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読みづらいレイアウトになっているかと思いますが、ご了承ください。
バリーイード2日前
2004年1月31日(土) 雨のちはれ (何も食べず)(アールーゴービーその他いろいろ)
本日の出席生徒(自クラス)・・・2人(12人中)
年末年始の13連休が終わってまだ1ヶ月も経っていないのに、
明日からその次の日曜日にかけて8連休がやってきます。
今回の連休は「バリーイード」によるもの。「犠牲祭」とも呼ばれる一大行事です。
Eid-ul-Adha 犠牲祭(日パ旅行社のHPから) http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/tokushu06.htm
やはり前回のチョーティーイード(小イード=11月下旬のラマザーン明け)と同様に、 街中を走るクルマが少なくなってきました。
学校によっては、今日から休みに入っているところもあって、スクールバスはほとんど見かけませんでした。
マーケットでは、靴や服がさかんにバーゲンセールをしてますし、イーディー(お年玉)用にピン札に両替する人もいたり
します。そして、おとといの日記でも紹介したように、街のいたるところでバクラー(山羊)を売っていたりします。
今日、仕事帰りに生け贄用のでっかい牛が逃げだして道路を逆走しているのをみちゃいました。。。。。。。
2人しか登校しませんでしたが、14:00までみっちりと関わっていました。
日本からはるばる来たってことを考えたら、もっともっと多くの子どもと関わりたいけど、愛情をいっぱい注ぐにはまずは
時間が必要です。そんな意味では、手応えのある1日でした。
今日は、授業の合間をぬって、同僚の先生方とイード中にお家に遊びに行く約束をあっちこっちのクラスでしてきました。
ですので、明日から4日間はそのレポートをお届けしたいと思います。私もとっても楽しみにしていますよ。
グッサー
2004年1月30日(金) 1日中あめ (何も食べず)(サーグ=ほうれん草カレーなど)(白菜の煮物)
昨夜来、雨が断続的に降り続く1日でした。雨の日&金曜日ということで、
本日の出席生徒数(自クラス)・・・4人(12人中) ←1人増えて、12人学級になりました。
という少なさでした。
さて、「グッサー」とタイトルに書きましたが、ウルドゥ語で「怒っている」という意味です。
では、誰が、何に?
それは、シーミー先生が、バリーマダム(校長)に対してです。
昨日、11時のブレイクが終わってから職員会議がありました。今回の会議はバリーマダム(校長)が招集しました。
※以前の日記で、バリーマダムが非常にやる気であると書きました。 まさにその通りで、毎日様々な指示や働きかけをしています。
この国もトップダウンの国ですので、(たとえ不服があっても)校長の指示には必ず従います。
この会議、14:00の放課までの2時間ぶっ通しで行われたのですが、そのうちの95%は校長先生のお話でした。
校長先生の話をすべて聞き取れたわけではありませんが、大要次のようなことが指示されました。
●生徒の出席率が芳しくない(140名在籍中常時60~70名程度)。
出席していない生徒への家庭訪問や、口頭ではなく文書での(欠席の)届け出をさせるように。
●プロフェッショナルとしての仕事をするように。そのための努力を惜しむな。
●授業時間中に校内をウロウロする(知的障害の)生徒をきちっと教室に居させるように。
筋の通った話なのですが、実際の話の場面では先生の監督不行届きの部分を詰問するシーンもあったのでした。
で、「授業中にウロウロする生徒」のひとりに、うちのクラスのシェヘザード君がいるわけです。 先週、彼が別のクラスのドアを蹴破って壊してしまったことを、
校長先生は怒っていて、「これは先生が彼を見ていなかったせいだ」と責めたわけです。
そして、彼があっちこっちに行かないよう、トイレに行くときは彼に先生がくっついていけとまで指示されたのでした。
障害の度合いによっては、常時の付き添いが必要な子どもが居るのは確かです。
