旅行inパキスタン一覧

2011年春パキスタン渡航記(1) タッタ・カラチ編

とりあえずドラフトでアップします。写真、動画の追加や文章の書き直しは随時させて頂く予定です。

2011年2月27日日曜日

朝10時過ぎにタッタの事務所を出発。スジャーワル(Sujawal)方面に車を走らせていく。

タッタを出てしばらく走ったあたりの風景。このあたりも水害の際は水浸しになったところだ。
が、その後水が引いたところはこのように小麦・米・野菜・綿花などの栽培が再開され、小麦などは収穫を迎えているところもあった。

そこから更にスジャーワルの方に向かっていくと、道の両側にひまわり畑をよく目にするようになった。
これは、USAID http://www.usaid.gov/ 米国国際開発庁の支援によるプロジェクトの一環で、NRSPから農家にひまわりの種子・肥料などを提供しているとのこと。
ひまわりが栽培されている理由は
・水を与えなくても育つ、水害でダメージを受けている土壌でも育つタフな適性
・種子から油が採れるという商品価値
・小麦は収穫まで半年かかるが、ひまわりは2ヶ月半で収穫が見込めることから早いサイクルで現金収入が可能になること
などとのことだ。
ただ、小麦などレギュラーの品種のほうが高収入になるようで、このひまわりプロジェクトはとりあえず急場をしのぐものになるかも知れない。

手がつけられていない耕作放棄地や荒地も多いので、一面ひまわり畑とまでいかないが、その黄色い花が群れる様子は可愛らしい。

2011年2月26日土曜日
カラチ事務所に着いて、ほどなく休んだ(朝4時前)が7時前には起床。シャワー、荷物整理、地図に情報をプロットしたりしてたら時間があっという間に過ぎていった。
午前11時過ぎに朝食。カラチ事務所のザフールさん(Zahoor)とご一緒に。ザフールさんはチトラールの人だが6人兄弟5人姉妹の大家族の真ん中なんだそうな。ほかの5人の兄弟はチトラールの故郷で一緒に住んでいるのだという。


UPAPカラチ事務所。クリフトンにあり、近くにはザルダーリ大統領の私邸?公邸があったりする。タッタへは一本道で行けるアクセスが良い場所にある。


UPAPカラチ事務所の Zahoor ザフール所長さん。チトラールのご出身。うんノーザンエリアなお顔立ちだ。今回カラチでは空港での出迎えやら現地タッタとの連絡などでとってもお世話になった。感謝感謝。


UPAPはマイクロクレジットを行うNRSPの傘下団体だ。ここでは主に女性に対して少額融資を行いその融資をもとにした仕事で稼いだお金から返済をしていくというシステムだ。
事務所では若いスタッフさんたちがマイクロクレジットにかかわる仕事を行っていた。


毎月の融資額などが記された領収書。こうした書類をまとめてあとで監査にかける・・・といった手間と根気のいる仕事が続けられている。


マイクロクレジットの申請書。

12時過ぎ、NRSPの車でタッタに向かう。2時間強でタッタ・マックリー(Makli)のNRSP事務所着。
道中は水害の救援キャンプはみかけることはなかったが、ドライバーさんの話ではいまもNRSPが運営しているキャンプがあるそうだ。
14時半前にNRSP事務所着。事務所はかなり模様替えしているし、スタッフも異動をしている様子。
でもドライバーで一緒に動いてくれたムスタファさんと再会。痩せててびっくりした。でも元気だ。

見覚えのあるスタッフさんがいたのであいさつすると、模様替えしたある1室に連れて行かれた。
そこに1人の責任者らしき方が座っていらっしゃった。
お名前をキルシャン=クマルさん(Kirshan Kumar)といい、昨年起こった水害に関するプロジェクトの責任者だという。お尋ねするとヒンドゥ教徒とのこと。



私をはさんで左がシンド州の地域責任者のMustafa ムスタファさん、右が水害救援活動部門の責任者のKirshan キルシャンさん。

昨年秋に初めてタッタを訪れた際にも驚いたことが、NRSPのスタッフの中に複数のヒンドゥ教徒がいらっしゃったことだった。北部イスラマバードではまずお目にかからなかったヒンドゥ教徒のパキスタン人。
シンド州はインドと隣り合う位置にあり、ヒンドゥの人たちの集落があったりムスリムと混在して住んでいることは想像できる。
しかしながら、今日お会いしたキルシャンさんのように事務所で相当な地位(所長と同格扱いだった)にあるヒンドゥの方に実際にお会いすると、「パキスタンは人口の97%がイスラーム教徒」という政府のアナウンスから受けるイメージとはまた違うパキスタンの姿を見た気がした。
キルシャンさんに今回のタッタ訪問の目的などをお伝えすると、「ああ、その件は聞いているから心配することはないよ」とおっしゃってくださった。有り難い。



