青年海外協力隊一覧

協力隊帰国研修(広尾・新宿)

第3日目(7月27日:水曜日)
帰国研修最終日は進路選択に向けた講義が行われます(希望制)。
朝から50分のコマが4コマあり、

  • キャリアアップ・キャリアチェンジにむけて
  • 国際協力分野への進路について
    など4つのテーマに分かれた講義となっています。
    1コマだけ受けてもいいし、4コマ全部でもいいし、または受けずに2日目終了後帰省することも自由に任されています。
    で、僕はこれから5年ほどのスパンでパキスタンの障害当事者の方へのサポートをテーマに活動したいと考えているので、1コマ国際協力分野についての講義を受講しました。
    ちょうど帰国ピークの時期なのでざっと40人ほどの方が受講していたでしょうか。
    人数が多いとテーマが参加者のニーズにピタッと合わせた話はしずらいようです。どうしても一般的な話になってしまいますね。
    やはり進路選択は自分で動くという積極性が重要だということでしょう。
    ともあれこれで私も1人の協力隊OVとなりました。
    これで実家のある大阪に帰省できるのですが、いくつか所用があり月末まで東京に滞在することになっています。
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  • 帰路変道中記 2 : Kolkata – Bangkok – Narita

    ■7月24日(日曜日)
    朝ごはん: 空港待合室でホットドッグとコーヒー 120バーツ(高っ)
    昼ごはん: タイ航空の機内食
    夜ごはん: 新宿のコンビニでお弁当など

    ちなみに昨日(バンコク)はもう1回マッサージしてもらいました。噂のタイ式マッサージです。
    うううん、何て言うんでしょうか、痛気持ちいいってゆうんでしょうか。いや痛かった・・・・(笑)。
    さてさて今朝は7時のシャトルバス(100バーツ)でカオサン通り→空港に移動。チェックインもすんなり終わり数時間ぼーっと待合室で待っていました。
    この時期バンコクに同期隊員が集結しているはずなのにカオサンでも伊勢丹でも誰にも会わなかったなー。・・・ううん。
    で、この待合室でようやく同じ班だったTさんと再会しました。訓練所のときよりもほっそりしていましたが日焼け具合とか顔の表情がぐっとたくましくなった印象を受けました。
    で、成田行きのタイ航空便は予定通り11:00(日本時間13:00)すぎに離陸。大きな揺れもなく無事19:00(日本時間)すぎに成田に着陸しました。
    で、エアポートバスもこれまたスイスイ順調に都心に向かい、いまは新宿のビジネスホテル近くのネットカフェにいます。
    マインズタワー(協力隊事務局のあるビル)からは徒歩3分のナイスな場所ですが、明日はまず広尾の研修所で帰国報告などをする予定になっています。
    明日は他国の同期ともたくさん会えるのがとてもとても楽しみになっています。
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    帰路変道中記 1 : Lahore – Delhi – Kolkata

    2005年7月20日(水曜日)

    朝ごはん: カレージー(肝臓カレー)+ローティ 11ルピー
    昼ごはん: マトンカレー+ごはん 29ルピー
    夜ごはん: 機内食を期待して食べません!(笑)

    朝はホテルに程近いムスリム街(イスラーム)を回っていました。この地域ではウルドゥ語の新聞もありますし、シャルカミや白い帽子、ドゥパタ(体の線を隠す布)を着けた方を結構見かけます。
    また普通に牛なんかも食べられたりしています。
    で、朝食は屋台でカレーを。レバー(カレージー)カレーと小さいチャパティ(ローティ)でしたが11ルピーと実にリーズナブル。なんとなくの印象ではヒンドゥーの人よりムスリムの人のほうが優しいというか正直な人が多いような気がします。

    この1週間、100ドル(約4300インドルピー)で生活することができました。もし空港まで余計にタクシーを使って行かなかったり、安物のサンダルを買って結局足が合わずに買いなおしたりしなければ(笑)500ルピーくらいは余るはずだったんですけどね。
    さて今日は協力隊の方&マイルストーンの方にそれぞれ1枚ずつはがきを出しました(8ルピー)。
    何日くらいでとどくでしょうねぇ。
    で、何日も前からホテル(PARAGON)の人たちと約束していたオカリナ演奏を夕方していました。