しかし、うちのセンターに通ってくる生徒は自分でバスの乗り降りや食事・排泄などの身辺自立がある程度できている子どもたちばかり。
シェヘザード君の場合も、彼独特のこだわりはあるし、注意が必要な子どもではあります。
「でもね・・・・」とシーミー先生が話します。
「あの子は2年前に来たときは、もっともっとひどかったのよ。もう学校といわず校外に出て行っちゃうし、トイレに入ったら
入ったで2時間も出てこないし・・・・それからいまではとってもいい子になってきたのよ・・・・そうした事情や、手のかかる
子どもを教育することがどれだけ難しいかを、バリーマダムはわかっていない!!」
その話から、うちのクラスの生徒の話へと移っていきました。ビラール君は入学した数年前は壁に頭をゴンゴンぶつけるな
ど自傷することでとっても苦労したこと。アリ君は前の学校で、あまりに手のかかるので先生がいないときは教室に鍵を
かけて閉じこめられていたこと。
・・・などなど、いま目の前にいる子どもたちがこれまでそんな仕打ちを受けてきていた
のかと、びっくりさせられる話ばかりでした。
で、アリ君のお母さんは「この学校では、”ムハバット セ”=愛情を持って接してくれているので、これからもお願いし
たい」とシーミー先生に話していたそうです。
北海道で先生をしていたころ、向山洋一先生の教育技術の法則化運動に興味をもった時期があり、
向山先生の本を読んだものでした。
向山先生がこんなことを書いていました。
「愛のない教育技術は危険だし、愛だけで教育技術のない教育は盲目である(確かこんな感じ)」
協力隊員の要請の目的に「技術の伝達・移転」などがあると思います。
世界各地の協力隊員はいろいろなアイデアを駆使して現地の方々とよりよい生活・仕事環境の改善に取り組んで います。
私も日本の障害児教育のノウハウをベースに、パキスタンの障害児・者教育向上の一翼を担っているわけですが、
いちばんのベースは、いま目の前にいる子どもたちにいっぱいの愛情を注ぐことだと感じています。
いままで、身近な子どもを突然なくした経験からもそう強く感じます。
いっぱいの愛情を持って、そのベースの上にパキスタンの人々にあった教育技術・アイデアを作り上げていきたいもの
だと、シーミー先生の話を聞きながら感じていました。
バクラー
2004年1月29日(木) くもり夕方雨 (何も食べず)(生にんじん&フライゴーシュトカレー&ケーキ)
昨日、生ニンジンをかじっていたことをお話ししました。
「いや~、このニンジン美味しいね」
と心にもないこと(笑)を言ったために、今日は生ニンジンを4本食べました(苦笑)。
※すんません、私、ニンジンが好きじゃないんです(笑)。。。でも、食べてみたら青臭さはあるけど甘かったです。
今日は、偉いさんの視察があるかも・・ということで、
イムテハーン(試験)はしないで、普通の織物の作業などをしていました。
でも結局そのお偉いさんは来ませんでした。 ←パキスタンではよくある話です、はい。
14:00で仕事が終わった後、JICA事務所に行きますと、ちょうどK本さん(旧調整員)のお別れパーティーがはじ
まるところでした。
K本さんは、今日でJICA事務所の仕事納めで、月末に日本に帰国されます。
改めて、K本さん、おつかれさまでした。・・・まずは無事に日本に帰国されてごゆっくり休養ください。
さて、JICA事務所から歩いて帰る途中に、こんな光景にでくわしました。 ←いったい何かというと・・・・・・・・
←犠牲祭(バリーイード)で生け贄としてささげられるバクラー(山羊)販売中。
※イスラーム暦の12月はハッジと言い、メッカに巡礼をする月となっています。
その巡礼が終わった後にこうした家畜を
生け贄として捧げ、神に感謝をします。
その時期をバリーイードとも言ってます。アフリカではタバスキといいましたっけ。
今日は、街のあちこちでこうしたバクラー売りをみかけました。
←自分の運命を知ってか知らずか、おとなしいなぁ・・・・・
上の白いバクラー(体長1mくらい)で1頭5000ルピー(約1万円)です。
いよいよ、来週月曜日から3日間「バリーイード」です。ってことで、またまた学校は連休です。。。。。。。
イムテハーンその2
