سپیرا sapērā (サペーラー:蛇使い)・Pungī(プーンギー:笛)・Algōza(アルゴーザ:笛)

初稿:2015年5月9日 更新:2018年5月17日(加筆・写真追加)

蛇使い

2010年のパキスタン水害救援活動中、訪れた避難キャンプにやってきた蛇使いを撮影しました。

パキスタン大水害救援活動(3) AMDAさんと
/2010reliefactivity3.html

蛇使い。英語では Snake Charmer スネーク・チャーマー、ウルドゥ語では سپیرا sapērā サペーラーと呼んでいます。

(1分47秒:シンディー語など)

ウィキペディアを見ると、

Wikipedia(JP) 蛇使い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9B%87%E4%BD%BF%E3%81%84

コブラの動きは、笛の音で反応してものではなく、蛇使いが足でカゴを叩く振動や目の前で笛の動きに反応しているもの

と書いてありますが、この動画を撮ったときも、蛇使いのおじさんは入れ物を叩いたり、笛を左右に振っていました。

蛇使い(2010年9月)

蛇使い(2010年9月)

笛:プーンギー

で、蛇使いが使っている笛を、Pungī プーンギーといいます。

Wikipedia(EN) | Pungi
https://en.wikipedia.org/wiki/Pungi

Pungi プーンギー(2010年9月)

吹き口は1本ですが、指の穴部分は2本になっています。
竹やひょうたんを組み合わせて作られていて、奏者は循環奏法(息を吸いつつ同時に吐けるという技)で音を出し続けます。

インドのPungi https://en.wikipedia.org/wiki/Pungi

↑インドの蛇使い( https://en.wikipedia.org/wiki/Pungi より)もプーンギーを吹いていますね。

インド・ネパールの民芸品・食料・音楽などを扱っているティラキタさんでも、このプーンギーを取り扱ってらっしゃいます。

ティラキタ:プーンギー【蛇使いの笛】
https://www.tirakita.com/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%BC%5b%E8%9B%87%E4%BD%BF%E3%81%84%E3%81%AE%E7%AC%9B%5d/ID-PNG-1

笛:アルゴーザ

この蛇使いに出会ってから3年後の2013年、シンド州の別の場所で、二本管・循環奏法で吹く別の笛に出会いました。
それが、Algōza アルゴーザと呼ばれる笛です。

世界の楽器 RAGAM | アルゴザ Algoza
http://ragam-store.com/?pid=120916676

パキスタンを縦断旅行していた折、シンド州タッタへ。
水害救援活動が縁で知り合った方のところを訪ねると、その方がアルゴーザ奏者を招いてくれました。

アルゴーザ(2013年8月)

プーンギーとは作りも音色も違いますが、循環奏法で吹くなど共通した部分もあり、興味をひかれました。

アルゴーザの演奏(2013年8月)

持たせていただきましたが、ズッシリと重量感があったのを覚えています。
息は入るだけで、音は出せなかったなぁ。

Youtube : Ho Jamalo | Sindhi Song by Algoza | ホー・ジャマロー(シンド州)

煌々とした月夜の下、詩的な雰囲気も感じながら演奏を聴いたひとときのことはいまも忘れられないですね。
Ho Jamalo ホージャマローはシンド州の代表的なフォークソングです。


パキスタン地震(2005年)で受傷した女性の自立支援のため、日本人女性がイスラマバードに設立した工房「Paper miracles」

Paper Miracles Website

パキスタン地震(2005年)で受傷した女性たちの自立支援のため、ある日本人女性が2年前にイスラマバードで「ペーパーミラクルズ(Paper Miracles)という工房を設立しました。
受傷した女性たちが、カレンダーや新聞紙で作った短冊からビーズを作り、それが驚くほど素敵なアクセサリーに生まれ変わります。

「紙も女性も変わることができたらミラクルですね」

とは設立した高垣絵里さんの言葉です。その志、とても尊く思います。

Pakistan Special 2014年11月号表紙

パキスタンの障害当事者情報雑誌のPakistan Special http://pakspecial.org/ 2014年11月号でペーパーミラクルズの活動が紹介されました。
表紙を飾るのは、代表の高垣さんです。

Paper Miracles | Official web:
http://www.papermiracles.org/

Facebook
https://www.facebook.com/papermiracles.org/

Mugendai : デジタルメディア
ペーパービーズが明日への希望を紡ぐ ――パキスタン大地震で傷害を負った女性たちの自立を支援する(2015年8月20日)
https://www.mugendai-web.jp/archives/4294

在パ日本人の方がアップされているブログ「Cafe Islamabad」では、写真入りでこの工房について紹介してくださっています。
Paper Miracles(2013年12月17日)
http://cafeislamabad.jugem.jp/?eid=1915