    ヒンディ映画の曲のレパートリーは

    TUJEH DEKHA TO
    HOGAYA HAI TUJUKO TO
    KUCH KUCH HOTA HAI
    MAIN HOON NA

    の4曲しかないのですが、どれも好評でした。

    で、MAIN HOON NA(2004年シャー・ルク・カーン主演)は舞台がコルカタから近いダージリンでしたので、これは大好きな人が多いようでした。
    うん練習しておいて良かった良かった。
    「パキスタンのシンガー(←私のこと)がインドの歌を歌った。これはとてもいいことだ」
    なんて誉めてくれましたし、紅茶もごちそうになりましたし。
    夕方4日ぶりに雨が降って少し涼しくなったコルカタでした。
    あと1時間ほどで空港に移動し、21日AM2:00のタイ航空でバンコクに移動します。
    いや~機内食楽しみにしているんですけど、夜だから出ないかな?(笑)


    2005年7月19日(火曜日)

    朝ごはん: 紅茶+トーストなど 6ルピー
    昼ごはん: チャーハン+ワンタンスープ 65ルピー(龍鳳:ホテル近くの中華屋)
    夜ごはん: グレービーライス(あんかけごはん) 20ルピー

    マザーハウスのボランティアには行かない分、朝から市内を3~4時間かけてゆっくりまわりました。
    コルカタ市内にはハウラー駅・シアルダー駅の2つの主要な発着駅があります。
    それらを汗をかきかきまわってみました。
    大変多くの人たちが行き交っていました。で、あちらこちらには物乞いをする人が。
    パキスタンよりもそうした部分がはっきり見られるのがインドなんだなぁと感じています。
    ハウラー駅へは対岸から渡し舟で行きました(片道3.5ルピー)。100人以上の乗れる大きな渡し舟ですが川面を渡る風が心地よく、これもパキスタンにはない光景・体験だなぁと新鮮に感じました。
    ハウラー駅ではこの7月に出たばかりの最新のインド鉄道時刻表を購入(35ルピー)。次の旅の際の参考になりそうです。

    ここ4日ほど雨が降らずむし暑いものの街中を歩くには都合のいい天気がコルカタ(カルカッタ)では続いています。


    2005年7月18日(月曜日)

    朝ごはん: マザーハウスでパン・紅茶
    昼ごはん: ターリー(カレー3種+ごはん) 50ルピー
    夜ごはん: サブジー(野菜カレー)+ごはん 7ルピー

    朝MC(ミッショナリーオブチャリティー)につくとすごいたくさんのボランティアさんが集まっていました。
    当日朝の飛び入りさんを含めて100人近くいたんではないでしょうか。
    で、私が行っているプレムダンにも昨日よりも7~8人は多い方々が向かいました。
    仕事は土曜日と同じでもうひとつの大部屋の清掃やら食事の世話などをしていました。
    で、水曜日までやろうかなぁと思っていたボランティアですが今日でとりあえずおしまいにすることにしました。
    とにかくボランティアが多すぎて働くことがあまりなく物足りないこととがまぁ主な理由です。
    これから日本が夏休みを迎える頃になるともっと多くの方がやってくるということでしたが、その時期をはずしたころにまたここには来てみたいなぁと思っています。

    で、そんなわけでいつもより15分ほど早めに午前の活動も終わり、気になっていたリコンファームの件を確認しにしないにあるタイ航空の営業所に向かいました。
    着くと昼休み中ということで小1時間待っていざ店内に。
    ・・・・で、どうだったと思いますか。
    な、な、なんとさすがインド。普通にリコンファームを受け付けしていました(笑)。いや~来といてよかったよかった。
    これでチケットの件は一件落着し、ホテルへの帰り道でターリー(インド式カレー)のチェーン店に入って昼食をとりました。