2004年1月28日(水)くもり (ロールパン)(ダールチャーワル)(白菜の煮物みたいなやつ)
さてさて、今日も試験です。
子どもたちは「イムテハーン(試験)」より「ペーパー」という言葉を使ってますね。
今日は「General
Knowledgement」・・・一般教養と言ったらいいでしょうか、その試験です。
朝、ひとりひとりにペーパー(試験用紙)が渡されました。
すげぇ~。2人ほどできない子はいますが、みんなえんぴつ片手に真剣に取り組んでいます。
問題用紙は2枚ありました。
1枚は、ABCなどの書き取り。点線をえんぴつでなぞるという課題です。これはよくできていました。
もう1枚は、5問の設問になっていました。これは、みんな筆記では答えられなかったので、後でシーミー先生が 口頭試問で確認していました。
で、どんな問題か気になりますよね?きょうも(笑)。・・・うちのクラスバージョンの問題をお教えしま~す。
1:私たちの国の名前は何?・・・(答え)パキスタンです。
2:私たちの国は誰がつくりましたか?・・・(答え)カイデ=アザム(建国の父ジンナーの尊称です)がつくりました。
3:私たちはみな、だれですか?・・・(答え)私たちはみな、ムサルマーン(イスラム教徒)です。
4:あなたのフルネームは何?・・・(答え)それぞれのフルネームを答える。
5:あなたの家はどこですか?・・・(答え)ピンディー(ラーワルピンディーのこと)とかG10(イスラマバードの区画)とか。
←試験のようす
きょうびっくりしたのは、シェヘザード君(上の写真の左手前の子)。
彼、線は書けないと思ったのに、
ちゃんとABCのなぞり書きができていたんですよ!ほんとびっくりしました。思いこみはいけないですねぇ。
いま、シャミーンさんは、スクールバス添乗のために朝6時に家をでています。
ですから、昼ご飯の支度ができないこともあります。
で、「とささん(←こう呼ばれることもある)、これがひるごはんよ」といって見せてくれたのが、ナマのニンジン(笑)。
冗談かと思いきや、シャミーンさんとシーミー先生、ホントにぼりぼりかじりはじめました。
で、ぼくもいっしょにまるまる1本かじらせてもらいました(笑)・・・甘くて美味しかった。・・・は言い過ぎかぁ(笑)。
イムテハーン
2004年1月27日(火) はれ (何も食べず)(カレージー=鶏肝カレーなど)(ダールチャーワル)
新年になってはじめて、フェイサル君が登校してきました。
彼の兄(同じセンターの生徒なんです)からは、休み中に交通事故にあって家で療養していると聞いていました。
今日のフェイサル君は顔色がちょっと優れないのですが、まずまず元気そうです。
←事故の様子を、シーミー先生に話しています。
しかし、話を聞くとなんでも彼の乗っていたクルマがトラックと接触したとのこと、幸い大けがにはならなかったのですが、
かなり危機一髪の状況だったようです。ほんとによかったよかった。
さて、今日からイムテハーン(試験)がはじまりました。
1日1科目で土曜日までの5日間実施します。
※うちのセンターでは1年に3回試験をしています。9月・1月・そして3月。
試験後には通知票を渡しています。
さて、今日の試験は「イスラミアート」。イスラームの教えの理解度をテストします。
←シーミー先生が1人1人に口頭試問で答えさせます。
日本のみなさんにはなじみが薄いと思いますが、パキスタンは人口の97%がイスラム教徒で、イスラム教が国教です。
キリスト教などの他の宗教を信じることは禁止されていませんが、公立学校ではイスラームの教えを学ぶ時間が設け
られていますし、イスラームについての試験もあります。
さて、どんな問題が出たか、気になりますよね(笑)?ですので、うちのクラスバージョンの試験問題をお教えします。
1:私たちはだれですか?・・・(答え)私たちはムサルマーン(イスラム教徒)です。
2:世界は誰がつくりましたか?・・・(答え)フダー(神=アッラー)がつくりました。
3:1日にお祈りは何回しますか?・・・(答え)5回します。(←それぞれに名前がついていてそれも答える)
4:ムサルマーン(イスラム教徒)が唱えなければいけないことばは何?
