研修にいったときに教習所で運転技術を学んだ(シャフィークさん)」とのことです。
ラホールという街は日夜ひっきりなしに車が走っています。
その中を毎日1時間かけて改造した車で通うお2人に脱帽です。
さて、マイルストーンのみなさんのお話に耳をかたむけてみましょう。
●パキスタンでは、「障害者は外に出てはいけない」という考えがとても根強い。
また、家族が一緒に生活するというシステムの中にあって障害者が一人で街に出て行くことはとても難しい。
●自動ドアやスロープ、点字ブロックなどのバリアフリーのインフラ整備はまだ手つかずの状態である。
ただ、スロープに関しては運動の結果徐々にではあるが設置されてきている。
●障害者・健常者を分けない教育が必要である。
そのためには普通学校にスロープなどを設置してともに学べる環境をつくらなければならない。
●(ODAなど海外からの援助について)、障害者のための学校に多くの援助をつぎ込むのも1つの方法であるがその利益を享受できるのは在籍する50人100人の子どもたちである。
そのお金で車いすや点字ブロックなどの整備を行えばより多くの人々のためになるのではないだろうか。
●今後、自立生活センターをラホールの各区に最低1つずつ設置していく。 ヘルパー派遣による介助サービスなどを行っていきたい。
●私たちには運営していくためのノウハウがまだまだ不足している。日本の支援者の方からの助言は本当にありがたい。
以前にも綴らせていただいたことですが、彼らの活動・思想にはまだまだ熟成を要するものがあるように感じます。
たとえば、
理解する必要があるなど課題が多い。そうした課題をどうクリアしていくか。
ということが挙げられます。
しかし、そうした問題があっても私はマイルストーンの活動を高く評価し、応援するものです。
なぜなら、外国の援助による改革・改善の努力より、現地の方の、さらに言えば障害者自身による問題提起・運動の推進がもっとも有効な方途であると考えるからです。
しかも、メンバーは明るく前向きで男女の垣根を越え、同じ仲間として対等の立場で活動しています。
このエネルギーがある限り、たとえどんな壁がたちはだかろうとも乗り越えていくでしょう。
私がパキスタンにいるかぎり彼らとともに考え、歩いていきたいと願うものです。
さて。 17:00になりますと、アシムさんから事務所の鍵を渡されました。
「私たちはこれでそれぞれの家に帰るので、あとは好きに過ごして下さい」とのことです。
ちょうど近くに「Karim Market カリーム・マルケット」という市場がありますので、AKASAKAさんとご一緒に出かけました。
シュバルマ(チキン)のロースターとビリヤード台
夕食で食べたチキンシュバルマ(鶏肉のあぶり焼き)バルガルは、チキンがボリューム満点で美味しかったです。
ビリヤードを見つけたので、Aさんと9ボールをしました。
ん?Aさかさん、うまいなぁと思ったら、フィリピンはビリヤードが国民的な娯楽なんだそうでして。 ・・・あっさり敗れ去りました(笑)。
4月2日(金) 快晴
(シリアル&牛乳)(マイルストーンのみなさんと会食)(アナールカリでチキンサッジーなど)
マイルストーンの活動はこのような感じでした。
08:00すぎ 送迎バスサービスにて、2~3人の女性メンバーが到着。
1人はシャムサさんというほぼ全盲に近い女性。ホステルで共同生活をしているとのことです。
もう1人はニーハムさん。電動車いすを使うかたです。 日本で1ヶ月ほど自立生活の勉強をなさってこられました。
もう1人はアニーラさん。両下肢にLLB(補装具)をつけ、自力で歩かれる方です。 メンバーになって3日ほどとのこと。
この部屋でみんなおしゃべりをしたり、ごはんを食べています。
08:30すぎ 男性メンバーも続々到着します。
カムランさんは片足がやや短くなっている障害の方です。 自転車(マウンテンバイク)に片乗りしながら通っています。
アマーナットさんは片腕が奇形になっていて半分ほどの長さしかありません。 でもその腕も上手に使って料理も作ります。
もう1人のカムランさんは25年間の間外へ出ることができなかったやや重度の肢体不自由の方です。
でもこちらでは、電動車いすを使い、少しずつですがお話もされています。
ムハンマドさんは、マイルストーンの創設メンバーの1人。とてもがっちりした体格です。
09:00すぎ さらにメンバーが続々と。
ジャベーリアさん(女性)もこれまでまったく教育を受けて来られなかった方ですが、マイルストーンに来て字を覚え、イラストを描かれるようになりました。
ファートマさん(女性)もこれまで外に出ることのない人生を送ってこられましたが、マイルストーンに通われるようになってから、顔にも表情が出るようになりほんの少しですが言葉も出るようになりました。
部屋でおしゃべりをしたり何か書き物をしたりとそれぞれのペースでゆったりとした時間が流れています。