    ターリーは大きな金属皿の上にごはんと3~4種のカレーが器に入っているインド式カレーのことです。
    豆+野菜+チキンのオーソドックスなカレーでしたが美味しかった!50ルピー(約125円)とややお高いですがしっかり味付けされていてあっという間にたいらげてしまいました。
    街角ではカレーのほかにチョーメン(中華やきそば)、サモサ、プーリー(油揚げパン)などもういろいろなお店がでていて多くの人たちが昼食をとっていました。
    それだけでなくしゃれたコーヒーショップやレストランもありそうしたバラエティはパキスタンよりもあって実に楽しいです。
    残り2日ほどのコルカタ(カルカッタ)生活になりますが、あすあさっては市内をいろいろ気ままに楽しみながら巡ってみたいと思います。


    2005年7月17日(日曜日)

    朝ごはん: マザーハウスにてパン・紅茶
    昼ごはん: エッグチョーメン(やきそば) 12ルピー
    夜ごはん: 牛ステーキ 70ルピー+ラッシー 10ルピー

    今日もマザーハウスへ。日曜日はストリートチルドレンのための支援プログラムがあるということで迷いましたが、結局昨日とおなじプレムダンに出かけました。
    仕事は昨日と同じ。ただ大部屋の清掃がなかったのでかなり手持ち無沙汰な感じでした。
    今日はスペイン人の人とよくおしゃべりしていました。あ、スペイン語じゃなくて英語で。「オラ!(こんにちは)」とか「グラシアス(ありがとう)」など訓練所でスペイン語圏のなかまが使っていたフレーズも思い出して使ったりしていました。

    で、正午に仕事も終わり思い出したのがバンコク行きの飛行機のリコンファーム(搭乗意思確認)。
    ホームページで見ると利用するタイ航空はリコンファームがいらないようなことを書いているのですが、ここはインド(笑)。いちおオフィスに確認しようと同宿の方が持っている「地球の歩き方」で住所を確認しているとどうも日曜日は休みのようです。
    それで念には念を入れて空港のオフィスに行くことにしました。
    地下鉄(METRO)でパークストリート駅→ダムダム駅へ行きそこからタクシーに。
    インドのタクシーはぼったくるイメージがあったので警戒していたのですが、メーター制だしま、いいかとそのまま乗っていました。
    で、空港に着いて請求されたのが110ルピー。(メーターの額面に一定の掛け率で換算します)。ま、この運ちゃん、乗ってすぐから「メーターだと高くなるから120ルピーで行ってあげるよ」と訳のわからないことを言っていたのでま、メーターにしといてよかったなぁと思っていました。

    で、空港に着いたもののこちらもお休みということで目的は達成できず(笑)、そのままダムダム駅まで違うタクシーをひろって戻りました。
    で、請求されたのが60ルピー(爆)。
    おんなじメーター車なのになんで料金表示がちがうねん!!
    夜はマザーハウスでボランティアをしている方の案内で美味しい牛ステーキを食べてきました。
    それも70ルピーと言うリーズナブルさ。
    いろいろなお話を聞かせてくださり楽しい時間を過ごすことができました。


    2005年7月16日(土曜日)

    朝ごはん: マザーハウスにてパン・紅茶
    昼ごはん: サブジー+チャーワル(白ごはん) 6ルピー
    夜ごはん: (別の店で)サブジー+チャーワル 7ルピー

    早起きして、7時前にマザーハウス近くにあるミッショナリーオブチャリティーの建物に行きました。
    7時半ごろになると、わっと人が中に。
    無料のごはんの施しをしている様子でした。意外にみなりのしっかりした人が多かった感じ。
    ボランティアにはパン・バナナ・紅茶の朝食が提供されていました。で、ありがたくいただきました。
    そのまま流れで各施設に出かけていくので、自分と同じ「プレムダン」に行く人を探さなければいけません。
    すると韓国から来ている方がそうだよとおっしゃったのでこの方々と一緒に30分ほど離れたところにある施設に向かいました。
    到着すると早速エプロンをつけて作業開始。

    1 大部屋の壁をたわしでこすってきれいにする。
    2 床を洗剤でみがき、水洗いする。
    3 ふたたびベッドをセッティングする(マット・まくら・シーツ)

    ↑30人くらいの大部屋ですが、みんな同じように見えるマットでもこだわりのモノがあるようで、「こっちと取り替えてくれ」と言ったオーダーが多かったのは面白かったです。

