パキスタン日記 : 2004年2月(1)

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読みづらいレイアウトになっているかと思いますが、ご了承ください。


モニタが・・・ 
2月10日(火) はれ

昨夜遅く、雨の降るイスラマバードに帰ってきました。 そして、さぁメールチェック&HPの更新だぁ・・・・と思いつつパソコンの電源を入れました。

・・・・あれ、画面が映らないぞ、じゃ、もう1回再起動させてと・・・おや、まただめだ・・・・・ど~なってんだぁ?

どうやら、ノートパソコンのモニタの電源が落ちてしまっているようで、 アイコンの形がおぼろげに分かる程度にしか見えません。

メール&ネット閲覧は全然出来ない状態。 今日、仕事から帰ってきて再挑戦してみましたが、やはりダメ。修理に出すほかない状態です。さて、どうする?


2月7日(土)~9日(月)・・・ラホールへ(隊員親睦旅行&ラホール障害児施設見学)
※1週間分を一気に書いているため、簡単な日程紹介だけになっています。

2月7日(土) はれ
朝8時、ドミトリー前からチャーターバスでラホールに向かいます。 私にとって、はじめての地方旅行になります。

バスは高速道路を走り、午後1時半ラホールに到着。昼食をとり部屋で小休止した後、「ワガ」という場所へ。  

ワガの国旗降納 ←国境をはさんでギャラリーがたくさん見守っています。

1つ1つのパフォーマンス(兵士の歩き方・国旗の降納)が観光客用にショーアップされている感じがしましたが、
とても興味深いものでした。
夜はおいしいタイ料理を堪能。
2月8日(日) はれ

午前中、I田さん(ラホール隊員)の案内でラホール市内の観光。  

バードシャーヒーモスク ←とても広いモスク(イスラム寺院)でした。

午後、昼食をとったあと、いったんホテルに荷物をおいて近くのショッピングセンターを散策。

夜は、ラホールに住んでいるパキスタン人のお友だちとごはんを食べ、おしゃべり&散策。
2月9日(月) くもり&あめ

朝~午後1時過ぎまで、I田さんの活動先の障害者訓練センターの見学。

ラホールの学校 生徒たち ←ラホールの学校と生徒たち

午後3時過ぎの都市間バスにのり、夜イスラマバード着。


ペンションへの道? 
2004年2月6日(金) 快晴 (パン)(パコーラーなど)(スパゲティなど)

約1週間ぶりに出勤となりました。(先生だけ・・・生徒はお休み) でも、明日は月初めの第1土曜日なのでまたまた休み(笑)。

多くの学校は今日も休みのところが多く、スクールバスはほとんど走っていませんでした。

連休の合間の今日1日だけ出勤となったのは、バリーマダム(校長)の指示によるものでした。

しかし、肝心のバリーマダムは今日は出勤しませんでした。それを真似したのか(笑)先生たちも半数近くはお休み。

11時半の退勤時間まで、あちこちでおしゃべりに花が咲いていました。 私はいつものごとく、あちこちのクラスにお邪魔しておしゃべりに参加。
あ、それとこの連休でお邪魔していた先生たちに現像した写真を配って歩いてもいたのでした。みんな、とっても大喜び。

11時半の退勤時間のあとは、ワゴンバスに乗って「ジュマバザール(金曜市)」に行きました。

目的は、明日からのラホール旅行の準備のために衣類などを買うことでした。
でも、買い物が終わって家に着いてみればすっかりその用件を忘れていたことに気付きました(笑)。
どうしてかといいますと、全然ちがうものを買うのに一生懸命だったからです。
2月4日(水)の日記で、パキスタン料理の手ほどきを受けたことを書きました。
あまりに美味しかったので、「ぜひ自分でも作ってみたい!!」ということになったわけです。