Paper Miraclesのファッションショー(2014年2月13日)
http://cafeislamabad.jugem.jp/?eid=1939

学生を連れてパキスタンへスタディ・ツアーをされている埼玉大学教育学部の川元克秀准教授は、2014年のスタディ・ツアーでペーパーミラクルズを訪問しました。
そのことがパキスタン全国紙のNews紙に掲載されました。

News紙掲載記事紹介 | Paper Miracles
Special persons get more care in Pakistan as compared to developed states
http://www.papermiracles.jp/press-release2.html


印パ分離で別れ別れになった幼なじみとの再会をモチーフに描くGoogle Indiaの広告「Reunion(再会)」シリーズ

初稿:2014年2月23日 最終更新:2018年5月19日(フェンネル画像追加・リンク追加)

Reunion(再会:Google India制作)

2013年11月、Google Indiaが「Reunion(再会)」と題した広告をアップしました。

Youtube:Google Search: Reunion

(3分32秒:ヒンディ・パンジャービー語:画面下のキャプションボタンを選択すると英語など他言語での字幕が表示されます)

アップ後3ヶ月を経た2014年2月現在、このCMへのアクセス数は1000万ビューを超えています。

 

2013年11月20日にGIGAZINE(ウェブマガジン)でも
今でも対立するインドとパキスタンの両国民を感動に包むGoogle IndiaのCM「Reunion」
http://gigazine.net/news/20131120-reunion-india-pakistan/
との記事で詳細なストーリーを紹介しています。

「Reunion」シリーズの登場人物

CM”Reunion”の主な登場人物

【インド・デリーに在住】:バルデブさん(Baldev)、孫娘のスマーンさん(Suman)
【パキスタン・ラホールに在住】:ユースフさん(Yusuf)、孫(当初名前不詳→アナールカリ編CMでアリさん(Ali)と判明)

となっています。

左:バルデブさん 右:ユースフさん という設定

ストーリー

物語は、バルデブさんが、スマーンさんに幼いころ住んでいたラホールでユースフさんと撮った写真を見せ、一緒に遊んだこと、ユースフさんのお家(お菓子屋)からよくジャジャリヤ(Jhajariya:別名Emarti:生地を細長く油の上に落として揚げるお菓子です)を失敬しては食べた思い出を語るところからスタートします。

スマーンさんが検索を重ねて、ユースフさんのお店を突き止めました。

おじいちゃんの話を聞いたスマーンさん、話にあったキーワード(ラホール、城門、お菓子屋、ジャジャリヤ・・・)をGoogle検索にかけていくと、そのお菓子屋さんを突き止めることができました。
早速、デリーからラホールのそのお店に電話をかけると、まさにそれはユースフさんのお店。CMではそのあたりのやりとりは細かく描かず、Google検索でインドビザの取得方法、デリーの天気(をチェックして傘の準備をする)、ラホールからのフライトの到着時間(を見てタクシーに早く向かうよう促す)のチェックなど二人が再会するまでの折々の場面でGoogle検索が活躍していることをさり気なく織り込んでいます。

感動の再会シーン

そして、感動の二人の再会シーン。何度見てもジーンとくるシーンです。ユースフさんの手には自分のお店から持ってきたのであろうジャジャリヤが握られているのでした。

Jajariya ジャジャリヤ= Emarti エマルティ紹介

Youtube:Making of Emarti


(1分16秒:携帯などでの撮影動画)

ジャジャリヤは、パキスタンでメジャーな揚げ菓子のジェレビーと作り方はほぼ同じで、ジェレビーよりも緻密な巻をした形状になっています。大変甘いお菓子です。

「Reunion」の続編

そして、この「Reunion(再会)」その後の微笑ましくなる2人の様子をモチーフにした動画がGoogle Indiaからアップされています。

続編1:Cricket クリケット編

Youtube:Google Search: Cricket, फट से

(37秒:ヒンディ・パンジャービー語:画面下のキャプションボタンを選択すると英語など他言語での字幕が表示されます)

クリケット編:2人で仲良くクリケット・インドVSパキスタン(ODI:ワンデイ=1日制試合)を観戦中に停電が。「なんてこったい、よりによってこんな時に」とバルデブさんは親戚に試合の経過を確かめるために電話を。
でもスマーンさんは、スマホで試合結果をすぐに検索して2人に知らせます。おどろくバルデブさん。「バルデブおじいちゃんみたいに、試合経過を誰かに電話で尋ねなくても、ネットですぐ分かるのよ」とスマーンさん。

続編2:Sugar-free シュガーフリー編

Youtube:Google Search: Sugar-free है, खा लो

(32秒:ヒンディ・パンジャービー語:画面下のキャプションボタンを選択すると英語など他言語での字幕が表示されます)

シュガーフリー編:デリーでの滞在にも慣れて、こっそり冷蔵庫にあった甘いお菓子(ラスグッラー:Rasgulla)をつまみ食いするユースフさん。(パキスタンもインドの人も甘いお菓子は大好きですね)それをスマーンさんが見つけて「それはシュガーフリー(砂糖ゼロ)だからもっと2個も3個も食べてね」と声をかける。
あ、そうか、ユースフじいちゃんは甘いもの好きだから・・・とスマーンさんがユースフおじいちゃんに「そしたら夜はハルワー(デザート)?(を食べる?)」と訊くと喜ぶおじいちゃん。で、Google検索で「シュガーフリーのハルワーの作り方」をチェックするスマーンさんであった。

続編3:Fennel フェンネル(ウイキョウ)編

Youtube:Google Search: Fennel, क्या होता हैं ?