    4 食器などの洗い、床のそうじ、バケツに水を補充などこまごました作業

    をしているうちに10:30のティータイムに。

    ここではボランティアが集まってバナナ・紅茶・クラッカーをいただきながら休憩していました。
    そのあと、11:00からは食事の給仕をボランティア総出でやります。1枚の金属皿にごはん・カレー2種(野菜+豆)・あげたチャパティを盛ってもらい、入所している方の所に持っていきます。場合によっては食事介助をしたりしました。

    そして食べ終わったら、すばやい流れ作業で食器を洗い、12:00ちょっと前にはボランティア活動終了。
    長期間されている方も多いようでまぁ見事なボランティア活動でした。
    で、ヒンディ(ウルドゥ)語は結構使えました。あとヒンディの歌はかな~りいい感じで受けていました。「なんでこの日本人がヒンディ語を知っているの?」って不思議そうでしたけれど(笑)。
    そのあと日本人の方と一緒にその方お勧めのラッシー(ヨーグルトドリンク)屋さんへ。10ルピーですが、パキスタンでも味わったことのない濃厚な一品でもう1杯お代わりしてしまいました。
    そしてご一緒に近くのカレー屋さんに。
    いいボリュームのごはんとサブジー(野菜カレー)でたったの6ルピーとは驚きでした。
    パキスタンよりも割安感がありすぎです。


    2005年7月15日(金曜日)

    朝ごはん: プラタ+サブジー(野菜カレー) 9ルピー
    昼ごはん: 白ご飯+サブジー 20ルピー
    夜ごはん: チキンチョーメン(やきそば) 15ルピー

    手元にある地図をもとに、朝からマザーテレサの家を探しに出かけました。何度も間違えながらようやく到着し、ボランティアの希望をシスターに告げると午後2時45分に来てくださいとのお話。
    それで、それまでの時間、地下鉄を使ってコルカタ(カルカッタ)市内をあちらこちら移動しました。
    地下鉄は1995年全線開業。4ルピー~6ルピーのリーズナブルな値段です。駅によってはエスカレーター&エアコン完備でいい感じ。

    そのまま時間をつぶして、2時半過ぎに再びマザーハウスに到着しました。やや暫く待った後、ほかのボランティア希望者の方々と2~300mほど離れた施設へ移動しました。
    今はバカンスの時期と重なっているとのことでざっと30人近い方が集まっていました。日本人は4人であとは韓国の方が1人、それ以外は欧米の方々でした。

    夏の期間、こちらで奉仕活動をされているというMさん(日本人)が親切丁寧に概要を説明してくださいました。
    カーリガートの「死を待つ人の家」から始まったマザーの事業は素晴らしいシスターたちに引き継がれ、8つぐらいの場所(コルカタ市内)で活動を展開しています。さらに世界各地にもマザーの事業が広がっているとのことでした。

    CEC JAPAN NETWORK | マザーテレサ・ボランティア活動
    http://www.cecj.net/india/index.html

    そのあと、ボランティアの面倒を見ていらっしゃるシスターに希望者が1人ずつ呼ばれていました。
    そして私の番に。

    シスター:「どこで働きたいですか?」
    私:”I don’t mind.゛(どこでもいいです)
    で、1~2秒じっと見つめられたあと
    シスター:「あなたはプレムダンに行ってください」

    とおっしゃいました。
    プレムダンは身寄りのないお年よりの面倒を見ている施設とのことです。

    明日は朝7時に行って同じプレムダンへいかれる方と一緒に活動してきます。(午前中の活動予定です。)
    コルカタ(カルカッタ)にはこのためだけに来たのでほんの少しの期間ですけれど色々経験できればと思っています。


    2005年7月14日(木曜日)

    朝ごはん: ナン+ダール(豆カレー)+サブジー(野菜カレー) 20ルピー
    昼ごはん: 白ご飯+サブジー(野菜カレー) 7ルピー
    晩ごはん: グレービーチョーメン(あんかけ焼きそば) 12ルピー

    朝8時まで空港ロビーで夜を明かし、プリペイドタクシー(195インドルピー)でサダルストリートへ。
    イスラマバードの隊員ドミトリーに置いていたガイドブックを参考して「PARAGON(パラゴン)」という宿に泊まることにしました。
    ベッドしか置けないチョー狭いシングルルーム(言い値の250ルピーを100ルピーに負けてもらって(笑))でしたがまずは荷物が置けて一安心。

