سحر Sehr(セヘル:夜明け前食事)と افطار Iftar(イフタール:日没後の食事)

初稿:2004年10月23日 更新:2018年5月20日(セヘル・イフタール両方記事を合わせ、全面的に書き直し、章立て、写真追加)

はじめに

セヘルもイフタールも、イスラームの断食に関係があります。

Islamic Center Japan | サウム 断食
https://www.islamcenter.or.jp/about-islam/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%A0-%E6%96%AD%E9%A3%9F/
Wikipedia(JP) | ラマダーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3

断食は、イスラームの1年(1月から12月まであります)の9月(ラマダーン、パキスタンではラマザーンと呼んでいます)に1か月かけて行われます。

こよみのページ | イスラーム暦・西暦変換
http://koyomi.vis.ne.jp/sub/islamic.htm

そのイスラーム暦(ヒジュラ暦と呼ばれています)は、1年355日くらいしかなく(太陰暦のため)、西暦の中では毎年10日ずつくらいずれていきます。
さて、今年2018年の中では、といいますと、

5月16日~6月14日ごろが、ラマダーン(ヒジュラ暦第9の月:断食月)になります。
「ごろ」と言うのは、断食月のスタートは、観測者(聖職者)が月を実際に観測できてから ということで、観測できないと1日程度ずれることがあるからです。
(断食明けの日は、イードのお祭り=休暇の関係上、数日前に決定・発表されています。)

ではセヘル、イフタールって?

セヘル・イフタール

断食は、日の出から日没まで

と、聞いたり教えてもらってきたかな、と思います。

正確には、↑の図の通り、

その日1回目礼拝「 Fajr ファジュル」の前に食事( سحر Sehr セヘル、سحری Sehri セヘリー)をとる

断食(1回目礼拝「 Fajr ファジュル」開始~4回目礼拝「 Maghrib マグリブ」終了まで)

その日4回目礼拝「 Maghrib マグリブ」終了後に食事( افطار Iftar イフタール、افطاری Iftari イフターリー)をとる

イフタール後、更に豪華な食事をとったり、街中へ買い物に出かける
翌朝、1回目礼拝から断食スタート の繰り返しになります。

セヘル・イフタール、ファジュル・マグリブ含む礼拝の時間は、日の出・日の入り時間と同様に変動します。
2018年は日中時間が長い時期に断食月が来ているので、毎日の断食の入り~終わりまでの時間は冬のそれと比べて長くなります。

断食をするかどうか、どのくらい(毎日する?時間は?)行うか、はその人に負っています。

協力隊時代、私が活動していたのは、パキスタン国立の障がい者職業訓練センターでした。
そこで私が担当したクラスでは、ラマザーン中も休憩時間(11時~)になると半分以上の生徒は家から持ってきた軽食(ローティーやプラタ)を食べていました。
もっとも、終業時間が平常14時のところ、ラマザーン中は13時とか12時に繰り上がってました。その時期は毎日半ドン(古い表現でしょうか)感覚でした。

ムスリムがマジョリティの国・地域では、個々人の実践程度の差はあれ、日中はレストランが開かない、表で飲食をする姿が絶える、という光景が見られます。
外国人、異教徒が断食を強制される、ような雰囲気はなく、私は人前で飲食はしないように(エチケット的に)気をつけた程度です。

他方、近年、酷暑期にラマザーンが来ていたこともあり、熱波+断食をしたために大勢の方がなくなるということがあります。

BBC | Why did so many die in Karachi’s heatwave?(2015年7月)
http://www.bbc.com/news/world-asia-33358705
2015年のラマザーン中にカラチで大勢の方が亡くなったことを報道しています。
無理をしないで断食をしないように、と大々的に呼びかけられたほか、街では給水所なども設置されたりしました。

”旅行者や重労働者、妊婦・産婦・病人、乳幼児など合理的な事情のある場合は、断食を免除されるなど、ひと口に「断食」と言っても、その適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つ点にも注意が必要である。また、免除される者にも、後で断食をやり直す必要のある者(旅行者や妊婦、生理中の者など)とやり直す必要の無い者(高齢者や乳幼児、回復する見込みの無い重病人など)がある。”
Wikipedia(JP) | ラマダーン#断食
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B3#%E6%96%AD%E9%A3%9F