(42秒:ヒンディ・パンジャービー語:画面下のキャプションボタンを選択すると英語など他言語での字幕が表示されます)

フェンネル(香辛料:ウイキョウ)編:ブリヤーニ(インド風炊き込みご飯)を作ることになり、材料のひとつのフェンネルを電話で注文するバルデブさん。

ド―ソー(200)グラム フェネル ベージュデーン(送って!)

ところが電話の相手の店員は英語名のフェンネルでは分からず、「フェンネルってそれは何です?」と答える始末。
そこでユースフさんが孫に「おい、フェンネルってヒンディー語でなんて言うんだ?」と尋ねます。
孫(アリーさん)はNexus7(タブレット)で検索します。

フェンネルはヒンディ語で「Saumfa ソーンフ」と呼ばれていることが判明。

「ソーンフ」だと答え、それをバルデブさんに伝える、というくだり。
フェンネルは、ウルドゥ語でもSaunf(ソーンフ)と呼ばれています。

ウィキペディアに「インドのスパイス一覧」ページがあり、そこに写真が載っていました。

List of Indian spices
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Indian_spices

世界の料理レシピ大百科:フェンネル
http://www.ikskr.com/spices/fennel

カレーにもよく使われるが、種は砂糖でコーティングされて、口さみしい時の足しに、また食後の口直しなどに広く食べられています。

続編4:Anarkali アナールカリ編

Youtube:Google Search: Anarkali, शेह-मात

(42秒:ヒンディ・パンジャービー語:画面下のキャプションボタンを選択すると英語など他言語での字幕が表示されます)

アナールカリ編:(もしかしたら、ユースフさんがラホールに帰る時が近づいているのか)ユースフさんの孫娘にアナールカリ・スーツ(女性用パンジャービー・ドレスの一種 参照:http://www.cici.jp/dress/pan-index.html )と呼ばれるドレスをプレゼントしたいバルデブさん。

でも2人共年をとっているのであちらこちら店をまわるのもしんどく、スマーンさん・アリさん(ここでユースフさんの孫の名前判明)のどちらを市場にやったらいいだろう・・・と2人が思案していると、スマーンさん、Google検索でスーツの一覧を出して「お店に行かなくても。ここでパソコンを見て探せるわよ」と答える。

「は~なるほど」と納得する2人。そしてスマーンさんは「お店に行く手間が省ける分、まだ外にチャート(豆やフルーツなどのサラダ)を食べに行く時間があるでしょ」と2人に言うと「おお!そいつはいい!」と大喜び。で、喜びのあまり触れた手がチェス盤の駒をバラけさせてしまい「あちゃちゃ、折角のチェス対局が・・・」とはご愛嬌なわけで。

役者さんの演技も自然で、それでいて微笑ましくなるユーモアのテイストが感じられるシナリオで楽しむことできたCMシリーズでした。

ラホール~デリー間ルート

ラホール~デリー間のルート(もし自由に国境を越えて往来できた場合の最短距離:Google Maps)


大きな地図で見る

デリー~ラホール間は480キロ、車で約8時間の距離だと、Google Mapsでは試算しています。
実際には、国際バス・鉄道運行された場合のみ国境を越えることができますが、通常は車両の往来はできず、物資の受け渡しは国境で人力を介して行われています。
陸路ですと、ラホール~ワガ国境~アムリトサル~デリーという経路が一般でしょうか。

GoogleのCMでは、ユースフおじいちゃんは、孫のアリさんとラホール~デリー間のフライト(PIA:パキスタン国際航空)でバルデブさんに会いに行く設定になっています。


タンドール(パン焼き窯)&ロゴニーナーン(ゴマつきパン):ラホール編

関連ページ
ローティ・チャパティー・ナーン(窯焼きパン)(2005年06月19日) /rothi1.html
Puri : プーリー、朝食の定番揚げパン(2009年02月06日) /puri.html

パキスタンの市場には必ずカレーと一緒に食べられるローティ(チャパティ)やナンを窯で焼くお店があります。
私がパキスタンに住んでいたときにおいしいなぁと思ったパン屋さんのひとつ、ラホール(Lahore)のあるお店をご紹介します。