    その後は近くを歩いているとムサルマーン(イスラム教徒)だという若いお兄ちゃんに誘われて朝食(ベジタリアン)と彼のお店に連行されました(笑)。
    彼らの口八丁手八丁に内心笑いながらもウルドゥ語で楽しく会話。

    ↑のような人は100%「悪質&あやしい客引き」です。確かにパキスタンよりもかなり高い金額(3倍4倍)を吹っかけてきました>同じ品物

    ですので、慣れない方には「昼間から日本語を話し掛けてくる&親切に声をかけてくる」インド人は注意されたほうがいいです。絶対に。

    ベンガル語が幅を利かせる地域ですが、ウルドゥ、もといヒンディ語が普通に使えるのはありがたいですね。
    ただ、

    シュクリヤ(ウル)→ダンニャワード(ヒン)、ドンノバード(ベン)
    アッサラームアレイクン(イスラム)→ナマステ(ヒン)、ノモシュカール(ベン)

    あたりは言い方を気をつけたほうがいいみたいですが。それでも英語が普通に使えてしまうのはさすが。
    その後このように普通にインターネットができるお店で快適にメールやページの更新をしていました。日本語も普通に使えてありがたや。

    昼からはインド博物館に行ってきました。何かさすが大英帝国って感じで豊富な展示に圧倒されました。ほんとすげーって感じ(笑)。

    で、この街にはかなりたくさんのムサルマーン(イスラム教徒)が住んでいることを知ってびっくりしました。サダルストリートに並ぶ店を見ていると白いトーピー(帽子)を被ったムサルマーンらしい人をちらほらみかけました。

    そうした人たちが経営するお店ではメニューにBEEFが書いてあったりしますしね。
    そのお店ではサブジー(野菜カレー)とチャーワル(白ごはん)を手で食べましたが、美味しかった!
    しかも値段が7ルピー(約15~17円)という安さ!

    これははまりそうです。


    2005年7月13日(水曜日)

    朝ごはん: プラタ+チャネ(豆カレー) 18ルピー
    昼ごはん: 機内食(PIA) サンドイッチ+紅茶
    晩ごはん: 機内食(インドエア) ごはん+カレー+ヨーグルト+サラダ

    ラホール空港までマイルストーンの方に送っていただいた後、出国手続き→搭乗手続きへとスムーズに進みました。
    そして定刻(14:30、日本時間18:30)よりやや遅れてデリー行きのPIA便は離陸しました。飛行機の車輪が滑走路を離れる瞬間はグッと胸にくるものがありました。
    機上から見るインドの大地もパキスタンと同じ様子でしたが、いたるところに大雨による洪水のあとが生々しく見られたのが印象的でした。

    デリーも天候不良でしばらく迂回飛行を続けていましたがようやく17:00(日本時間20:30)にデリーに着陸しました。
    そこから、連絡バスを使って滑走路の対面にある国内線乗り場へ。
    こちらも定刻よりかなり遅れて20:30(日本時間0:00)にコルカタ(カルカッタ)行きのエアバスは離陸しました。いや~、ちゃんと機内食は出るし綺麗な機体で感動しました。
    そしてコルカタ(カルカッタ)についたのが22:30(日本時間(02:00)。だいぶ遅くなってしまったのでそのまま空港のロビーで一夜を明かしたのでした。
    コルカタはちょうど雨季に入ったとのことで夜通し雨が降り続いたのでした


    協力隊活動終了・任国パキスタン → 日本に帰国まで

    協力隊活動を終えて帰国するまでを綴っていきたいと思います。

    2005年7月12日:イスラマバード→ラホールに移動
    2005年7月13日:ラホールからインドに出国

    カルカッタ(1週間)・バンコク(3日間)を経て、2005年7月24日成田着→JICAの帰国研修(2~3日間)


    <2005年7月13日(水曜日)>

    朝、マイルストーン事務所の電話回線をお借りしてネットしています。ややムシムシいましたが暑くなくぐっすり休めたのはありがたかったです。
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    帰国報告会レジュメ(協力隊活動終了時)