事務所の2階の1室に泊まらせていただくことになり、部屋に着いて荷物を仕分けしたり、ネットをつないだり。
タッタはカラチから2時間強、100キロ離れたローカルな街。旅行客が泊まれそうな宿は市街に1軒しか見当たらなかったりするので、こうして泊めていただけてとても助かっている。

2階の部屋で少し休んでから1階に降りてみると、100キロほど離れたBadin(バディン)から、NRSPのこのエリアの責任者をされているムスタファさんが来られていた。
「おお、良く来たなぁ、安心して泊まっていっていいからな。それと車の手配とか、どこどこに行きたいとかの希望もお前のしたいようにできるからな。」
と言ってくださった。次は翌週の火曜日においでになるとのことだった。

で、夜はAMDAのみなさんが宿泊した家のお隣りさん(Turk トゥルクさん)宅を訪問。
日本の先生からお預かりしたプレゼントなどを持ってお伺いする。


お父さんがこの地域の有力な地主さんということもあって、生活に余裕がある。
ということもあってかみなさん、人を疑うことを知らないのか?というくらいに人が良い。良すぎ。
お父さん・お母さんそれに3人の息子と4人の娘がいるがみんな美男美女だ。
これでどうして結婚しないのかと思っていたら、2番目の娘さんが今月3月に、長男さんが4月に結婚の運びになったとのことでお祝いの言葉を言う。お隣さんでご一緒していた10月以降にバタバタっと決まったようだ。すばらし~。


で、このご家族が自らNGOを立ち上げた。二男さんはこの地域の裁判所に務める法律専門家だが、そこのオフィスを使って運営をしているようだ。
環境保護や地域の生活向上を目指しているとのこと。
そんなこんな話をしているとあっという間に時間が過ぎていった。

– –
2011年2月25日金曜日
8時前に夜行バス東京着。ほどなく山手線で日暮里→京成特急で成田空港へ
11時半にチェックイン開始。機材到着遅れで14時発が14時半に変更。預け荷物は12キロで収まっていた。
13時過ぎに搭乗ゲート待合へ。Wimaxでネットしながら、14時15分搭乗開始。機材はエアバスA-310のようだ。


ボーディングブリッジへ向かうところから見た本日の搭乗機。


安全の手引きに機種名(エアバスA310-300型)が書かれていた。ウルドゥ語が読めなくても説明内容はイラストで分かる。

日本人2割中国人4割パキスタン人4割くらいで搭乗率70%くらい。
結局15時過ぎ離陸4時間ほどかけて19時(北京時間18時)すぎ着。
機内食は中華(牛+ヌードル)、パキスタニー(チキン+米)の2種類だが味落ちたか?旨くない。紅茶はOK。コーヒーはいつもどおりでにがいとのこと。


昼食で出た機内食。このときはパキスターニーを選択。北京で調理されたもののようで、調味料やパンのパッケージには中国語が。
以前食べたPIAの機内食を美味しかったと思い込んでいるのかも知れないけれど、比べてどうにも味がはっきりしない感じでイマイチな印象。特にサラダは×。食欲をそそらないんだなぁ。

隣席が日本の女性の方。隣席のパシュトン語をしゃべる在日パキスタン人、クリームパウダーの年月日表示2010年11月03日は賞味期限でないの?と尋ねる。
隣席の女性の方、たぶん中国は製造年月日のはず、と答える。
Duty FreeときどきFAが愛想良く薦めてきたり、ここで買わないとダメと言ってきたり。
2005年以来の搭乗だが、トランプのデザインが変わっていたことと、お祈り用のマットが気になる。帰りに買おう。
1時間半くらい機内清掃・搭乗客入れ替えあり。
20時半(北京時間19時半)離陸、中国人4割、パキスタン人5割、日本人その他1割で搭乗率85%くらい。6時間のフライトは正直堪える。



北京~イスラマ間の機内食、昼食と基本同じだったみたい。中華にしたが、ヌードルはブチブチ切れてフォークでは食べづらい。箸がないと辛い感じ。
で、これも北京で調製された感じだけど、うん、旨くない。とりあえず温めてあるだけマシかなという感じで。
となりの人はパキスターニーを食べていた。昼と同じように見えたけれど味は試してないからわからない。でも・・・・な感じか。

で、エコノミー症候群防止に他のキャリアだったら水・ジュースをトレーに載せて配ってくれるけど今回のPKは全くなし(頼めば持ってきてくれるけど)。
FAさんたち往復通しで搭乗しているんやろか?交替のクルーは乗っている気配はないし、成田ではすぐにトンボ帰りするから交替はしないだろうし。
イスラマの手前ではアテンダントさんも座席に座ってリラックスしてたな。