Youtube:A Tandoor shop in Lahore, November 2005
 

↑そのお店でナーンを焼く様子を撮らせてもらいました。

町中のローティ・ナーン焼き用のタンドール。火力源はガス。

↑これがタンドーリ(パン焼き窯)。底の抜けた大きな甕(かめ)をひっくり返した形です。都会ではガス焼き窯が普通です。

↑パン屋のメンバーの面々(何気にお客さんも混ざっている 笑)。
どのお店でも生地をこねる→パンを焼く→仕上げ&包装が分業になっています。パン焼き職人が一番技術を必要としますかねぇ。一番手前の男の子はナンに仕上げのギー(牛脂)をぬるはけを持っています。パキスタンでもこの写真に出てくるような子どもたちが店で働いている姿を見ることができます。

↑窯に入れて2~3分もすれば香ばしく焼きあがったナンやローティ(チャパティ)ができあがります。

↑これはゴマがついた「ロゴニーナン」と呼ばれるもの。香ばしくてとっても美味しいです。私のいたころで1枚6ルピー(12円)くらいでした。(普通のローティで1枚3ルピー(6円):2005年当時)

インドの「ターリー」と呼ばれるセット。(アムリトサルにて)

↑インドでもナンは定番の主食で、こうしたお盆に2~3種類のカレーを載せて食べられています。「ターリー」と呼ばれています。

パキスタンでは一般につぎのようなパンが食べられています。

■ローティ(roothi) : アータ(全粒粉)を使ったパン、インドではチャパティと呼称。
「チャパティ」 http://www.asahi-net.or.jp/~FB4M-ISZK/india/recipe/chapati/procedure.html
「チャパティの作り方」 http://www.geocities.jp/gs_aichi_95/chapa.htm

■ナン(ナーン naan) : アータやメーダ(精白小麦粉)を使い発酵させたパン。
「ナンの作り方」 http://www.bishop3.com/kitchen/nahn/nahn.html
「ナン 作り方」 http://www.ivys.info/index.files/recipes2/nan0303ee.html

■パラータ(プラータ parhaata) :ローティ・チャパティ生地を油で焼いたもの。朝食の定番。
「Pumpkin in India パラタを作る」 http://humptypumpkin.blog40.fc2.com/blog-entry-61.html

■プーリー(puuri) :ローティ・チャパティ生地を油で揚げる。朝食の定番。
「プーリー 週末は男のカレー」 http://kodawaricurry.com/kare-/pu-ri-.htm


2013年夏、中国→パキスタン縦断旅行記(パキスタン編)

初稿:2013年8月1日 更新:2018年5月15日(フンジュラーブ峠、フンザ谷、アルゴーザ笛動画、画像追加)

2013年パキスタン縦断旅行のルート図

 

はじめに

本記事は、
財団法人日本パキスタン協会
http://www.japan-pakistan.org/
発行の会報パーキスターン2013年11月号http://www.japan-pakistan.org/bulletin/mokuji2013.html に投稿した旅行記原稿に加筆し、更に写真・動画を加えたものです。

中国・フンジュラーブ峠越えでパキスタンへ

2013年夏、中国→パキスタン縦断旅行記(中国編)
/2013-paktrip01.html

2013年7月18日に長野県飯島町から中部セントレア空港に移動し、夕方のフライトで上海浦東空港に着いた。
1泊した後、翌19日に上海虹橋空港から国内線でカシュガルに移動。
7月21日にローカルバスで中国側イミグレのあるタシュクルガンに着いた。
7月22日タシュクルガン発ススト行きのバスに乗り、快晴で抜けるような青空のフンジュラーブ峠を越えて午後スストに到着した。

タシュクルガン~スストを走るNATCOの寝台バス。角度固定なのであんまり楽ではない。

Youtube : Khunjerab Pass | Pak-China border in July 2013

中国・パキスタン国境のフンジュラーブ峠(Khunjerab Pass)にて。パキスタン側に入ってすぐ、トイレ休憩で停車した際に撮影。
自分のスマホの高度計では4703mを指していた。走ると息が切れる。

フンジュラーブ峠にて(2013年7月22日)。後方の石造りの中国側ゲートが見える。

3年越しの願い-ムルフン村を訪問

今回の旅の目的のひとつは、ススト近郊にあるムルフン村(Morkhun)を訪れることだった。
2004年、JICAの草の根技術協力事業としてムルフン村から3人の方が研修員としてりんごの栽培技術を学ぶために長野県飯島町で1年余研修を行った。

JICA’s WORLD 2009年8月号
りんご栽培でパキスタンの村おこし(PDF)
https://www.jica.go.jp/publication/j-world/0908/pdf/04.pdf

それ以降も交流が続けられていたが、2010年夏にも現地ムルフン村でりんご栽培支援を行うことを飯島町国際協力会のみなさんが計画され、私もその調整員として参加させていただく予定であった。
しかし、甚大な水害をもたらした集中豪雨のために直前で中止となり、大変残念に思いつつ、いつか機会あるときに訪問したいと願っていた。
今回その願いがかなう旅となり、日本を発つ前に飯島町にお伺いし現地の様子についての情報をいただき、激励をしてくださった。