(答え)ラーイラーハイッラッラー ムハンマドラスールッラー とか ビスミッラー・・・などいろいろあります。
5:断食(ローザ)は何日しますか?・・・30日です。
うちのクラスでは、これを全部答えることのできる子は3~4人です。
あとは会話できなかったり、一部しか知らなかったりという感じです。
このテストについては100点満点で採点し、40点が合格ラインになっています(うちのクラスでは)。
合格ラインといっても、日本の学校のような落第があるわけではないので、試験ものんびりした雰囲気でやっています。
1人1人に口頭試問で答えさせた今日の試験は30分たらずで終了。あとは普通にいつもの活動をしていました。
今日は、14:00の放課の後、JICA事務所に寄り、バリーバスで家の近くまで帰ってきました。
バスを降りてふっと前を見ると、白いファイサルマスジッド(パキスタン最大のイスラーム寺院)が
夕日にちょっぴりホォを赤らめてそびえていました。とってもきれいだったので、パチリとデジカメに撮ってみました。
PTA
2004年1月26日(月) はれ (何も食べず)(ローティ&ダールなどいろいろおすそ分け)(スパゲティなど)
本日の出席生徒(自クラス)・・6人(11名中)
天気が良くなったこともあって、先週よりは多く出てくるようになりましたが、12月の頃と比べてまだまだの調子ですね。
10:30すぎから、親御さんたちが来校し、校長・教員を交えてのミーティングが開かれました。
私が昨年8月に活動を開始して初めてのPTAの会合です。親御さんの数はざっと25人くらいでした。
はじめに「ビスミッラー~」ではじまる言葉の唱和ではじまりました。
※「ビスミッラー~」はすべての物事のはじめに唱える言葉です。テレビのニュースのはじめも「ビスミッラー」。
タクシーに乗って発車するときもドライバーは「ビスミッラー」とひとこと。いただきますのかわりに「ビスミッラー」。
つづいて、ペシャワールに転勤になっていたトフィール先生がこの会合のために戻ってこられて、
PTA人事についてのお話があり、そして、校長先生のお話。
・・・・小1時間ほどの長い話になってましたです(苦笑)。
大要は、学校と父母が連携して子どもたちのために良き教育をしていこうというものでした。
途中には、JOCVのボランティアの私たちも自己紹介させてもらいました。
1人1人自己紹介するたびに、校長先生が「このボランティアはとても一生懸命に仕事をしてくれています。」と
フォローしてくれるので少し気恥ずかしかったですね(笑)。
うちのクラス関係では、アサド君・アリ君の親御さんが来ていました。
2人とも肢体不自由の障害があるので、ぜひとも家庭での療育が必要です。
次回、学校に来られたときにお話することとなりました。
今日は先生方からごはんをいろいろおすそ分けしてもらいました。ルクサーナ先生からは美味しいチキンプラオーを。
ヤスミーン先生からは中華風スープを。シャミーンさんからはダール(豆カレー)を。 2時までにすっかりお腹いっぱいでした(笑)。
贈りもの
2004年1月25日(日) はれ (何も食べず)(サンドイッチ)(スパゲティなど)
昨夜の新旧調整員さんの歓送迎会を心地よく過ごさせてもらったあと、夜半に自宅に帰宅。
ひと寝したあと、昨日ドミに届いていた贈り物をじっくり見させてもらってました。
人生の中で2度と経験できない協力隊生活では、いろいろなことを経験したいと思っていますが、
世界の各地で活動する仲間とEメールだけでなく手紙やちょっとしたモノをやりとりするのはとっても楽しいものです。
私のもとに届いた便りには、途中経由してきた消印が押されていますが、 それを見ながらどうやってここまでやってきたのだろうと思いめぐらすのも楽しいです。
雨はすっかりあがりましたが、朝晩はいっそう冷え込んでいた1日でした。
ポリオ
2004年1月24日(土)雨 (何も食べず)(ローティ&チャナ豆カレー)(みんなの持ち寄り料理をたらふく)
世界的には根治の状態にあるポリオですが、パキスタン・バングラデシュなど南アジア圏ではいまだ流行しています。
※ポリオ:経口でウィルスが体内に侵入し、神経系を侵して四肢の麻痺などを引き起こす。 パキスタンでは繰り返しポリオ
ワクチンの投与の運動を政府がすすめている。
協力隊の職種に「感染症対策」があり、ポリオ対策の活動に従事する隊員もいます。
私のクラスのアサド君もポリオによって、四肢がうまくコントロールできず、またことばもどもりながらしかしゃべることができ
ません。
知的発達も遅れていて、暗記をしたり計算をすることが上手ではありません。