やっとこさ23時前(日本時間翌日3時)にイスラマバード着。雨が降っていたようだ。ここで20人ほどを残してみんな降りていった。
ああ、これは王様状態でカラチまで行ける!と思ったのもしばらくのうちだった。
機内清掃(男女スタッフ)の後後部から続々国内線利用客が搭乗。95%の搭乗率に。機内案内でも別の便コードでアナウンスしていた。
24時過ぎ離陸して、25時45分(日本時間29時45分)にカラチ着。

イスラマバード~カラチ間の軽食とドリンクのサービス。サンドのパンが結構いい感じだった。
国内線扱いならこんなもんかな?という印象。
残さず食べたが、運動をしない乗りっぱなしの15時間で3回の食事はキツイな。

成田~イスラマバードまでは通路側に予約をしてもらって座っていたが、イスラマバードからは若い女性が隣に座ってきた。
パキスタン的に見知らぬ男女が隣り合って座ることは普通はない。
外国人ぶって知らんぷりしてればよかったけれど、何かむずがゆく(う~んパキスタン人化しているか?)、結局別の座席に移ることにした。
で移った先が4列席の内側だったのでトイレも満足に行けず。両隣は体格大きくて身をすぼめて座っていた。
何人かエコノミーの座席に収まるのがやっとで、エクステンションのシートベルトを巻く人も。

東京から通しで乗ってた20人ほどは、国内線客が降りた後後部から小型バスでイミグレへ。
イミグレも少しゴタゴタしたが、その後日本からの通し客の預け荷物がみんな出てこない事態に。
空港の荷物担当官、イスラマの空港に照会したり、ああ、こりゃロストバゲージか?と思ったら、どこかにコンテナが紛れていた(ってことあるかいな?)らしくやっと受け取りのコンベアに流れてきた。荷物は無事。
それと空港で少し両替することに円0.908と渋いレートだったので昨9月にだれだったか覚えてないけどあなたの店の人が0.95で替えてあげるよと言ってた」と言ったら0.95のレートにしてくれた。

東京からパキスタニー老夫婦がいらっしゃった。ご主人は東京のイスラミックセンターでお勤めのこと。奥さんが「東京に帰ったらぜひいらっしゃいよ」と誘ってくださった。

2時40分過ぎ、ようやく到着エントランスで、ベーグさんと再会。ご迷惑をおかけしました。
カローラでクリフトンのカラチ事務所へ夜も結構交通量は多い感じ。あと交差点(サークル式)には警察の車が詰めていることが多かった。40分ほどで到着。
ベーグさんはチトラール出身の方。婚約はしているが結婚はまだとのこと。いまはカラチ地区の責任者として事務所に住みこんで働いている。
すぐに寝室に案内されて、明日11時に朝食にしようかということに。
12時か12時半にタッタに向かうことになるだろう。

– –

昨年2010年秋に水害救援活動でパキスタンに行った後は、日本で支援学校講師やアルバイトなどをしておりました。やっと準備が整い、以下の日程でパキスタンに行ってくることになりました。

02月25日金:成田→カラチ
カラチ・タッタに滞在予定(水害被災地の視察、昨年の活動でご一緒した現地NGOの方との再会・情報交換など)
03月02日水:カラチ→イスラマバード
イスラマバード・ラーワルピンディ・ノウシェラなどを訪問・滞在予定
03月06日日:イスラマバード→アボタバード
アボタバードの障害者社会参加プロジェクトを訪問予定
03月08日火:アボタバード→イスラマバード
イスラマバードに滞在予定
03月10日木:イスラマバード→成田

ネットがつながれば随時現地から情報をお届けしたいと思います。
水害被災地が今どうなっているのか。
パキスタンの友人たちは今どう暮らしているのか。
アボタバードでこの3年来続いている障害者社会参加プロジェクトもぜひ伺いたいと思っていましたので念願が叶うようでうれしいです。


2009年12月 : イスラマバード訪問記(4)

イスラマ訪問記 序 | その1 | その2 | その3 | その4 | その5 | その6 | その7 | その8

初版 2010年02月17日


2009年12月02日(水)

ゲストハウスに帰ってきたら、ちょっとまどろんで、それから夜中から朝まで今日の記録を綴ってはTwitterにアップする。1ツイート140字(全角70字)の制限があるから、ひとつひとつのトピックを簡潔に、でも要点立てて書くように意識できるから、ちょっとした作文トレーニングやね。
結局AM05:30のアザーンも聞いてしまった。
そのままの勢いで、朝シャワー。