昨日は、スーパルマーケットに立ち寄ったときに香辛料とギー(牛脂)を購入。 今日は、香辛料をつぶすための台やローティーを延ばすための台などを購入。

早速、買ってきたグッズを台所に並べてみました。   

買ったアイテム スパイス 道具など

協力隊後の夢は、北海道でペンションをしながらハンディのある人たちへのサポート活動をすること。

お金とかの問題がクリアしてペンションを開くことができたときは、自分の任地の料理を披露してみたいなぁ・・・と
思っています。
その「ペンションへの道」の第1歩がいま、目の前にある・・・んだけど、ホンマにできるんやろうか(笑)。

それよりもなによりも、いっしょにペンションやってくれるひとを探さなあかんことにいま気付きました(爆)。

・・・てことで、料理が上手にできるパートナーさんを募集中!。・・・ホンマにペンション開けるか保証ないけど(笑)。


アフバール 
2004年2月5日(木) 快晴 (何も食べず)(チキンバルガルなど)(スパゲティなど)

私のほぼ毎朝の日課は、通勤途中の新聞スタンドでウルドゥ語の新聞(アフバールといいます)を買うことです。

「新聞スタンド」って書きましたが、自転車に英字紙・ウルドゥ紙・雑誌などを積んで売ってくれています。  

新聞売りのおっさん←新聞売りのお兄ちゃん(右)とは、買うたびにおしゃべりしています。

※ウルドゥ紙は朝刊が7ルピー(15円くらい)・夕刊が5ルピー(10円)、英字紙は12ルピー(25円くらい)です。
最近は「マルジー
セ(好きに選んで!)」と言って、お兄ちゃんがチョイスしたウルドゥ紙を買うことが多いです。

お金を払いながらその日の新聞の見出しを読むなんてことをひとしきりしてから、通勤する・・・そんな毎日です。

さて、ここしばらくパキスタンの日刊紙をにぎわしているのは、核技術流出疑惑の事件です。

パキスタンでは英雄のカーン博士という人が、リビア・イラン・北朝鮮に核技術を伝えたのではないか・・・ そんなニュースが世界中を駆けめぐっていますね。
こちらの新聞でもつぎつぎと技術者がつかまって取り調べを受けているという報道と「政府は核流出にいっさい関わってい
ない」というムシャラフ大統領の声明が連日載っています。
では、この事件について新聞売りのお兄ちゃんはどう思っているのでしょうか?
今朝の新聞をひろげながら聞いてみました。
「(疑惑の中心の)カーン博士は立派なことをしたんだよ。
え、なんでかって? それはさぁ、イランやリビア、北朝鮮はアメリカに対抗している国だろ?だからさ。
アメリカはいいことなんかしてないよ。だって、お前の国日本に昔アメリカが広島と長崎に原子爆弾をおとしたじゃない か!カーン博士は悪いことなんかしてないよ!」

パキスタンに来てびっくりしたのは、日本の話題で初めに出てくるのは「スズキ(自動車)」が多いのですが、
次に「ナガサキヒロシマ」という地名と「アトミックボム(原子爆弾)」の話題が出てくることがあります。

そして、「アメリカのせいでナガサキヒロシマがひどいことになったのに、どうして日本はアメリカと仲良くしているんだ?」と 聞かれることも多いです。

「トウキョウ、オオサカ」よりも「ナガサキ、ヒロシマ」が先に話題となることに 最近のパキスタンの事情がなんとなくかいま見れるような気がするのでした。


お宅訪問(4) 
2004年2月4日(水) 快晴 (パンなど)(プラオー(炊き込みごはん)+ゴーシュト(肉カレー))

今日はイード3日目。
イスラマバード市内に住むファズールさん宅におじゃましました。

ファズールさんは、バリーマダム(校長)の付き人的な仕事をしている方です。

ラホールに自宅があるのですが、ここしばらくはイスラマバードのガバメントハウス(公務員アパート)で家族と生活されて
います。2男2女のお父さんです。
パンジャービー人らしからぬ(笑)、温厚な人柄なんですよ。

K藤さん(14-3・木工)とお邪魔したときに、奥さんは親戚の家にお出かけしていました。

それで、ファズールさんがじきじきにパキスタンの家庭料理の手ほどきをしてくださいました。

※今日は、プラオー(炊き込みごはん)とバクラーサーラン(山羊カレー煮込み)とローティーの作り方を教わりました。

※作り方(写真をふんだんにアップします)は後日アップします。(パキスタンアルバム)

もしも奥さんがいたら、ここまで詳しくは教われなかったのでは・・・というくらい丁寧に見ることができましたよ。

約1時間強で、3品が出来上がってしまいました。は、は、はや~い!    