私のクラスの生徒は11人ですが、就労できそうなレベルの子はいません。それぞれに異なった課題を抱えています。
アサド君の場合は、手先の機能が未分化の状態でしかもふるえを伴っているので字を書くことやひもを結ぶということ
もできたりできなかったりです。
それで、彼とのストレッチ運動の取り組みでは、両手の指のコントロールが円滑になる ように、 こんなことをしています。
←手前のふっとい手は私の手です(笑)。
おたがいの手のひらをぴったりくっつけます。
そして、親指→人差し指→中指→薬指→小指 と順番に押し合いっこをしま す。
彼の場合、指先はまだ未分化の
状態ですので、それぞれの指でうまく押し返すことができません。
できても頭の指令 が指先に伝わるのに時間がかか ります。
それでも、一生懸命努力していますね。
日本の学校ですと、いろいろな器具がそろっていて訓練(自立活動)の方法には事欠かないのですが、
たとえモノがなくても、コンビニ人生で便利さに慣れきった思考回路を捨てて、手間ヒマかける道を選べば意外にいろ んな方法がみつかるな
ぁと、最近活動していて思います。
夜は、ドミトリー(隊員連絡所)で、新旧調整員さん・次長さんの歓送迎会がありました。
みなで料理を持ち寄り、ほぼ全てのパキスタン隊員が集まっての素敵な一夜でした。
ドゥアー(祈り)
2004年1月23日(金)雨 (何も食べず)(サモサなど)(スパゲティ)
昨年の7月に来て、イスラマバード生活は6ヶ月を過ぎたのですが、今週ほど雨の続く日は経験したことがありません。
今日も1日中降っていました。時にはかなり激しく。
インフラが整備されたイスラマバードでも、雨が降ると通りに水があふれ、歩行者の通行は困難になります。
そして、こちらに来てびっくりしたのは傘をさす人が少ないこと。ずぶぬれで歩いている人を見ることも少なくありません。
ですから、けっこう英外来語を使っているパキスタンの人に「アンブレラ(傘)」という英語は通じないことが多いです。
※ちなみにウルドゥ語では傘のことを「チャトリー」といいます。これだと通じます。
さて「メモ帳」でも紹介してきましたが、先週、1人の女生徒が突然高熱を発して亡くなりました。
彼女を悼んで朝9時から彼女が勉強していた教室で「ドゥアー(祈り)」の集会が開かれました。
日本の学校の教室ほどの広さの部屋に白布が敷かれ、まず1時間半ほどの間、クルアーン(コーラン)が読誦されま した。
昨年の9月にも「チェヘラム」と呼ばれる死後40日の追悼式に参加したことがありますが、そのときは男女別室でした。
今日は、先生も生徒も男女一緒に祈りを捧げます。
※クルアーンをまだ覚えていない生徒などは、参加しないで各教室で普通に活動していました。
ひとしきり、クルアーンの読誦が終わった後、それまで参加していなかった先生・職員・生徒も集まり、マンターズ先生
のリード(祈りのことばを読誦する)のもと約5分ほどの間祈りを捧げ、彼女の冥福を祈りました。
その後、シーミー先生たちが用意していたお菓子の袋を生徒たち1人1人に配って会は終わりました。
この祈りの場に、シェヘザード君も連れてきました。15分ぐらいでしたが神妙な面持ちで座っていたのは印象的でした。
ガル ジャーナー
2004年1月22日(木)雨 (スパゲティ)(およばれのチャーワル)(スパゲティ)
雨は1日中断続的に降っていました。今日も生徒の登校は少なく、
本日の出席生徒(自クラス)・・・・2人(11名中)
とわずかでした。が、今日は登校してきた2人について、それぞれちょっとしたことがありました。
まずは1月12日の日記にも登場したシェヘザード君。
彼独特のこだわり(回るもの、水にこだわるごみを集めてかばん
にしまう)があって自閉症を疑っていたのですが、ストレッチをするので「シェヘザード!おいで!」と言うとすっとやってき
て、ほんの3~4分ですが、手をつないで一緒に運動をすることができます。
しょっちゅう席を立ってあっちこっち行く困った子(笑)ではありますが、最近コミュニケーションがとれるようになってきて、
取り組める活動種がひろがるかな・・そう思っています。 ところが11時からのブレイクタイム中、別の教室で先生方とお茶をしていると、何かが壁にぶつかる大きな音がし、
その後彼のほえる声がしました。教室の方へ行くと、事務のファズルさんに呼び止められました。
聞くと彼が別の教室のドアを何回も蹴り上げてドアを壊したとのこと。見ると、確かに尋常じゃない強い蹴りを繰り返した
おかげで、分厚いドア下部の合板が蹴破られていました。(本人にケガはないようです。)
せっかく先月化粧直ししたばかりのドアが壊れたのですから、校長先生はカンカンでした。