前回2006年冬に泊まった、G7シターラー・マルケットの安宿はお湯が出なくて、ブルブル震えながら水を被ったものなぁ。
今回お世話になってる、New Cape Grace Guest House ゲストハウスは、ラッシュ時(パキスタン人は朝シャワー派多い)にはややぬるいお湯が続くけど、それ以外は24時間ちゃんとお湯が出るいいゲストハウスだ。
朝食は摂らず、AM08:30前に宿を出て、Nazm-uddin-Road ナズムディンロードを歩く。この4年であちらこちらの道路が再整備されている。China Chowk チャイナチョークも、Mobilink モビリンクも、PIMS ピムス(パキスタン医学研究所)の交差点も、昔は渋滞ラッシュがすごかったけど、立体交差化されていて、通行がすっかりスムーズになった。ゲストハウス前の道路だって、昔は Green Belt 緑地帯だったのに立派な Double Road 複線道路&立体交差になっていて驚いたもの。

Nazm-uddin-Road : ナズムディンロード
image
隊員時代は片側1車線のシンプルな道だったけど、いまでは中央分離帯つき&複車線化。

一番渋滞するのは、爆弾を警戒して設置されたチェックポイントのところ。主要な道路には何ヶ所も設置されているから、滞在中何度も通ったけれど、こんなとこで待っていてドカンとされたらいややな、と薄々思いながら通っていた。

さて、話を戻して、Nazm-uddin-Roadを歩く歩く。
今日は快晴のイスラマ。
大阪とおなじくらいの寒さで、日なたを歩くと、とても気持ちイイ。ゲストハウスから歩いて15分ほどで、協力隊時代の Counterpart カウンターパートだった Ms.Nuzhat Seemi シーミーさんの家へ。シーミーさん、旦那さんの Mr.Abbas Hashimi ハシミさんもまったく変わらず。

Counterpart カウンターパート:
ニュース英語では、異なる組織や国で、同等または対応関係にある人や立場、役割のことを指してcounterpartと表現することが多い。(英辞郎Web)
とあるように、協力隊の派遣先で、隊員の技術知識の移転対象となる方々を指す。職場の同僚さんということですね。
活動先では一番顔を合わせる時間が長い方たちなので、自然と仕事上のお付き合いだけでなく、家族ぐるみのお付き合いになることがよくあります。
帰国してからも、電話・メールなどで連絡を取り合ったりすることもあります。

実はシーミーさんとこにイスラマに行くと連絡したのはつい数日前。4年ぶりにお邪魔するのだけれど、ちっとも変わらない温かさ。
熱いハグもそこそこに中に案内される。たびたびお邪魔した家だから勝手は知っているけど、懐かしさがこみ上げてくる。お二人には3人の娘さんがいる。私が活動していた時に長女のSana サナさんが、帰国したあと次女の Hina ヒナさんが結婚。二人ともアメリカ、カナダで旦那さんと暮らしているという。
旦那さんはそれぞれ在外で住むパキスタン人。そういう人と結婚できるんやから、中流から上流のご一家ではありますね、ハシミさん一家。
でも、お家は普通の集合住宅やし、ご家族みんなそうした気取りは全然ない。ある程度裕福やから、気持ちも大らかなんかなぁといつも思ってた。

image
壁に真新しい写真ボードが掛けられていた。照明をおしゃれにあてて。
こうやって娘さんたちを3人ともしっかりと育ててキチンと嫁がせる、写真を1枚1枚じっくり拝見させていただきながら、その時間の流れとご夫妻の御苦労にただただ頭が下がる思いだ。

さて、隊員時代のようにふらっとお家にお邪魔したけど、普通に家に通されて、変わらないいつもの食卓で朝食にあずかる。
今朝はラスク&バターとミルクティー。ラスクは甘くない乾燥したパンという感じだけどバターと紅茶との相性が良くて美味しかった。

今回持ってきた、荷物の半分はお土産。
何がいいやろ?お土産なぁ。そうあれこれ考えながら詰め合わせて持ってきた。
シーミーさん宅に持ってきたのは、「白い恋人」と砂糖(スーパーで売っている1㎏袋のやつ)など。
白い恋人はどこでも喜んでくれるお土産。こちらでも喜んでくれたけど、
”パキスタンでは砂糖が高騰してるってニュースで聞いたから持ってきたよ”
というと、苦笑された。
”持ってきてくれてうれしいけれど、私んとこは間に合ってるから、他の人にあげてね”
と返された。心配しすぎたみたい。そうやなー、生活には困ってへんもんなー、シーミーさん宅。
でもシーミーさんから、粒の粗いあんまり溶けない砂糖でもいまは80-90PKR/1kgすると聞いて驚いた。前は25-30PKR/1kgだったのに。