美味しい料理でした ←料理のほかにも面白いことがいろいろ・・・

で、家族のみなさんといただきましたが、めちゃくちゃ美味しかったです。すごいシンプルな作り方やったのにね。
もう、心ゆくまで食べ尽くし(笑)ました。
サーラン(カレー煮込み)は、「パキスタンスタイルで」とお願いしたので私にはとても辛かった・・・・汗がポタポタ落ちまくっていたんですけど、それでもどんどん食べたくなる、そんなうまさでした。

ごはんの作り方を学べて、しかも美味しい思いをしただけでなく、ファズールさんの子どもたちがめんこかった
(←北海道弁)のは印象的でした。
おねえちゃんは、ファズールパパの言いつけをよく守って手伝いをしていたし、
2人の息子たちはやんちゃだけど仲がいいし、もう一人の娘さんはお友だちを連れてきて楽しそうでしたしね。
お姉ちゃんと弟 家に作られていた手製のブランコ 

※まさに「ウルルン滞在記5時間バージョン inパキスタン(笑)」ってな感じでした。

ごはんをたべ、オカリナを吹き、折り紙を折ったりして楽しんだあとは、近くの公園まで散歩がてら出かけました。

ファズールさんたちが住んでいるのは、日本とおなじような団地なんですが、もう至るところに子ども・子ども・子どもの
遊ぶ姿が。
ファズールさんとこの子どもの写真を撮ろうとしたら、あちこちから子どもがワラワラと集まってきました(笑)。

近所の子どもたちと ←やんちゃ&おてんばな子どもたちも写真を撮るときはま・じ・め(笑)。

そういえば、「写真を撮りに行くよ!」って言ったとたん、娘さんたちは化粧したり着替えをしたりでおめかししていたし、
みんな写真を撮ってもらうことは大好きだし特別なことなんですねぇ。  


お宅訪問(3) 
2004年2月3日(火) 快晴 (何も食べず)(ガエー(牛)のカレーやチャーワルなど)

今日はイード2日目。
近郊の村に住むターヒルさん宅におじゃましました。
ターヒルさんは、活動先のセンターで竹工芸を教える先生です。
N友さん・Hとみさん・O本さん・・・などの歴代の先輩方といっしょに仕事をしてきました。

これまで、何度もお誘いをうけていましたが、今回ようやくターヒルさん宅にお邪魔することができました。

ターヒルさん宅は、とてものどかなガオーン(村)の中にあります。  

ターヒルさん宅 ←牛や鶏などがフツーに寝そべっていたりするのんびりさ。

数家族と一緒に住んでいて、ターヒルさんいわく今は13人の人と住んでいるそうです。   

ターヒルさんとノート ←いろいろな思いでができました。

早速、ターヒルさんが見せてくれたのは、1冊のノート。

そこには、N友さんがターヒルさんの家にくるたびに教えていた日本語の文章がきれいに書かれていました。

ターヒルさんは日本語をとても上手に話せるのですが、それはこのノートをもとに何度も何度も練習したからだそうです。

N友さんは1995年~1998年まで活動されたパキスタン初代隊員です。

それから5年6年たってもそのノートが大切に大切にされている・・・協力隊員の醍醐味のひとつではないでしょうか。

お昼前から夕方まで、次々と来る村の人とおしゃべりしたり、オカリナ吹いたり、折り紙を折ったり、あやしいインドビデオ
CDを見たり、生け贄のガエー(牛)のカレーやごはんを食べたり・・・とのんびりしながらもとっても楽しい時間を過ごす ことができました。

笛を吹く加藤さん ←笛を吹くK藤さん

イスラマバードはパキスタンの首都だけあって、国の威信が現れるのでしょう、
きれいな店が建ち並び、清掃も行き届いています。
協力隊員の住む住居も、アフリカなどの電気のない生活から比べるとはるかに恵まれた環境になっています。