スストのイミグレーションで入国手続きを済ませたあと、居合わせた地元の方に「ムルフン村のアムジャッド・アリさん(日本に来られたひとり)知っている?」と尋ねると、「ああ、知っているよ」とイミグレーションと道路をはさんだほぼ向かいのお店に連れていってもらったところが、アリさんのお店だった。
事前連絡できずいきなりの訪問であったが、アリさんは大変に喜んでくださり、持っていた携帯から早速飯島町の方とお話をしていただいた。
数年ぶりの日本語での会話でアリさんは少し困っていたようだったが「はい」「げんきです」「みなさんげんきですか」などうれしそうに話していらっしゃった。

この日から1週間、アリさんの家に泊まらせていただきながら、アリさん・カリムさん・シャフ-さんの3人の元研修員のみなさんとお会いしていまの暮らしぶりを伺ったり、私の携帯電話で飯島町の方とお話をしていただいた。

ムルフン村で実る「ふじ」種のリンゴ(2013年7月撮影)

長野県飯島町の方と携帯電話でお話をするシャフーさん一家

飯島町で研修した3人の方たちの近況

アリさん(Amjad Ali):ムルフン村に隣接したジャマラバード村のイスマイリー派寺院の長老。自宅で接ぎ木した「ふじ」他のりんごを大切に育てている。アッタバードの湖(フンザにできた湖)の影響で作物が出荷できず、スストの町で古着商をして生計を立てている。

カリムさん(Karim ullah Khan):元ムルフン村村長。りんご栽培プロジェクトに中心的立場で関わり、現在も同村で「ふじ」など日本品種のりんごの栽培を広く推進している。地域団体として「パミール・コミュニティ・ファウンデーション(PCF)を設立し代表として活動。

シャフ-さん(Sharafat Ali Khan):ムルフン村に在住。自宅敷地で日本品種のりんご栽培を実践中。道路工事などの日雇い仕事で生計を立てている。

三人三様の今のお暮しになっているが、どの方も日本での研修の日々を懐かしみ、お世話になった農家の方たちを「お父さん」「お母さん」と呼んで大切に思っていらっしゃることが、お話ぶりからも、電話で飯島の方たちとやりとりをされているご様子からもよく伝わってきた。

目下、りんご栽培は日本との気候風土の違いを乗り越えて着実に広がっているが、先述したアッタバード湖(2010年に、フンザ川をせきとめて出来た湖)による道路寸断でりんごを含めた農作物がイスラマバード方面に出荷することが困難(小舟に積み替えて湖を渡らないといけないためコストがかさむ)であることが大きな問題となっている。

カリムさんたちは、ドライフルーツへの商品化、オーガニック認証の導入、中国への輸出などの道を模索している。

帰国後の9月、ムルフン村の様子を飯島町で報告させていただいた。写真や動画を交え、現地からの電話口・メールだけではお伝えしきれなかったことも情報共有させていただいたが、懐かしいムルフン村の方たちのお顔が画面に映るたび、飯島町の方たちが懐かしくうれしいご様子で見入ってくださる様子を見て今回ムルフン村訪問ができて良かったと改めて感じた。

この10月にJICAの支援でムルフン村産りんごをラホールに試験出荷したところ高値がつき、バイヤーからの問い合わせが次々入っているという知らせを飯島町の方からお聞きした。
これをきっかけに、ムルフンでのりんご栽培が一層盛んに、そして「実」のあるものになるよう、これからも応援していきたい。

ムルフン村からフンザへ

ムルフン村に1週間滞在した後、7月28日にバス・船・バスと乗りついでフンザ・カリマバードに移動した。

アッタバード湖を渡る

注:2010年の大規模な土砂崩れによりアッタバード湖ができ、物流の大きな障壁となっていたが、2015年に中国の援助により、パキスタン・中国友好トンネルが建設された。
DAWN紙:PM Nawaz inaugurates Pak-China Friendship Tunnels over Attabad Lake
2015年9月14日
https://www.dawn.com/news/1206911

アッタバード湖を船外機を付けた小船で渡ったが、源流の荒々しく泥水色の流れと反して、湖面は静かに深い青色を湛えていたのが印象的だった。

アッタバード湖の船着場(2013年7月28日撮影)。 撮影当時、グルミット(撮影地点)とアーリアバード間は道路が水没し迂回路はなかったため、渡船による輸送が行われていた。

アッタバード湖の水面。
穏やかな日は真っ青な湖水を滑るように船が渡る。

渡船は、アーリアバード~グルミット間で行われ、双方の船着場には連絡のバス・トラックがひしめき合っていた。
運賃は、パキスタン人が100ルピー(2013年当時約100円)、外国人が200ルピー(同約200円)で、渡船時に集金人が集めて回っていた。
アーリアバードの船着場は市街地からは相当離れており、連絡バスはカリマバードの他、ギルギットなど各地向けに走っていた。