でも、いままで、そのような破壊を伴う行動はしたことがないので、きっと何かそうしたくなった訳があるはずなのです。
そして、もう1人は、1月17日の日記に登場したアリ君。
今日は朝からしきりと「ガル ジャーナー(家に行く=帰る)」と
言い続けていました。そして、1時間に3~4回とトイレに行きます。
そして、ストレッチの運動以外には全く活動に身が入らないので、これは何かわけがあるなぁ・・と時間をかけて聞いて
みました。
すると「服の仕立てのことをしてみたいので、服の仕立てのクラスに行きたい」と話してくれました。
彼は12月の途中から来た生徒で、まだまだ彼の人となりは十分に理解できてはいません。 ですから、彼の本当の気持ちがそこにあるのかは判断しかねています。
彼の障害の状態では、仕立てクラスの内容をすることは難しいので、私のクラスでもう少し仕立ての基礎的な課題に
取り組むか、別のクラスにしばらくの間預かってもらって様子を見るか、親御さんが来たときに話してみようと思います。
とまぁ、14:00までの短い活動時間のなかでも結構いろいろなことが起こったりしています。
私の活動先は障害者に職業を授ける目的で設立されました。私のクラスの教室にも「よくここまでできたなぁ」と感心す る作品がかかっていたりします。
ただ最近は障害が重かったり、小さい頃からうまく育てられていなかったために身体能力は普通にあっても字が書けな
かったり靴のひもが結べなかったり、ボタンをかけはずしできないという子が入学してくるようになりました。
16~7歳の生徒に、字の書き方・靴のひもの結び方・ボタンのかけはずしの仕方を教えるのは
大変な根気が入りますし、果たして習得できるだろうか・・と不安になったりします。
そんなとき思うのは、今までの子どもたちとの出会いです。
いま、私のやっていることが将来の生きる力に結びつくのか、
その時にならないと本当の答えは出ないけど、いまある限りの愛情を注いで出来うる限りの心配りをしていこう、 そういう気持ちで活動にむかっています。
チャーワル(ごはん)
2004年1月21日(水)雨 (何も食べず)(ダールチャーワル)(じゃがいもと玉ねぎの煮込み)
夜半から冷たい雨がしとしと降っていました。で、こんな日は・・・・・
本日の出席生徒(自クラス)・・・4人(11名中)
12月の今頃は11名全員来ていたことが普通だったので、寂しい限りです。
雨脚は、お昼過ぎには激しくなったりしていました。
近郊のマリー(避暑地)では大雪だとか。
今日も1人1人にゆっくりストレッチを介助したり出来たので、活動としてはまぁまぁの1日でしたがもうちょっとにぎやかな 方がいいですねぇ。
昼ご飯は、シャミーンさんが作ってきてくれたり、となりの特別教育省のチャエハーナー(小食堂)で買ったりしています。
11時からの休憩時間なので、軽く食べる人、普通の食事をする人、全然食べない人、いろいろです。
私は、同僚の先生に入れてもらった紅茶を飲みつつわりとしっかり食べている方ですね。
(ってより、作ってきてもらっていることが多いので、ありがたく全部いただいているのですが(笑)。)
今週に入ってから、校舎玄関のそばに1台の屋台が置かれるようになりました。
何でも、元生徒の親御さんらしいのですがサモサやらチャーワルを販売しています。
シーミー先生やシャミーンさんが「ここのチャーワルはとっても美味しいのよ」と言っていたので今日買って食べてみました。
※中皿にどんぶりに軽く1杯分のごはんが盛られています。上にはダール(チャナ豆のカレー)がかかっています。
ヨーグルトなどで作ったチャットニーをさらにかけて食べます。小サイズで5ルピー、普通はだいたい10ルピー(20円)。
←特別教育省のとこの店のチャーワル。素朴で辛くなく好きです。
したらねぇ、なまら美味かった美味かった!(←思わず北海道弁(笑))
ごはんがしっかり味付けられていて、さらにダールもチャットニーもきちんと作られていて、濃厚な味わい。 しかも値段は10ルピー(20円)。
パキスタンに来て半年が経ちますが、
美味しいパキスタン料理は
1流料理店<<街角のチャエハーナー<<家庭の手作り料理
ってゆう感じがします。
1流料理店のは美味しいんだけど、毎日食べたいとは思いません。
香辛料も香草もほどほどな街角のチャエハーナーの料理は、ちょうど物足りない感じがかえって飽きが来なくて毎日食べられます。
でも、今日の手作り風のチャーワルは美味しかった。
どこの国でも、美味しい料理は誰が食べても美味しいんだろうなぁ・・・そう思ったのでした。
初版 2004年01月21日 最終更新日 2004年01月