協力隊・シニア海外ボランティアがパキスタンから(一時)撤退。

月曜日夜からの泊まり介助が明けて家に帰ってきたところ。
昨夜は介助の仕事をしながら、パキスタンのことをあれこれと考えていた。

私が2年住み、活動したイスラマバードの治安の悪化。
マリオットホテルが爆破炎上したニュースはとりわけ強烈な印象だった。
それに協力隊活動中はテロとは無縁に思っていたラホールでも、ガダフィスタジアムでの乱射事件やマールロードの警察署襲撃などのニュースを聞き、信じられない思いだった。

2006年2月にパキスタンから帰ってきて丸3年。
この3年で想像以上にパキスタン国内がきな臭くなっていることは、離れた日本にいても感じていた。
でも・・・・。

パキスタンから青年海外協力隊撤退へ…タリバンのテロ頻発で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090609-00000060-yom-int
(2009年6月9日07時03分配信)

【イスラマバード=酒井圭吾】
治安悪化の一途をたどるパキスタンから、国際協力機構(JICA)が青年海外協力隊とシニア海外ボランティアを近く撤退させることが8日、明らかになった。
イスラム武装勢力タリバンによるテロが頻発し、安全確保が困難になったためだ。
パキスタンでは現在、首都イスラマバードや東部ラホールなどで計20人が障害者支援や理科の教育などにあたっている。
ただ、国内では国連や民間活動団体(NGO)職員の拉致事件も発生しており、活動の危険度が高まっている。
青年海外協力隊とシニアボランティアは、日本の知識や技術を途上国の発展に役立てる制度。
—————

パキスタンへの協力隊派遣は1995年から。
これまで15年の間、私たち協力隊員はイスラマバード・ラホールを中心に各地で活動をしてきた。
ペシャワールやアボタバード、マンセラといった北西辺境州(N.W.F.P)でも活動をしてきた時期もある。
印パ緊張や911事件でこれまで2度、日本に一時退避ということはあったが、退避期間は短くすぐに活動を再開してきた。

地元の人と同じようにローカルバスに乗り、市場に出かけて買物をしたり、街角の食堂でミルクティーを飲み、職場の人や街の人と現地語(ウルドゥ語)を話して暮らす協力隊の生活は刺激にあふれていた。
現地にいるとそれが普段の出来事のように感じられていたけれど、帰国して振り返るとそれが懐かしさとなってこみあげてくる。
痴漢にあったりぼったくりにあったり嫌な思いをすることや、
ストレスが溜まってパキスタン人と口げんかをしたこともよくあったように思うけれど、
おそらくほとんどのパキスタン派遣隊員はたくさんの想い出と友だちをつくった2年間を過ごしてきたと思う。
自分の第2第3の故郷のようにパキスタンを思っている人は多いと思う。

であるから・・・・
渡航禁止になったわけではないけれど、この協力隊撤退のニュースはわたしとパキスタンをつなぐ糸がひとつ切れてしまうようでとても悲しく残念に思っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。* が付いている欄は必須項目です