カリマバードに滞在

Youtube : Whole Hunza Valley from the Eagle’s Nest (Duikar) | フンザ谷全景

8月1日の自分の誕生日の朝、カリマバードから歩いてビューポイントのイーグルネストまで登った。
他に観光客が居らず、貸し切り状態のような岩場からフンザの谷を眺め、他人に気兼ねせず思いっきりオカリナを吹けたことはよい思い出となっている。

013年8月1日(木):パキスタン・フンザのビューポイント「イーグルネスト(Eagle Nest)」にて
後ろに見える雪に覆われた山はフンザの誇る秀峰ラカポシ(Rakaposhi 7788m)。

2013年8月1日(木)朝のフンザの谷(イーグルネストからパノラマ撮影)

カリマバードの山道であんずを集めている村人たち。
木からふるい落としたあんずは、家の屋上などで天日干しされる。

カリマバードでは、2004年の初旅行以来定宿にしているヒルトップホテルに泊まった。
かつて満天の星空を仰ぎつつフンザパーニー(地元酒)を味わった中庭には新館が建てられ、フロア増設の工事が中途になっていた。
こうした改築・建て替え・新築をしたホテルをカリマバードの随所で見かけたが、昨今の情勢による観光客激減で当てが外れて閑古鳥が鳴いているところも少なくなかった。

近年拡張・改装工事を行ったヒルトップホテル。 かつて、日本の登山家たちが夜な夜な酒盛りをした後に残していった一升瓶コレクションの小屋はなくなってちょっと残念。

また、カリマバード入口の道路には「アメリカをつぶせ」などというスローガンがペンキで書かれていた。余所の地域から書きに来ているんだ、と地元の人は話していたが、平和でのどかな桃源郷というイメージだったフンザにも、パキスタンでのきなくさい現況が漂いつつあるのか、と思わざるを得なかった。

停電が半端なく、観光客が減ってさびしいメインストリートだったが、ぶらっと入ったお店で交わす雑談はとても楽しかった。

ハイダー爺と再会

日本人旅行者から「爺さん・じいちゃん・じい」などと呼ばれ親しまれている、 フンザ・カリマバードの「ハイダー・イン(Heider In)」の当主ハイダー爺

ハイダー爺は、2018年2月にご逝去された。旅人たちの安らぎであったハイダーインとともに忘れない。本当にありがとう。

フンザ→ギルギット→イスラマバード

フンザを8月3日に出発し、2日間フライトキャンセルで待機したものの、8月5日のギルギット発フライトでイスラマバードに到着した。

イスラマバードに滞在

イスラマバードでは、パキスタン協力隊の先輩でもあるIさん宅と市内ゲストハウスに宿泊しながら10日間ほど過ごした。

到着したのがイード直前で、夕方のイフタール明けのマーケットは、服やアクセサリーの出店が軒を連ねていつもの年と変わらない賑わいだった。

協力隊隊員時代(2003年~2005年)に住んでいたのがF7エリアのジナースーパー近くであったので、毎日のように出かけては、DVDショップ、本屋などなじみの店を覗いていた。中でもジナースーパーの広場そばにある写真屋は顔なじみの店員さんが多く、今回の滞在中も夕方のイフタールになるとお店の奥に入り込んで一緒にカジュール(なつめやし)や果物・軽食をいただいたりした。

私のパキスタンのソウル・フード:元同僚さんの作るスワイヤーン(バーミチェリ:極細パスタのミルク煮)と豆チャート

イードが始まり、イスラマバード市内の協力隊時代の元同僚さん宅に。
こちらでは、イードになると、日本のお雑煮的にスワイヤーン(バーミチェリという極細パスタをミルクで煮込んだもの)を出してくださる。

これがメチャメチャ美味しいんです!

これが食べられただけでも、パキスタンに来たかいがあった、と思えるほど。
本当にありがとう、元同僚さん。

カリマバードほどではなかったが、イスラマバードも停電が頻発していた。滞在当時は特にジナースーパーの停電はひどく、写真屋自慢のDPE処理機が自家発電の電力では動かせずにその間は開店休業状態。「ここはイスラマバードでも指折りのマーケットなんだぜ。ここでこんなに停電がひどいだなんて、どうなってんだよ!」と店員さんがぼやいていた。

Iさんご家族には、今年2月にオープンした高級ショッピングモールのセンタウラス(The Centaurus)や、H8エリアにあるイトワールバザールに連れて行っていただいた。
センタウラスは3連の高層ビルの低層階を巨大なショッピングモールにあつらえて有名ブランドのテナントが多数入っている。外観や噴水のある吹き抜けのエスカレーターホールに圧倒され、綺麗でクオリティのあるモール街を歩くとここはパキスタンなのか?と戸惑いを起こしそうな心地だった。