日本各地でのセヘル・イフタール、礼拝時間の掲載サイト

Urdupoint | Tokyo Ramadan Calender
https://www.urdupoint.com/islam/tokyo-ramadan-calendar-sehar-aftar-timing.html

2018年5月19日の東京のセヘルは午前2時52分、イフタールは午後6時42分

日本各地でのセヘル・イフタールの時間を掲載したサイトです。
東京以外に数多くの地点が登録されています。

イスラムのホームページ | 国内主要都市の礼拝時間
http://islamjp.com/salat/salatschedule.htm

日本各地での日々の礼拝時間を掲載したサイトです。

سحر Sehr セヘル、سحری Sehri セヘリー(夜明け前食事:2004年10月23日)

2004年は、10月15日~11月13日ごろがラマダーン(断食月)でした。

2004年10月20日の
セヘルの時間 4:54am イフタールの時間 5:29pm でした。

2004年10月20日付ハバレーン紙より

午前3時59分撮影。セヘリーの朝食を提供する食堂(2004年10月23日撮影)

2年間の隊員活動中、2回やってきたラマザーン(断食月)。
そのうちの何日か、体験的に断食をしてみたことがありました。

1日1日の断食のことを、روزہ roza ローザと呼びます。
その日、ローザ(断食)をしようと、セヘリー(セヘル:断食をする前の食事)をとりに、家から目と鼻の先にある市場へ出かけました。

開いていたお店は2軒。
うち1軒は、しょっちゅう行っていた食堂でした。

朝4時18分撮影。プラタを焼いている。フラッシュをたかずに撮影したのでブレている(2004年10月23日)

10席ほどの小さな食堂は、満席でした。
朝4時に食事はヘビーですが、いま食べておかないと、夕方きついしなぁ。

それで、
プラタ(油で焼いたローティ)
野菜カレー
ミルクティー を注文。

店内は、いつもならついているテレビは消され、クルアーン(コーラン)の一節を朗唱するテープが流れていて、みんな黙々と食べていました。
ラマザーンの時期は雰囲気違うんだなぁ。

もう1軒、開いていたお店は・・・

午前4時18分撮影。ローティ(薄焼きパン)屋。床下に窯がしつらえてある(2004年10月23日)

それは、こちらの人の主食、ローティ(薄焼きパン)を焼くお店。
セヘル=1回目の礼拝(ファジュル)時間 が近づいていたからか、こちらはお客さんまばらでした。
あちこちの家からは明かりがもれ、ローティを焼く香ばしいにおいがほのかに漂ってきています。

食堂で食事を済ませ、ブログ原稿を書いている最中にアザーンがマスジッド(イスラーム寺院)から流れてきました。
セヘル=1回目の礼拝(ファジュル)時間(2004年10月23日は、午前4時55分ごろ)になった知らせでした。

このアザーンが聞こえてきたら、食事はおしまい。
夕方5時半ごろのイフタールまで断食ということになるのです。

افطار Iftar イフタール、افطاری Iftari イフターリー(日没後食事:2004年10月23日)

ジンナーマーケットのなじみの写真店でイフタール

セヘル(セヘリー)を食べた家近の市場以外によく通ったのは、ジナー・スーパー(ジンナーマーケット:F7エリア)でした。イスラマバードでも有数の市場です。

ここに私がいつもお世話になっている写真店がありました。

お世話になっていた写真店。(2004年10月23日)

頼まれて、職場の同僚、その子ども、生徒、知人などの写真をデジカメで撮っては、このお店でプリントアウトしていました。
2003年に利用し始めた頃は1枚10ルピー(当時20円)のプリント料が、いつからか1枚8ルピー(当時16円)になり、更に値引きしてくれたことも。
超特急(15分以内)現像も快くやってもらったりでとても親切にしてもらいました。

このお店での思い出は、ローザ(毎日の断食)明けのイフターリー(イフタール)によく混ぜてもらったことです。

イフタール前の賑わい

ジンナーマーケットにて。イフタール用のサモサやパコーラー、ジェレビーなど揚げ物を売っている(2004年10月23日)

イフタール用のジェレビーを揚げている(2004年10月23日)