朝食をごちそうになったあと、シーミーさんとこの車で活動先だった学校 National Training Centre for Special Persons 国立障害者職業訓練センター(NTCSP)へ。
学校は、G9 Karachi-Company カラチカンパニーそばにある。Bari Eid バリー・イード明けだったから、いつもより来ている生徒や先生は少ないようだ。4年ぶりにお邪魔する学校だけど、当時いた人は私を忘れていなかった。

シーミーさんに連れられて全部のクラスにSalam サラーム(挨拶)して回る。新しく音楽クラスができていて、演奏と歌を聴かせてくれた。
先生は Mr.Imran Nazir イムラーン先生といい、転勤でこちらにおいでになったそうだ。明日大きなイベントがあるので、その練習をクラスでされていたようだ。

Youtube: Pakistani Music Playing students 1

先生がきっちり教えているようだし、生徒も素質のある子たちだからだろう、上手な演奏だと思った。
ただ、協力隊時代から変わらないのだけれど、政府から十分な予算は来ていないのだろう。学校の看板にある職業訓練の部分では、教師の研修不足、材料不足、設備が旧式・故障したままで、生産的な活動はどのクラスもほとんどできていない様子に見えた。

AM10時過ぎ。
シーミーさんが「これから明日のイベント準備に行くわよ。一緒にいらっしゃい」と他の先生生徒とスクールバスに乗り込み、G8-4のAl-Farabi アルファラビー(肢体不自由校)に連れていってもらう。
バスはギュウギュウ。生徒と体をくっつけ合って座る。みんな陽気な子どもたち。すぐにうちとけて会話する。
学校でみんなと再会してまだ1時間しか経っていないけれど、もう協力隊時代の自分に感覚が戻っていた。

さて、明日12月3日は International Day of Persons with Disabilities 国際障害者デー。関連して政府が障害児教育学校の生徒を集めて歌や踊りを披露させるイベントがある。そのリハーサル。動画はパキスタン国歌を歌っているところ。男の子は聴覚障害、女の子は視覚障害。

Youtube:Pakistani Song

10:30-13:15くらいまでリハーサルは続いた。
先生たちは分担して会場のデコレーションや、生徒への指導などに当たっている。
私は生徒や先生とおしゃべりをしたり、写真や動画を撮ったりして過ごす。さぁて、お腹すいたなぁと思い始めた頃、リハーサルは終了。スクールバスに乗って学校に戻る。
以前は14:00までだった学業時間は13:30までに短縮されていた。金曜日は礼拝がある日だが、その日も前より30分早い11:30で終わりになる。

放課後は一切残業はないから先生も生徒もスクールバスに乗って帰っていく。Bari Bus バリーバス(大型バス)も健在だったが、風雨にさらされて真新しい塗装だった車体が色あせていたのは寂しかった。私はシーミーさんの車に乗せてもらう。運転は夫のハシミさん。

で、そのままシーミーさん宅まで帰ってくる。お昼ごはんをいただくことに。
パキスタンでは14時頃終業または昼休みになり、それからお祈りをしたりして食事となる。だから食べ始めるのは15時くらいからだ。

image

そしてお待ちかねの料理。
右下:Daal Masur ダールマスールという豆を使った薄味カレー。
上:の白いのは Raita ライタというヨーグルトソース。
左上:の茶色は Bakri ka Saalan 羊カレー。
下:の黒は Kalayjee カレージーという肝臓カレー。
その左:は Piaaz Salad タマネギサラダ、Ninbu ニンブー(レモン)を絞っていただく。

Youtube: How to Make Cucumber Raita (Indian Cuisine Video)

image

でデザートが Sawaiyaan スァワイヤーンというコレ。ヒゲのように細いパスタをさっとゆで、それにミルククリームやカルダモンやブドウなどを和えたもの。シーミーさんとこでご馳走になるといつも出される一品。マジでうまい、泣けてくる。

ウルドゥ名:Sawaiyaan, Savaiyaan
イタリア名:Vermicelli (1.2mm未満の物:ヴェルミチェッリ、ヴァーミセリーなどと呼称)
Wikipedia: Vermicelli http://en.wikipedia.org/wiki/Vermicelli

日本のそうめんのように作ってるんですね、Sawaiyaan。
image
掲載ページ: http://pakistaniat.com/2009/09/16/sewayyian-sawaiyan-verm…
2010/02/17 閲覧

シーミーさんとこにはこの15年来何人もの協力隊員がカウンターパートとしてまたは同じ職場の同僚としてお世話になってきた。パキスタン人は概して時間や計算には疎いところがあるが、いったん仲良くなった友人の思い出はとても大切にしている。食卓はその話題で尽きなかった。