素敵だと思うのは、ここではイスラーム特有の男女の垣根がないこと。
女性メンバーはドゥパター(覆い布)を肩からかける程度で頭を覆うということはありません。 対等に話をしています。
ニーハムさんは女性メンバーに自分の体験を通じて街へ一人で出かけていくことがどんなに大変で、 でも素晴らしいことかを語っていました。
日本では当たり前のことでもここはイスラームの国。
差別や偏見が根強い中での彼女の行動はすごいです。で、驚くのは、みんな自然体であるということ。
「障害者のために!・・・」なんて肩に力が入っている人は一人もいません。語り口もやさしいですし。
付き合いに疲れない心地よさがここにはあるように感じました。
10:30すぎ 中心メンバーのアシムさんシャフィークさんがそれぞれ車で到着されました。
左 : アシムさん
右 : シャフィークさん
お2人は大忙し!マイルストーンの活動を知りたいと各地から連日大勢の方が訪れます。
それだけでなく、各機関との折衝や自立生活センターについての立ち上げなどなど休むヒマもありません。そして、メンバーと話し合い励ましてもいます。
日本のシステム化された運営とは違い全てが手探りの活動のようですが、それに体当たりする強さ・パワーを感じました。
13:00すぎ みんなで昼食を食べます。
今日は豆のカレーとローティー。これまで3回ほどこちらでの食事をいただきましたがホントに美味しい!!いつも感激しながら食べています。その美味しい食事をみんなで話しながら食べるのは大切なコミュニケーションの場でもあります。
14:00すぎ ニーハムさん・シャムサさん・アニーラさんたちの送迎車が来ました。
「また明日」と挨拶をして帰っていきます。
アシムさん・シャフィークさん・ムハンマドさんたちはそれぞれの仕事を続けています。
私たちが寝泊まりした部屋は自立生活センターでもあります。
17:00すぎ 最後まで残っていたメンバーもそれぞれ帰宅し、マイルストーンの事務所での活動が終わります。
夕方から、AKASAKAさんと2人でラホール市内を巡ってみることにしました。
まずはリキシャーでリバティマーケット近くにある「PACE(ペース)」へ。ここはたくさんの店がテナント入居した総合商業施設です。
つぎに歩いてリバティマーケットへ。庶民的な店が並ぶ一角をぶらぶらまわりました。
ここでせっかくだしもうちょっといろいろ見てみようと、DAEWOOの市内バスを使ってアナールカリ(バザール)へ。
ここで2人でチキンサッジー(鳥の丸焼き・・200ルピー)をたらふく食べました(笑)。
帰りはサトウキビジュース(1杯5ルピー)を飲みつつ、DAEWOOの市内バスなどを乗り継いで帰ってきました。
ジョッキ1杯5ルピー(10円)。甘くてさっぱりしています。
■4月3日(土) 快晴
(シリアル&牛乳)(シャーミカバーブバルガルなど)(サンドイッチ・パコーラーなど)
朝、みんなでディスカッションをしました。 テーマは「障害者の結婚」について。
ニーハムさんが進行役になり1人1人に意見を聞いていきます。
びっくりしたのはみな結婚したいと望んでおり、親同士が決める「アレンジマリッジ」ではなく恋愛結婚「ラブマリッジ」を望んでいる人がほとんどのようです。
イスラームの国パキスタンで、こうしたテーマを男女対等に話し合うなんて考えられなかったのでさらにびっくりしました。
20歳代のメンバーが多いマイルストーンでは、結婚は切実な問題であります。 私も聞かれました。「障害者と結婚したいと思いますか?」って。
正直、答えにつまりました。 パキスタンでは、障害者が健常者と結婚することはありえないのだそうです。
それを考えると彼らの問題がいかに大きなものかが分かります。
さて、明日(4月4日)からギルギット・フンザ地方へ旅行するために、10:30にはおいとましようと思っていました。
でも「まぁまぁ待って待って」と止められます。 どうしてかなぁと思っていますと、な、な、なんとこんな素敵なものをいただいたのでした。
スイッチを押すと鳥の頭の部分が光り、オルゴールが流れます。
ただ、事務所に泊まらせてもらって活動の様子をかいま見させてもらっただけなのですが、こうした細やかな心配りをとても ありがたく思ったのでした。
この置物は大切に飾らせていただいています。 帰り際にみなさんと記念写真を。
マイルストーンのみなさんと記念撮影(後列左から3番目が私)。
彼らの活動に惹かれて、多くの方がマイルストーンを訪れるようになりました。 また、彼ら自身も各地に飛んで彼らの信ずる思いを彼の地の人々に伝えています。
パキスタンのすべての障害者の方々がより人間らしく、自分の願い通りに過ごすことのできる社会。
問題は山積みですが、彼らの灯した火は燎原の火のようにあちこちに伝わり、決して消えることはないでしょう。
初版 2004年04月03日 最終更新日 2004年05月