協力隊活動が充実するもしないも、自身の心がけってのが大きく関わると思いますがそれにしても恵まれすぎている
だからこそ、同じイスラマバード圏でもガスは来なくて、電気ももったいないので最小限度・・・みたいな慎ましい生活を
しているガオーン(村)の生活はとっても魅力的です。

今日はターヒルさんの兄弟・親戚を中心にお会いしたのですが、気のよいのんびりした人が多いなぁという印象でした。

ブルーエリア(オフィス街)あたりで仕事をするスタイリッシュなパキスタン人とは違うように感じました。

そして、何よりも任国を離れて何年たっても、現地の人の思い出に残る・・・なんて素敵なことかと思います。

ターヒルさんとの付き合いも大切に、そして残された1年半の任期でさらに多くの人と出会いたいなぁ。


お宅訪問(2) 
2004年2月2日(月) 快晴 (パンなど)(生け贄の山羊のカレージー(内蔵カレー)など)

今日から3日間、パキスタン全土は「犠牲祭(バリーイード)」一色になります。

朝8時、Sほちゃん(15-2:コンピュータ技術)と連れ立って、シーミー先生の家に到着。

しばらく、居間で休ませてもらっていると、「庭へ来て」とお呼びがかかりました。  

庭には、生け贄のバクラー(山羊)が1頭。それにさばく職人さんが2人。
シーミー先生のだんなさんが「ビスミッラー・・・」と繰り返し唱える中、バクラーはさばかれていきました。

捌かれる直前の山羊 道具の包丁など 

※家族で順番に生け贄をさばくこともありますが、職人さんをよんでさばかせることもあるようです。

※詳しくは、「パキスタンアルバム」のコーナーをごらんくだい。
いままで動物を屠殺する様子をみたことがなかったので、
生きるものがその生を終えようとする姿(鳴き声など)に感慨深いものを覚えながら見ていました。

さらに、通りへ出ると、ご近所さんどうしで共同購入したガエー(牛)をあちこちで屠殺していました。

・・昨日今日はバクラーやガエーの動物独特のにおいや血のにおいをあちこちで嗅ぐ日となりました。

※びっくりするのは、あとかたづけのきれいさ。通りの道路でさばかれていたりしますが、しばらくして同じ場所に行って
みるときれいにかたづけられて、多少の血だまりがある程度。それがなければ何があったかわからないでしょうね。

さばかれたバクラーやガエーの肉は、親戚や近隣の人、それに貧しい人に分け与えられます。

シーミー先生やだんなさんが、さばかれた肉の部位を見ながら「これは・・・さんに」「これは・・・さんに」と相談しながら分けていました。
そして、自分たち用にとっておいた肉を使って早速料理がはじまります。
 

カレーで調理中←てぎわよく、バクラーの肉が料理されていきます。

バクラー(山羊)の肉を使ったカレーや炊き込みごはんをいただきました。
新鮮な肉を使っていることと、香辛料をたっぷり使っていることもあって、美味しくいただきました。
目の前でさばかれたバクラーが程なくして食卓に並ぶ
・・・こうした経験はKTC(駒ヶ根訓練所)で仲間がさばいた鶏を食べて以来のことでした。

K藤さん(14-3・木工)も合流し、シーミー先生宅でゆっくりくつろがせてもらいました。

帰り際には、それぞれに服などのイーディー(贈り物)をいただき、帰ってきました。 1日中、街は人通りやクルマは少なく静かでしたね。


お宅訪問(1) 
2004年2月1日(日) 快晴 (何も食べず)(サブジーチャーワル)(白菜の煮物など)

