ホルン・Horn一覧

ホルンと故山本昭一先生

初稿:2011年2月22日 更新:2018年5月24日(再構成・加筆修正)

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ホルンまた始めよっと。
/2007-01-08-horn.html
YHR-862
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上記記事でMickeyさんがコメントを寄せてくださったので、少し思い出のあれこれを綴らせていただこうと思う。

初めて先生にお目にかかった、マツモト楽器でのレッスン(1985年春)

山本先生に初めてお目にかかったのは、私が中3になる前の春休みだったと思う。
場所は、大阪住吉区にあるマツモト楽器http://www.mazmoto-gakki.co.jp/ )。
そこでホルンの一日講習会が開かれ、講師は山本先生だった。先生が30歳の頃だ。

当時先生は、ルシアン・テーヴェ先生に師事された仏留学から帰国された頃だ。
バッキバキの実力を発揮されていた頃。

そのレッスンで、今も忘れられないことがある。

山本先生、私の楽器(学校から持って行ったヤマハのFシングルホルン)を手に取ると、ハイトーンを吹き始めた。

ホルンは4m近い管の長さがあるので肺活量が必要な楽器だ。
音も外しやすく難しい。ハイトーン(高音)も、出にくい人にはこのうえなく出にくい楽器。

チューニングB♭(ベー)の音から、1オクターブ上の音をHigh B♭(ハイベー)と呼び、ハイトーンの音域となる。
その上のHigh F(ハイエフ)が出せれば、クラッシック、吹奏楽問わずほとんどの曲を吹きこなせる。
そう、High Fまで吹ければ大丈夫なのだ。

で、山本先生、そのHigh Fを軽く吹いたかと思うと、そこから更にハイトーンの階段を軽やかに上がっていく。それも私の楽器で。
私なんか、High Fよりも3音下、High C(ハイツェー)までしか吹けないのに。

それだけではない!

先生は、High Fの更に1オクターブ上のDouble High F(ダブルハイエフ)まで、ポーロロロッといとも軽やかに吹いたのだ。
ぶったまげた。思いっきりぶったまげた。
今も忘れられない。

その先生が吹いてくださったホルンを返していただき、わたしが吹いてみると、まぁ!、息の通りが良いこと良いこと。
先生の呼気の柱が楽器をシャキッ!とさせたのだ。
上手い人が楽器を吹くと、音抜けが良くなるという。
そのことを身をもって実感したのだった。

全日本管打楽器フェスティバル(関西大会:1985年)

山本先生との出会いがきっかけになったのだろうか。
その年の夏、神戸で開かれた全日本管打楽器フェスティバル関西大会に出場した。
そのフェスティバルは小中高生対象のソロコンクールで、その年はホルンとトロンボーンが審査楽器に入っていた。

関西大会と名付けられているが、当時は申し込みをすれば誰でも参加できた大会。全国大会はなかったと思う。
ホルン部門には、20~30人くらいの学生がエントリーしてたのではなかっただろうか。

その時の審査員のお一人が山本先生だった。

選考は自由曲一発で行われていたが、私はモーツァルト、デュカス、R.シュトラウスなどのメジャーな曲ではなく、誰も聞いたことのないような曲で出場した。

Horn Music for Beginners と題した小曲集。
Editio Musica Budapest とあるのでハンガリーの出版社から出ていたのだろう。

題名どおり難易度は初級クラスの曲だったと思うが、審査員の先生方は今まで聞いたことがない曲だったので審査にお困りになったようで(と、後日山本先生がお話になっていた。)、思いがけず金賞といういい結果をいただくことができた。

その時金賞を受賞した方には、
白谷隆先生(指揮者・アレンジャー)
http://plaza.rakuten.co.jp/sedarrose/5028
もいらっしゃる。
自分が同じ賞をもらうのは恐れ多いだけど、当時は「あ~もらえたもらえた」と素直に喜んでいた。

バンドジャーナル・ワンポイントレッスン

フランス留学から帰国後の先生はフリーで活躍をされていた。
また、バンドジャーナルでは、1985年4月号から1年間ホルンのワンポイントレッスンを担当されていた。

1985年5月号では、ロータリーのひもの巻き方紹介という基本的な内容を、最終回1986年3月号では「ヴィブラートはムリにかけず 本当の歌心をもって」と題しヴィブラートについて全紙面を割いてお書きになっていた。
楽器の手入れから、音楽の高度な部分まで幅広く書いていらっしゃった。

心斎橋ヤマハでレッスン、それから

マツモト楽器でのレッスン、フェスティバル出場などが縁で、心斎橋YAMAHAで行ってらっしゃった個人レッスンを受けるようになった。
テキストは、コープラッシュだったか、マキシム・アルフォンスだったか。アンブシュアの固まらない私にねばり強くご教授くださった。

そして、高校3年生の夏、合歓の郷で開かれたホルン合宿に参加した。
2泊3日の日程。
集まった受講生の方たちは、相当な実力をお持ちの方たちばかり。自分の下手さにかなり自己嫌悪になったことを覚えている。

その後、東京の大学に進学し、自然と山本先生とお会いすることがなくなっていった。
更に私は北海道の学校に赴任し、ホルンを吹く機会からも遠ざかることとなってしまった。

いつしか山本先生やホルンとは縁遠くなりつつあったころ、ふと目にしたのが山本先生の訃報だった。

先生は1955年のお生まれで、お亡くなりになったのが2006年。
まだまだこれからと言う時のご逝去だったと思う。

YHR-862

先生のご紹介で手に入れたYHR-862は今も私のかたわらにある。
2007年1月に、ホルンまた始めるぞ宣言をした。
勤務している学校の行事などでごくたまに吹いている程度だが、手に入れて30年以上経つ今も古ぼけずしっかり音を奏でてくれている。

さいごに

改めて、故山本昭一先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
先生に影響されて、ペーターダムが好きになり、下手なりにヴィブラートをかけるのが好きなおっさんホルン吹きになりました。
申し訳ないくらいホルンを吹く機会が少なくなりました。
でも、楽器とマウスピースはこれからも大事にしていきます!
先生と出会えたことを幸せに思っています。