この時、その日のイフタール(午後5時半)まであと30分。
マーケット内のあちらこちらで、サモサやパコーラー(野菜てんぷら)を売る臨時の出店が繁盛していました。

イフタール直前、パキスタンの街での往来は気をつけて!
お腹を空かせた人たちが、一刻も早く家に着きたい!イフタールに間に合いたい!と猛スピードで車を走らせ、衝突事故・自損事故を起こすことがあるからです。
(緑に囲まれ、穏やかな雰囲気のイスラマバードですが、隊員時代、そうした事故を何度か目撃しました。)

賑わう出店を見ながら、なじみの写真展にお邪魔しますと、イフターリーの準備を店の奥でやっていました。

新聞紙をひろげ、果物を一口大にカットしています。

↑ちょうど、りんごやバナナ、メロンを一口大にカットしているところでした。
世間話をしながら、イフタールの時間を待っていると続々と他の店の人たちもやってきました。

イフタールの準備は整いました。

サモサ(手前)や果物(奥)がたっくさん並べられています。(2004年10月23日)

後でばざっと捨てられるように新聞紙を敷いた上には、
サモサ
パコーラー(野菜てんぷら)
ジェレービー(甘蜜に浸した揚げ菓子)
ローティ(薄焼きパン)
一口大に切られた果物(カジュール(デーツ)は必須)・・・など、たくさん並べられていました。

アザーンが流れ、祈りの後にイフタール

午後5時半。
マスジッドから、アザーンが流れてきました。イフタール(=4回目の礼拝:マグリブ)の時間です。

このように、両手を本を持つような格好にして祈りをささげます。

このように、両手を本を持つような格好にして祈りをささげます。

めいめいが神の偉大さや感謝のことばを述べながら祈りをささげます。

その後に、断食明けの食事が始まります。
初めに、カジュール(デーツ・・なつめやしの実)を1粒、噛みしめるように食べます。
その次は、バナナやりんごといった果物をゆっくり食べます。12時間以上何も入れてなかった胃にやさしくしながら、ということですね。

カジュール(デーツ)。毎日のイフタールには欠かせない(2004年10月)

その後は、サモサやパコーラーをいただきました。私、この日は完全なローザ(断食)でしたので、どれもがとっても美味しく感じられました。

美味しかった!おもてなしカレー

で、この日は私のために、と、お店の方が家からごはんとカレーを作って持ってきてくださいました。

わたし用にカレーを皿に盛ってもらう(2004年10月23日)

ダール(豆)入りのごはんにチキンカレーをかけています。マジで美味かった!(2004年10月23日)

この、ごはん+チキンカレーがとっても美味しかった!

パキスタンでは、お店で絞めた新鮮なニワトリを使うからでしょうか、チキンの料理はとっても美味しいです。
それと、私のためにわざわざ家から作って持ってきてくださった親切に感謝感謝です。
パキスタン料理は、高級なレストランで食べるのも美味しいですが、なんていっても大衆食堂や家庭で作られるヤツが素朴で美味しいと感じます。

パキスタンに来たころは香辛料があわなくておなかを壊したものでしたが、慣れた今はとっても美味しく感じます。

イフタール後の賑わい

イフタール30分後(この日は午後6時)のジンナーマーケット(2004年10月23日)

30分ほどかけて美味しくいただいたあと、店の外へでてみると外は夕闇がせまるころあいでした。
まだ半分くらいのお店はイフタール中のようでシャッターがおりていましたが、この後1時間もすれば駐車ができないくらいの車が押し寄せることになります。

イード直前のお店(イスラマバード:2013年8月)

ラマザーン(断食月)も終盤になり、イードが近づくと、↑のようにデコレーションするお店が見られるようになります。
イフタール後の街中は大勢の買い物客で、深夜12時1時まであふれます。

写真屋さんたちとイフタールその後

Youtube | Iftar with my Pakistani friends @ 2010

時は流れて2010年。
この年もイフタールをこの写真屋の方たちと一緒にする機会がありました。その時の動画です。

2013年もイフタールをご一緒に(2013年8月)

2013年、ラマザーンは7月~8月になっていました。
この時期もイスラマバードに来ることができ、写真屋のみなさんとイフタールができたのでした。