    青年海外協力隊に参加するまで | 駒ヶ根訓練所の79日 | 派遣前の準備 | 帰国報告会レジュメ | 帰国までの流れ

    初稿:2005年7月8日 更新:2018年5月21日(章立て)

    はじめに

    以下は、JICAパキスタン事務所で開かれた帰国報告会時(2005年07月上旬)に使用したレジメを一部手直ししたものです。

    帰国報告

    平成15年度1次隊(パキスタン派遣:養護) M.T(私の名前)
    活動先: 国立障害者職業訓練センター(イスラマバード)
    National Training Center for Special Persons 略称:NTCSP

    イスラマバード圏障害児支援機関MAP

    イスラマバード圏障害児支援機関MAP(2005年現在)

    活動先について

    旧校舎

    旧校舎(~2005年6月まで)

    新校舎

    新校舎(2005年7月~)

    1986年の設立、2005年独自の新校舎が竣工、移転した。

    活動先への協力隊の配置
    平成7年度1次隊: Tさん(家政)、Nさん(竹工芸)
    平成10年度1次隊: Oさん(竹工芸)
    平成14年度3次隊: Kさん(木工)
    平成15年度1次隊: MT(わたし:養護)
    平成16年度3次隊: Mさん(比較工芸)

    要請内容・活動上の問題と克服

    要請理由

    技術講師にたいして、障害を持つ生徒への指導の仕方、カリキュラムへの助言、父兄への指導を行うことで
    より効果的な訓練が可能であると考えられ、隊員要請となった。

    障害のある子どもたちへの関わり方

    繰り返しの指導を続ける「忍耐」と失敗を繰り返す子どもへの「寛容」
    → 人を育てる上での鉄則
    → この国の人たちにとっても難しい課題だった >> 「忍耐」と「寛容」
    (自分とは血のつながりのない人たちに(ビラーダリー外の人たちに))

    期待される業務内容について

    1 技術講師および、センタースタッフに対し、生徒の指導の仕方およびカリキュラムへの助言を行う。
    → カリキュラムがない・先生が恣意的に行っている。
    2 父兄への相談指導、カウンセリング、助言およびPTAとの連携
    → PTAとの信頼関係が崩壊(会費の使い込み→作業のための補助金が出ない)
    3 同僚講師とともに、年中行事の企画を行う。
    → これはできそう。
    4 教材・教具の整備、アイディア、発想の支援
    → これもできそう。
    5 職業訓練後の社会復帰への助言も期待されている。
    → むちゃくちゃ難しい。学校は公務員の障害者枠などごく限られた就職のあっせんをするのみ。

    上記事情から、私のミッションは以下にしぼられた

    1) 知的障害のある子どもたちのクラス(Art&Craft)で担任をすること。
    2) 学校の諸活動を写真に記録し、そのプリントやCDを学校に提供すること。
    3) レクリエーション・スポーツ活動でのマンパワーとしてのお手伝い。

    1) 知的障害のある子どもたちのクラス(Art&Craft)で担任をすること。
    生徒たち

    生徒たち

    生徒たち

    生徒たち 

    生徒です

    生徒です

    在籍生徒数
    2003年10月 5名
    2004年6月 14名
    2005年6月 17名

    担任
    私、S先生(女性45歳)、Sさん(雑用)
    学校としては・・・・技術の習得が難しいこうした子どもたちの扱いに苦慮している。(デイケアセンターを志向していないが、実態はデイケアセンター化)
    私としては・・・・日本で経験して感じてきた通りのスタイルで(一日一日を楽しかったと子どもが思えるようなかかわりを、愛情を持って!)