シーミーさん宅でゆっくりしたあと、携帯の Activate アクティベート(使用許可認証)をしてもらいにブルーエリアMobilinkに行く。動画はその道中にジンナー大通りから撮った、16:30ごろ。綺麗な車は増えている。

Youtube: Jinnah Avenue,Islamabad

さてさて。
無事携帯は使えるようになった。iPhoneと現地携帯の2本持ち。試しにゲストハウスの無線LANを使い、iPhoneからskypeで現地携帯を呼び出すとつながった

Mobilinkからの帰りにまたまたフレスコに立ち寄る。サモサ2つを砕き、そこに豆カレーソース、甘いチャットニーとヨーグルトや刻み野菜をかけたプレートってやつ。35PKR。いまの日本円なら40円。でウマい。

image

このときもそうだった。
夕日を背に浴びながら、Jinnah Avenue ジンナー大通りを宿に向かって歩いていく。
観光地でもなんでもない場所なんだけど、ああ、やっとこの場所に帰ってこれたんだ!ってゆう満たされた思い。
カラッカラに乾いた砂に水がスーっと染み渡っていくような心の感触。
自分が5年前6年前の現役協力隊員にすーっと戻っていくような心地。

感情が高ぶっているのはよく分かっていて、冷静に冷静に、という気持ちもあるのだけれど(安全には留意しないといけないし)、でも、こうやって歩けているだけで大満足。よかったーという思いがあふれてきてしょうがなかったんだ。
で、そうしたメンタルな部分が作用するのだと思うのだけれど、日本ではからっきし使わなかったウルドゥの単語が次から次へ思い出されてくる。4年間使わなかったフレーズが湧き出してくる。
現役協力隊員にもどっていく心地と一緒に、ウルドゥ脳に切り替わっていってるってすごい感じられた。

で、ゲストハウスに戻ってプレートを一気に食らい、メールの返事を打っていたら、いつの間にか寝ていた。
夜も更けてきたから外出はやめてそのまま寝たり起きたりしていた。

(続きは執筆中)

イスラマ訪問記 序 | その1 | その2 | その3 | その4 | その5 | その6 | その7 | その8


2009年12月 : イスラマバード訪問記(3)

イスラマ訪問記 序 | その1 | その2 | その3 | その4 | その5 | その6 | その7 | その8

初版 2010年02月12日


2009年12月1日(火)つづき

向かったのは、在留日本人Oさんがお世話になっているというゲストハウス。イスラマバードの中心から離れた、閑静な住宅街の中にあった。
そこに韓国人ボランティアのYさんもご一緒される。
そこで、Oさんからご友人のJさんというスウェーデン人を紹介していただく。Jさんも長年アフガニスタン・パキスタンで活動をされるNGOの方だ。あらかじめOさんからお聞きしていたとおり、とても気さくな方だ。
そう、アラビアのロレンスのピーター・オトゥールのような雰囲気。(うん?欧米人はみんなこんな風に見えんことはないな)

image

食卓をその4人で囲んでの昼食。
チャーハンっぽいプラオー(パキスタン風たきこみごはん)、鶏ももの丸焼き、それにサラダとミルクティー。
給仕をしてくださる方はパキスタンの方、でも長年こうした欧米人と仕事をされているから英語は完璧。
Oさん、Yさんもお二人の間では英語。
だから食卓の場は英語で話が進む。
ウルドゥーは何とか話せても、会話英語はからっきしな私だから、英語で会話する食卓の場はストレスがかかってくる。でも、日本ではなく本当の国際援助の現場で活動する方たちに混じらせてもらっているだけで刺激されて、何かさび付いていたものがポロポロ浮き出してとれていくようなそんな心地になる。

そうして食事をごちそうになったあとは、F6のテニスコートに行くというみなさんの車に乗っかって、F7のジナースーパーで落としてもらう。協力隊時代に一番ウロウロしていた懐かしい庭みたいなところだ。

変わっていない、店の並びも雰囲気もまったく変わっていない。
中心のゴールマルケット(円形店舗)そばに大型液晶ビジョンがついたくらいで私のいたころのジナースーパーと変わっていなかった。

Youtube: T20 Worldcup 2009 Final, PAK VS SL.. Jinnah Super, Islamabad, Pakistan/(PAKIS ROCK )

昨年(2009年)6月、World Cup Twenty20という大会でパキスタンが優勝した。
その決勝戦(スリランカ戦)をジナースーパーの大型ビジョンで観戦・応援する人々。
昨今の沈滞ムードの中で、日頃の鬱憤をはらしたような盛り上がり。以前はいつもこんな雰囲気やったけどね。

