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2004年4月8日(木) くもり
カリマバード(Karimabad)→アーリアバード(Aliabad)→ギルギット(Gilgit)
前々日(氷河トレッキング)・前日(フンジャラーブ峠行き)のつかれもあったので割にゆっくりした寝起きになりました。
それでも08:00すぎには、バルティットフォート下(旧ポログラウンド)のモデルスクール(高校)を見学していました。
朝礼の様子。国歌の歌い方が少し変わっていました。
朝礼の内容はイスラマバードのそれとあまり変わらないと思いましたが、国歌の歌い方だけは変わっていました。
歌詞そのものはおなじですが、節回しやメロディーが違っていたのです。
このあたりも、パキスタンのようでパキスタンでない雰囲気を感じたのでした。
おみやげ買いなどをして、イリヤスさん差し回しのジープでアーリアバードまで下ってきました。
アーリアバードのバスチケット売り場
ワゴンバスに乗ること2時間あまり、ギルギットに到着しました。ホテルにチェックインし、KATOHさんと街をぶらぶらすることにしました。
ギルギットの市街地を歩く。
ギルギットはノーザンエリア(政府直轄地)の中心ということもあり、空港や各種施設が整備されています。
高層ビルはありませんが、食料品・日用雑貨・電化製品などなど豊富にならべられています。
そしてなによりもまわりを雄大な山々が囲み、緑豊かな地でもあります。生活はとてもしやすそうに感じました。
しばらく歩くと空港が見えました。1500mちょっとくらいの短い1本だけの滑走路です。
有視界飛行で離着陸しなければいけないため、曇天になるととたんに欠航になります。
私たちがベシャムから到着した日(5日)は雲一つ無い快晴でしたが、ここ数日は曇り空。なかなかきびしいところです。
空港の反対側には「Citypark」という緑の芝生が豊かな公園が広がっています。
左) 軍が整備したといわれるこの公園はとても広々としていました。
右) 立派なバスケットコートも設置されていました。
クリケット場・サッカー場・バスケットコート・ホッケー場・それにさまざまな遊具が整備された日本でもなかなかお目にかかれない公園です。
で、びっくりしたのが・・・・
これってローラースケート?・・・その通りでした。
ローラースケート場が整備されていて、男の子たちがローラースケートやインラインスケートで遊んでいました。
パキスタンでこんな光景をみるなんて予想もしていなかったのでびっくり!
聞くと、親戚や知り合いなどにラーワルピンディで買ってきてもらうのだそうです。ローラースケートは60ルピー(120円)、インラインスケートは250ルピー(500円)だそうでして。
近くにいた警官にどうしてこんなに立派な公園ができたのかと聞くと、軍からの寄贈によるものだからだと言う答えでした。
子どもといっしょに乗ってみましたが・・・う~ん寄る年波か(笑)、バランスとるのに精一杯。
ひとしきり楽しんだ後、約束通りシャージャハーンさんとこにお邪魔しました。すると、みんな心待ちにしていてくださって大歓待してくださいました。
私も折り紙を折ったりオカリナを吹いたりしたのですが、楽しかったのはギルギットの音楽で踊ったこと!
兄弟親戚入り乱れて(女の子も!)踊りまくりました。
ギルギットの音楽は使う楽器が日本の太鼓や篠笛に似たのを使うからでしょうか、どこか日本の盆踊りの音楽の雰囲気が漂います。すごく素朴ですが強い鼓動を感じさせます。
早速このテープを買い求め、帰りのNATCOのバスでかけてもらいました。
このテープを渡したときに車掌さんが
「え?日本人がギルギットの音楽を知っているのか?」
ってびっくりした顔で見ていたのが印象的でした。
お父さんからは何度も「ここはお前の家だよ。そしてお前は私の息子だ」といってくださっていました。
6月に親戚の方が結婚式を挙げるそうです。「絶対お前も来いよ!」と誘われていますので、学校が夏休みになったらぜひ何日かの泊まりがけでお邪魔しようと思っています。
イスラマバードの学校の生徒たち・先生たち、ラホールのマイルストーンのみなさん、そして各地でお会いし、友だちになった方々、みんな素敵な方たちです。
しかしそれにも負けるとおとらないすごい魅力をギルギット・フンザをはじめノーザンエリアの人々はもっています。
パキスタンのようでどこかパキスタンではない・・・・
・・・そんな人間の持つ魅力を見つけることのできた今回の旅はとても有意義なものでした。
普通の観光客として名所旧跡自然を堪能することも素敵ですが、現地語で会話し人々の生活に飛び込んでいける・・・青年海外協力隊の醍醐味を味わった心地がしたのでした。
「うちへ泊まっていけよ!」繰り返しせきとめられましたが、今回は予約しお金もはらっていたので夜半においとましました。
そして、ホテルでつかの間の休息をとったのでした。
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初版 2004年04月 最終更新日 2005年02月08日