    【環境整備】

    教室

    教室

    在籍表

    在籍表

    ウルドゥアルファベット表

    ウルドゥアルファベット表

    歌の歌詞表

    歌の歌詞表

    ちぎりえの作品

    ちぎりえの作品

    ↑は、生徒の手作りによる(ちぎり絵の手法で) 時間がかかりましたがよいものができたと思います。
    また、生徒の活動が見えてくるような掲示物(作品・作業の様子を記録した写真)を多く貼るように気をつけていました。
    カリキュラム(シラバス)を使っていない実態・・・テキストよりもこうした掲示物のほうがこちらのスタッフにとっては有用だろうと考えました。

    6月~7月にかけて → 新校舎に移転後、現地スタッフたちだけできれいにデコレーションをしていました。

    新校舎の教室

    新校舎の教室

    新クラスの掲示物

    新クラスの掲示物

    掲示物

    掲示物

    展示品

    展示品

    【作業種を増やす】

    ちぎりえ・折り紙・園芸・室内レクリエーション(体操・風船バレー)・造花づくり・アイスクリームのふたを使った筆入れづくり

    【特に注力した作業:フレームを使った毛糸編み】

    メリット
    ・モノをつくったという達成感を味わいやすい。
    ・現地スタッフがこれまでも取り組んでおり、今後も継続して行える作業種である。
    ・担当するすべての子どもに教育の機会を保障する。

    毛糸を使ったマットの製作工程表(ウルドゥ語:GIFファイル)
    ページ1(169KB)  |  ページ2(171KB)  |  ページ3(152KB)
    クレープペーパーを使った造花の製作工程表(ウルドゥ語:GIFファイル)
    ページ1(111KB)  |  ページ2(123KB)

    フレーム

    フレーム

    作業

    作業

    作業

    作業

    毎日10~15人の生徒に順番に作業を繰り返し繰り返し教えていきました。
    必要な材料は(学校から予算がもらえなかったので)現地生活費から出してでも買い揃えて用意しました
    → クラス活動の活発化

    生徒作品

    生徒作品

    生徒作業中

    生徒作業中

    パッキングした作品

    パッキングした作品

    ↑きれいにパッキングして展示することも心がけました。

    大型フレームでの共同作業

    大型フレームでの共同作業

    ↑2005年5月の作業の様子です。

    2) 学校の諸活動を写真に記録し、そのプリントやCDを学校に提供すること
    3) レクリエーション・スポーツ活動でのマンパワーとしてのお手伝い

    いろいろな会合に参加させていただけるチャンスがひろがった。 → 新たな人脈の開拓

    【パキスタンの障害当事者の方たちとの出会いと結びつき】

    休暇を利用してパキスタン各地の障害当事者NGO、学校の見学を行ってきた。マイルストーンの方たちと

    なかでも、ラホールの障害当事者団体「マイルストーン」の方とはいいお付き合いをずっと続けてきた。
    彼らを通じて、パキスタン・日本・タイの障害当事者の方との出会いがひろがった。

    STEPの方たち

    ファラハットさんと
    パキスタン・スペシャルの編集長さん

    という2年間を過ごしてきました。
    学校の先生(公務員)のやる気の低さに怒ることもしばしばでした。
    が、こういう学校外での出会いをさせてもらえたことでいい刺激を見つけることが出来、フラストレーションはだいぶ抑えることができたのではないかと思います。

    2年間の活動を振り返って

    校長先生・調整員さんと

    校長先生・調整員さんと

    障害児教育でもっとも大切なことは子どもたちの変化を見逃さない繊細な感性と、失敗を繰り返す子どもたちを温かく見守る寛容性だと思います。
    その意味では教師のトレーニングがとても重要になってきますが、その部分での先生方の変化はほとんど見られませんでした。
    しかしながら、それであきらめず、地道に与えられたクラス担任の仕事をこなし、写真撮影など本来の要請内容にはいってはいないけれど必要とされる仕事に取り組むことができたことは、何らかのお役に立ててよかったなぁと思っています。

    離任のあいさつを八木調整員さんとご一緒に校長先生・副校長先生のところで行ったときも、校長先生は「Great Man」だと誉めてくださいました。
    この2年を振り返ると、調子を崩して学校を休むこともたびたびあったし、あまりに働かない先生たちにどやしつけたりしたこともあったのですが、そんなことにも関わらず「彼はGreatだ」と評価してくださるのは、実に協力隊員冥利につきることだなぁとうれしい気持ちでした。

    途中では形や行く末の見えない活動でもこうして終わりの時に温かい言葉をかけていただけると、何がしかのお役に立てたのだとすべてが無駄ではなかったんだと思えるようになるのは不思議な感覚でした。