Function(催し物:パキスタンの支援学校イベント:2005年2月)

初稿:2005年2月3日 更新:2018年6月12日(「子どもたちへのプレゼントDAY」改題、写真追加・再構成)

Function(ファンクション:催し物)

協力隊で活動した障害者職業訓練センター、支援学校を対象に時折イベントが開催されました。

・政府、企業が主催し、子どもたちは演技や歌を披露、プレゼントをもらう。
・国際障害者デー(12月3日)などを記念したイベント。
・公園に仮設遊具や出店を設置して、子どもたちを招くイベント。

などいろんな種類がありました。それらをFunction ファンクション(催し物)と呼んでいました。

ラーワルピンディで行われたファンクション(催し物)。所属先の訓練センターの女子学生たちが曲に合わせて歌を歌ったり演技をした。私もオカリナではなく。アルトリーコーダーを吹いている。(2003年9月)

イスラマバード市内の公園で行われたファンクション(催し物)。仮設遊具を設置し子どもたちが興じている(2004年2月)

2005年2月の政府主催ファンクション

この日は朝礼もそこそこに、スクールバスでイスラマバードにある聴覚障害のある子どものための学校(シャーファイサル:HIC/Hearing Impaired Children)に向かいました。
その学校にイスラマバード圏の障害児教育諸学校の子どもや先生や集まり、歌や踊りを披露するためです。

会場のシャー・ファイサル特別支援学校(2005年2月)

↑会場校は市場や住宅地からやや離れた閑静なところに建っています。どことなくアラビア風のデザインが取り入れられなかなか重厚でしゃれた造りになっています。

イベントの大ポスター(2005年2月)

خوشی کا دن フシ― カ ディン(HAPPY DAY)とプリントされたポスターが貼られていました。
今回のファンクションは、PTCL(パキスタン・テレコム:当時政府系通信企業)の後援となっていました。

大きなイベント宣伝ポスター(2005年2月)

2005年当時は、ムシャラフ政権の全盛期。
↑の巨大ポスターの真ん中に写っているゴールド系のドゥパッタ―をまとった女性は、ズベダ・ジャラール教育相(当時)。ムシャラフ政権のスポークスマン的な存在で、新聞やテレビで見ない日はない、有名な方でした。

Wikipedia(EN) Zubaida Jalal Khan
https://en.wikipedia.org/wiki/Zubaida_Jalal_Khan

会場のようす(2005年2月)

↑ざっと見ただけで400~500人近くの人たちが来場していました。
イスラマバードにあるすべての障害児教育諸学校(公立)から参加していました。
これぐらいの大結集のファンクションはおととしの秋以来の経験でしたが、これだけ集まったのには理由がありました。

参加した生徒たちに声をかけるズベダ・ジャラール教育相(当時:2005年2月)

生徒たちにプレゼントを贈る教育相(2005年2月)

↑こうしたファンクションでは、子どもたちに表彰メダルやトロフィー、プレゼントをあげるのが通例です。
が、今日のそれは半端な量ではありませんでした。
すべての参加者に十分行き渡るだけのプレゼント、お菓子。
さらに何人かの子どもへは車いすやお小遣い(1000ルピー!)などもプレゼントされていました。
そうそうそれとお弁当にジュースまで支給です(全参加者に)。
これでもかこれでもか!ってくらいのプレゼントの量(軽く100万円以上は予算でかかってるだろうなぁ)でしたから、参加した先生や子どもたちはもう大喜びです。

ゲストとして、女性開発・社会福祉・特別教育省の大臣(女性です)や特別教育局の局長(DGSE)、それに中国大使館の方でしょうか、そういったVIPが10人20人と来場されていました。

※余談ですが、この席上、ジャラール教育相は「明日(金曜日)を学校をお休みにします」と発表。会場のひとびとは大喜び(笑)。

・・・で、本当に金曜日は(障害児)学校がお休みになりました。まさに「ツルの一声」。

テレビもPTV(国営テレビ)やGEOTV(ジオTV:有力民間TV)など来て取材していました。
こんなでかいファンクションだとは私は思っていなかったのですが、うちの職場の先生たちはすでに経験ずみのことだったからでしょう、今日のために1週間以上前から入念に子どもたちに踊りの練習をさせていました。

生徒たちの演技(2005年2月)

↑メヘンディという結婚式の儀式を再現しています。花嫁が女友達にエスコートされて会場に入ってくる様子です。

生徒たちの演技(2005年2月)

↑おなじく、メヘンディでの男性の踊りを再現しています。
毎日1時間2時間と練習したかいがあって、かなり手の込んだ振り付けになっていました。
衣装も仕立てクラスの女生徒が中心になってつくっていました。

こうした発表を各学校が順番にやっては、そのつどプレゼントの贈呈・・・という繰り返しでした。
開会が大臣の到着にあわせて始まったので10時半近くになりましたが、会場の熱気はうなぎのぼりで気が付けば14時を回っていました。

↑司会者の巧みな話術とリードで、こうしたフィナーレのような盛り上がりが何度も起こりました。
パキスタンの大人や子どももこうしたみんなで踊ったり歌ったり盛り上がったりすることが大好き。「これで終わります」といわなければきっと夜の10時11時まで続いたかもです。

こうしたファンクション(プレゼントをもらう)は日本ではなじみが薄いですが、娯楽がそれほど多くないパキスタンでは子どもたちにとって楽しみのひとつになっています。

こうした特別行事と、日ごろの地道な教育活動の両輪がうまく回っていけばいいのですが、
日ごろの活動がおざなりになっていたりするんで、
そこが課題となるでしょうねぇ > パキスタンの特別支援教育