まずは、ジナースーパーの中で一番通い詰めた写真屋さんへ。
このお店ではしょっちゅう写真を友だち価格で現像してもらい、お茶もペプシもごちそうになり、イフターリー(毎日の断食明け食事)もごちそうになっていた。でもそれから4年以上経つ。
だから、みんな覚えているかなぁ?と思いながら、ちょっと呼吸を整えて店に入る。

4年ぶり&短髪&髪が薄くなり&オッサン顔になっているのに、店に入るなり「ハロー、トサ!」とハグしてくれる。まるで昨日会っていたかのような自然さ。
で、すぐに、「おー、トサ、おまえ紅茶がいいか?それともペプシがいいか?」と聞かれる。これも昔と変わんない。それで「そうだなぁ、じゃ、ペプシくれる?」と頼む私も昔と変わっていない。
それで、しばらくして届けられたのがコーラのボトルだったけど、そんな細かいところも気にしない気にしない(笑)。

客人歓待。
おまえは私たちの「Mehmaan メヘマーン(お客様)」だよといつも変わらず歓迎してくれる。
これはパキスタンだけでなく、協力隊の任国ではよくあること。
隊員として活動中だけでなく、帰国して何年も経つのに、再訪すると今回のように変わらず迎えてくれる情の温かさにやられて任国を再訪する協力隊OVは多いはずだ。
私も、やられちゃったひとりだな。

で、早速彼らが、「おい、トサ、おまえオカリナ持ってきたか?」と聞いてくる。お店に来る時はいっつも決まってオカリナを持ってきて吹いていたんだ、パキスタンの歌を。

Youtube:Jeevay Jeevay Pakistan(オカリナで演奏)

2005年3月に先輩隊員のKATOHさんが任期を終えて帰国される際、活動先のセンターの人たちが開いてくれた送別会で吹いています。同じセンターで活動していたSHIHOさんに撮っていただいてました。
この曲は、Milli Namma ミッリー・ナッマ(国民愛唱歌)としてみんなが知っている曲です。国歌の次くらいに大切にしている曲だと思います。

Youtube Jeevay Jeevay Pakistan – Shahnaz Begum

こんな感じでパキスタン・インド映画の曲をいくつか覚えてはあちらこちらで吹いていました。オカリナと折り紙は自分の活動にはかかせないマストアイテムでした。
当時はKTC(駒ヶ根訓練所)で通販で買ったTiamo ティアーモのアルトCを使っていました。

Youtube:今回持ってきたオカリナ(韓国製ZINオカリナ)

今回持ってきたのは、韓国製のZINというメーカが作っているプラスティック製。日本では通販で3500円くらいで買える。
本当は今持っているAketa アケタとかの陶器製がいいんだけど、旅の途中で割れるといやだなぁと思い、こっちを持ってきた。
プラスティック製なら、この韓国製ZINは断然良い。

オカリナハウスさん:ZINオカリナの紹介
http://ocarinahouse.web.fc2.com/ocarina/puraoka/zinn.html

この写真屋は一生懸命仕事をするお店だから、お客さんはひっきりなしに来る。そういうときは遠慮してコーラを飲みながらのんびりしつつ、お客さんが途切れると曲を何回も吹いてあげる。片時も仕事から離れられないお兄ちゃんたちだけど、耳をずっと傾けて聞いてくれていることがひしひし伝わってくるんだ。
そんなことをしつつ、今日デジカメで撮った写真のプリントも頼む。2005年当時、基本料無し1枚10PKRのところ、私はいつも8PKRでやってもらっていた。それから4年経つのに、今回もその8PKRで変わらなかった。私は何も言わなくても。
(今回の滞在では2、3日に1回の割でお邪魔することになる。)

さて、次はDVD屋のillusion、本屋のSaeed-Booksへ。並びのピザハットは変わらず営業していた。繁盛しているみたいだな。
ここでは、イスラマバード、ラーワルピンディの地図・カレンダーを買い込んだ。

image
Jinnah Super ジナースーパーにて。
左 : Saeed-Books サイード・ブックス
右 : Pizza Hut ピザハット

ひととおり用事が済んで、いったんゲストハウスに帰ることにした。タクシー数台と値段交渉。
2005年当時、Jinnah Super ジナースーパーから F6-1 ゲストハウスまでなら、30PKRで余裕だったと思うのだが、今は頑張っても45PKRまでしか値切れない。でも、この時のレートなら50JPY。
今回はパキスタンにできるだけお金を落としていくつもりだから、相場が分かれば十分。ケチケチしない。