いや~、今日はおもしろうございやしたよ。・・・え、何でかって?話しますがな、奥さん(笑)。

今朝は9時前に家を出ました。先週の雨続きの日々とは一転、すんばらしい快晴。空気も澄んでいる気がします。

向かった先は、同じ住宅ブロック内のケンケン(15-1・作業療法士)宅。今日は、ケンケンのお引っ越しの日です。

ナルナル(14-3・理学療法士)も合流し、2階から1階に荷物を降ろします。 せまいらせん階段で足を踏み外さないよう気をつけながら。
荷物を降ろしきったあと、近くのマーケットで客待ちしているスズキの軽トラックをチャーターしに行きました。
いつもは10台近くいるのに、今日はイード前日で故郷に帰っちゃった人もいるようで2台だけ。
で、こんな時は値段も高くふっかけてきやがった(笑)。
普通100ルピー(200円)が、初めの言い値が200ルピー(400円)。

「イード価格だ」との訳の分からん理由で(←これもよくある話)。
結局150ルピー(300円)で落ち着きましたけどね。
50ルピー高いかわりに、いつもより大きめのトラックをチャーターできました。
ケンケンの家に戻って荷物を積みます。

引越しのようす 街中を疾走中
  

トラックの荷台に乗って、イスラマバードの街を疾走するのは気持ちよかったなぁ。うっかり腕まくりして乗っちゃったので、
冷たい風にさらされて真っ赤になってましたが(笑)。   

荷物を降ろしてひと息ついたところで、こんどは職場の同僚の先生宅に遊びに行きます。

今日おじゃまするのは、服の仕立て(テイラー)クラスのおばあちゃん先生のところ。←名前おぼえていない(笑)。

いっつもにこにこおだやかなおばあちゃんで、とっても大好きです。
G10/3という初めての場所ですが、住所も教えてもらったし、じきに着くべ・・・ってあれ、どこにあんだろ、
ばあちゃんの家?えっと、あ、すんません(と、通りがかりの人を呼び止める)、 「・・・・」って住所はこの近く?、え、こんな住所はない?
そ、そ、そんな~。・・・・小1時間、あっちでもないこっちでもないと歩き回っていました。

でも、実はこういう見知らぬ街で、古畑任三郎ばりにカンを働かせながら家を探し当てるのって大好きなんです。

ちょうど、ここらへんだよなぁと見当をつけて歩いていると、上の方から「とせ~(とさのなまり?)」っとおばあちゃんの声が。

おばあちゃんのお家は、日本と同じような団地の2階にありました。6畳ほどの大きさの部屋が3つ4つくらい。
ベッドやいくらかの家具があるくらいで、とても質素なお家でした。
で、おばあちゃん、ホントに来るかどうかもあやしい日本人のためにちゃ~んとごはんを作ってくれていました。  

混ぜご飯風カレー ハルワー

じゃがいも・にんじんがたっぷりはいったサブジーチャーワル(野菜カレーごはん)はいつ食べても美味しい。

「マザーアーヤー(美味しいよ!)」っておばあちゃんに言うと、 「とせ~、じゃ、学校に作って持っていくからね」とうれしいことを言ってくれました。

そのあとは、家にいたお孫さんかな?に折り紙を折ってあげたり、オカリナを吹いたりと楽しい時間を過ごしました。  

ご家族のみなさんと←おじいちゃんも数学の先生をしていたそうな。

ひとしきり過ごしたあと、おばあちゃんに連れられて別の家にハシゴ(←これも、パキスタンではよくある話)。

そちらでも紅茶やお菓子をごちそうになりながらおしゃべりを楽しみました。
※いままでお邪魔したお家での経験では、おしゃべりがいちばんの娯楽でした。
ごはんやお茶を楽しみながら、あーでもないこーでもないと、おしゃべり・おしゃべり・おしゃべり。
街のあちこちでは、バクラー(山羊)やガエー(牛)をひいて歩いていたり、軒先につないでいたりしてました。
明日は、朝から犠牲祭の様子を見に行く予定です。

※夜、ジンナーマーケットに行ってみました。昨年11月下旬のラマザーン明けのあのにぎやかさを覚えていたので、
期待でワクワクしていましたが、意外や意外、人出はそこそこですがきらびやかな飾りも少なく、閉まっている店も結構 あったりで地味でした。残念。

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初版 2004年02月01日  最終更新日 2006年02月