センタウラスの吹き抜けホール

Centaurus 公式サイト
http://thecentaurusmall.com/

また、F6エリアスーパルマルケットでは日本でもお馴染みの「ビアード・パパ(シュークリーム)」の店舗がオープン間近だったし、ジナースーパーの一画には日本でまだ渋谷や原宿にしかないJuice Zone(スムージーの国際チェーン)が営業していたり、これまで住宅だったところをファッション店やレストランに改装して煌々とライトアップしている場所がいたるところにあるなど、一般に思われる「パキスタン情勢の悪化」のイメージとは別の、ビジネス活動が活発に展開されている面があることも実感した。

ハッサン・アカデミー訪問

この他、協力隊時代からの知己である私立支援学校のハッサンアカデミーのイスラマバード新校舎を訪れた。
ハッサンアカデミーは昨年2012年に日本政府から910万ルピーの財政支援を受けて、イスラマバード郊外のパークロード沿いに新校舎を建設中だ。訪れた8月中旬は2階建ての本校舎の1階部分が出来上がりつつあり、2階部分はこれからというところだった。

ハッサン校長に各部屋を案内していただいた後、紅茶をごちそうになりながら、大勢の子どもたちに自らの信ずる教育を行っていきたい、という夢をお聞きしていた。
彼は一般国際企業のパキスタン法人社長を務めた後、自宅で聴覚障害のある子どもを受け入れて私学を始めた。その私学が障害のある子もない子も同じ学び舎で勉強する教育(インクルーシブ教育)の学校として年を追う毎に規模を拡大し、ラーワルピンディに2キャンパスを構え、そしてイスラマバードでも開校させようとしている。

ハッサン校長の困難に負けない強い信念に改めて感じ入る訪問だった。

イスラマバードからラホールに足を伸ばす

2006年以来ラホールに久しく行っていなかったため、イスラマバード滞在中に1泊2日の駆け足行程でラホールに行った。
ラホールへの行き来にはDaewoo都市間バスを利用したが、通常タイプ1130ルピー(約1130円)、デラックスタイプ1350ルピー(約1350円)と隊員時代の2倍以上の運賃になっていることに驚いた。

DAEWOOバス(2013年)左がデラックスタイプ、右が普通タイプ

DAEWOOバスで出される軽食(2013年)

DAWEOOバスで出される軽食(2013年)これと水・炭酸飲料が提供される

他にも、
ローカルバス初乗り10ルピー
街角で飲むミルクティーが1杯20ルピー
ダールチャーワル(シンプルな豆カレーごはん)1皿30ルピー
などと、昔の2倍~4倍もの値段になっていて驚かされた。価格も5ルピー10ルピー刻みになっていて、1・2ルピー硬貨はほとんど使う場面がなかったほどだ。

ラホールのDaewooバススタンドのあるカルマチョークはこれも今年2月に開業したメトロバス(専用道・高架での連結バス運行)の高架やアンダーパスなどが交わり、景色は一変していた。メトロバスに乗りたかったが今回は時間がなく残念。

バススタンドに、旧知の障害者団体マイルストーンのアクマルさんに迎えに来てもらい、事務所に連れて行っていただいた。市内タウンシップ地区の幹線道路沿いにある事務所は、以前のアラーマイクバルタウン地区にあったそれよりも分かりやすいロケーションになっていた。

この事務所内には、日本の中古電動車いすを修理再生してパキスタンの障害者に提供する日本のNPO法人「さくら・車いすプロジェクト」の工房が設置されており、多数の電動車いすが並べられていた。2004年にラホールで開かれた車いす修理のワークショップをきっかけにして現在同プロジェクトに携わるハビブさんがいらっしゃって、説明をしてくださった。

さくら車いすプロジェクト
http://sakura-wheelchair.org/

日本に比べてバリアフルなパキスタンで電動車いすを使用するためには、個人に合わせたフィッティングやメンテナンスサービスが欠かせない。この10年余りの日パのみなさんの努力の賜物である同プロジェクトが更に発展するよう願っている。

イスラマバード→カラチ→スィンド州バディン・タッタへ

NRSP(National Rulal Support Programme)は1991年に設立されたセミガバメントの地域開発NGOで、AMDA(日本のNGO)が2010年パキスタン水害救援活動をスィンド州タッタ県で行った際協力団体として一緒に活動を行った。救援活動当時、AMDAの調整員として従事した際に現地NRSPの方たちと仲良くなったこともあり、活動後、2011年2月に再度現地を訪れて状況を見せていただいた。

今回の旅行でもぜひタッタを訪問する旨、AMDAにお伝えすると、AMDAからNRSPへ訪問の調整をしてくださり、合わせてタッタ訪問時に支援金をお届けする役割を言付かった。

豊かなスィンドの文化に触れるー歌謡・アルゴーザ(二本笛:動画)

Youtube : Ho Jamalo | Sindhi Song by Algoza | ホー・ジャマロー(シンド州)