さて、タクシーでいったん宿にもどり小休止してから再度ブルーエリアに歩いていく。通話ができればいいから、適当に入ったお店でNOKIAの廉価な携帯を買った。2600PKR。写真の赤いケースの中にSIMカードが入っていた
これで実機も購入。

image

あとは、デポジットした300PKRのスクラッチカードのPINコードを入れれば携帯は使えるはずなのだが、外国人はMobilink本支店に行かないとだめだということだ。セキュリティのためだと思うがちょっと不便。

Mobilinkの本店は17:30でクローズしていた。
仕方ない、携帯の手続きは翌日にまわして、昼間お世話になったOさんが迎えに来てくださる時間に間に合うよう大慌てでブルーエリアを走る。でも通りかかった菓子屋のFRESCO(名店)でどうしても食べたくなって、サモサを買う。

めっちゃうまーーーーーい!カラッカラに乾いた自分の何かに水がしみこむような。
4年のブランクがぎゅぅぅっと埋まって、自分が現役の隊員のころに戻っていくそんな不思議な感覚だ。
そんな、自分の中でちょっと身震いをするような経験がこの滞在中何度となくあった。

最後は走ったけれど、ギリギリで約束の時間に間に合った。
ゲストハウスから、Oさんの車でピックアップしてもらい、お昼と同じお宅で夕食をいただく。
スパゲティミートソース。
アルデンテにならないパキスタン製パスタの噛み心地がうれし懐かしい、マジで。
それとマリービール!!4年ぶりに飲む。日本では絶対味わえないこのビミョーな味わいがイイ!

Murree Brewery Company Ltd
Official Website: http://www.murreebrewery.com/
image
2010/02/12 閲覧

Murree Beer マリービールの会社の公式サイト。
イスラーム教徒国家だから、こっそり操業してると思ったけど、こうやって公式に情報発信していることに驚き。政府も太っ腹やなぁと思ったりする。

Murree Brewery Company Ltd
How to Buy : http://www.murreebrewery.com/how-to-buy.html
image
2010/02/12 閲覧
で、よく見ると外国人・非イスラーム教徒の酒の購入の仕方についても書いてある。

image

image
上の写真2枚 : 2005年当時のMurree Beer マリービール。
イスラーム教徒の国だから、お酒御法度のはずだが、英植民地時代から続く老舗のブリュワリーがラーワルピンディ市内で今も操業を続けている。
お酒を買えるところはホテルなどに限られるから、一般のパキスタン市民が目にすることはない。

正直、味は日本のビールと比べれば落ちる。
でも、他のビールが飲めないとなれば、飲めば都、だんだん体に馴染んでくる。
酒購入許可証を半年ごとに更新し、所定のポイントをきっちり使い切ってビールやらお酒やらを買い、よく飲んだものだ。
それくらいパキスタンではマリービールに親しんだはずなのに、帰路変のバンコクでシンハーを飲んだだけで感動し、帰国研修初日には同期と街へ繰り出し、スーパードライやヱビスを飲んでサイコーーー!と叫んでいた。
すっかり忘却の彼方にいたはずのマリーさん、一口飲んだら思い出しましたよ。舌は忘れてへんかったわ。
・・・マリーさんの味がイマイチなのは、イスラーム教徒が造ってるから味見できないせいだな、とかって聞いたように思うが、本当なのか冗談なのかわからない。

さて、お呼ばれした食事の場、Oさんも、Yさんも、Jさんも英語で会話。話題も日本でいるときとは違うから、語学&話題でお昼と同じような刺激をまたタップリ受ける。
食事をいただき、すこしゆっくりした後は、OさんYさんとジナースーパーへ。
ここでDVD屋でじっくり品定めしたり、近くのゴール(円形)ママルケットのカフェでカフェラテとティラミスいただいたり。
4年ぶりのパキスタンのスイーツ。ただ甘ったるいだけでなく、甘さを控えていて日本人にも舌にも合うようなテイスト。
パキスタンのスイーツのレベルもあがってきているように感じた。

今日は丸一日パキスタンを楽しんだ。
安全に気をつける緊張感は絶対忘れていないが、少なくとも今日訪れた場所はどこも変わらない普通の時間が流れていた。

イスラマ訪問記 序 | その1 | その2 | その3 | その4 | その5 | その6 | その7 | その8



2009年12月 : イスラマバード訪問記(1)

イスラマ訪問記 序 | その1 | その2 | その3 | その4 | その5 | その6 | その7 | その8

初版2010年02月10日


2009年11月28日(土)
午後伊丹発ANA→成田乗り継ぎANA→夜バンコク着
パブリックタクシーでBTSチョンノンシー駅近くの宿に。
パキスタンからの帰路変に立ち寄って以来だから4年ぶりのバンコク滞在。普通の観光客になってあちらこちら巡る。
続きを読む