タッタに滞在中、友人が幼いころから親しんでいるアルゴーザという2本笛(民族楽器)の名手エッサ・サモーさん(Essa Samoo)を招き、演奏を聴かせてくれた。
煌々と照る月の下、スィンディー地方の名曲ホージャマロー(Ho Jamalo)はじめとした民謡を、笛の1本は基音を、もう1本でメロディーを息を吸う間も奏で続ける循環奏法という吹き方で披露してくださった。

スィンド州ノーコート(Naukort)にある砦を友人たちと訪問する。(2013年8月)

スィンド州タッタ(Thatta)にて、アルゴーザ(二本笛)の名手エッサ・サモーさん(Essa Samo)と(2013年8月)

ノーコート砦(Naukot Fort)

8月17日イスラマバード発フライトでカラチへ。カラチ空港からNRSPの車で、スィンド州事務所のあるバディン(Badin)に到着したのは夕方のことだった。
翌8月18日は日曜日で事務所は休みだったが、スタッフの方にインド国境に近いノーコート砦(Naukot Fort)に案内していただいた。

ノーコート砦メインゲート

砦内部

この砦は、スィンド州で覇を唱えたタルプール朝(Talpur:1783年~1843年)が州各地に建てた要塞のひとつで、1814年、ミール・カラム・アリー・カーンによって建設された。

Wikipedia(EN) : Naukot Fort
https://en.wikipedia.org/wiki/Naukot_Fort

州政府により近年修復工事が進められており、崩落していた城壁が修復されている様子も見ることができた。
この砦の中にそびえる大木の下で、一緒に同道してくださっていたスィンディー語歌謡の歌い手のバルカット・ファキールさん(Barqat Faqir)がハルモニウム(手風琴)を奏でながらスィンディー語の歌を披露してくださった。スィンディー語の歌詞の意味を友人がウルドゥ語で説明してくれ、古城の大木の下という風情あるロケーションで情感たっぷりに愛や友情を歌いあげるファキールさんの歌に魅了された。

他日、バディンにあるスィンド州文化を展示したラール・ミュージアム(Laar Museum)も見学したが、バラエティ豊かな古民具、スィンド文字で書かれた文献、スィンディー歌謡の歌い手・演奏家の写真パネルに目を奪われた。スィンド文化を守り、大切にしていこうとする方たちの思いを実感した。

バディン・タッタでのフィールド活動

両地には数日滞在し、NRSPがサポートしている村々を回った。
それらの村々では、私たちの来訪を事前に知らされてか、大勢の村人が出迎えてくださり、道路の改修・地域コミュニティセンター・自治組織づくりがNRSPの支援のもと行われている様子を詳しく説明していただいた。

また、2010年水害で甚大な被害を受けたタッタ県ジャーティ地区(Jati)のある村に対して、AMDAから提供された支援金で購入したミシン18台を提供するセレモニーが行われた。事前に選ばれた18名の女性に対し、ひとりずつミシンを手渡させていただいた。

度重なる水害により、農業での自活が難しい同地区で現金収入の手段としてミシンによる縫製が考えられ、今回の提供となった。受け取ったある女性が「ミシンを手にして裁縫の仕事をするという夢が叶ってうれしい」と話してくれたが、そうした願いにわずかでも寄り添えることができ、この地を訪れることができて良かったと感じた。

タッタ近郊の村(水害被災者が住む復興村)にて。
ガハハ、と笑いかけると子どもたちもそれに釣られるようにいい笑顔を見せてくれた。

フィールド活動で訪れた村でオカリナを吹く。
はじめ硬い表情だった子どもたちが興味を覚えてくれたか、立ち止まって耳を傾けてくれた。

フィールド活動で訪れた村に教室一つの小学校があった。
そこで折り紙(はばたく鶴)を折ってみせてあげた。

認定 特定非営利活動法人AMDA(アムダ)
パキスタン洪水 : パキスタン洪水に対するフォローアップ活動2(2013年8月24日)

http://amda.or.jp/articlelist/index.php?page=article&storyid=286

カラチでの貴重な出会い

8月21日にタッタからカラチへ移動し、8月24日の帰国便発まで数日であったが、カラチ日本人学校のM校長先生宅に泊めていただき、日本人学校を見学させていただいたり、いろいろなお話を伺う機会を得た。

また、カラチ市内のクリスチャン区画で長年障害児教育に携わる日本人修道士のMさんにお会いし、愛情豊かに子どもを育てていらっしゃる様子を見ることができたことも印象深い。
旅の最終盤にあったカラチでは、このひと月の旅を振り返りいろいろなことを思っていた。
2年半ぶりのパキスタン旅行、出発前は安全面に不安を感じていたし、パキスタン入国後もそれを実感する出来事もあって穏やかではない心地になったこともあった。

しかし、懐かしい友人に再会し、忘れかけたウルドゥ語を思い出して話していくと、10年前の協力隊赴任時の高揚した気持ちが蘇る心地がしていた。この国に来るとホッとする心地にもなるのだ。
お一人お一人を紹介できないけれど、今回の旅でも大勢の方にお世話になった。その方たちに深く感謝したい。シュクリヤ!