2013年夏、中国→パキスタン縦断旅行記(パキスタン編)

2013年パキスタン縦断旅行のルート図

2013年7月18日(木)~8月24日(土)にかけて、
中部セントレア発→中国(上海・カシュガル・タシュクルガン)→パキスタン(ススト・フンザ・ギルギット・イスラマバード・ラホール・スィンド州・カラチ)→バンコク経由羽田着
という日程でパキスタンを縦断する旅を行った。

本記事は、財団法人日本パキスタン協会 http://www.nippa-kyokai.org 発行の会報パーキスターン2013年11月号に投稿した旅行記原稿に加筆し、更に写真・動画を加えたものです。
(最終更新:2014年1月1日)

■中国・フンジュラーブ峠越えでパキスタンへ

7月18日に長野県飯島町から中部セントレア空港に移動し、夕方のフライトで上海浦東空港に着いた。
1泊した後、翌19日に上海虹橋空港から国内線でカシュガルに移動し、21日にローカルバスで中国側イミグレのあるタシュクルガンに着いた。

フンジュラーブ峠にて(2013年7月22日)。後方の石造りの中国側ゲートが見える。


7月22日タシュクルガン発ススト行きのバスに乗り、快晴で抜けるような青空のフンジュラーブ峠を越えて午後スストに到着した。

2013年夏、中国→パキスタン縦断旅行記(中国編)
/2013-paktrip01.html


■3年越しの願い-ムルフン村を訪問

今回の旅の目的のひとつは、ススト近郊にあるムルフン村(Morkhun)を訪れることだった。
2004年、JICAの草の根技術協力事業としてムルフン村から3人の方が研修員としてりんごの栽培技術を学ぶために長野県飯島町で1年余研修を行った。
それ以降も交流が続けられていたが、2010年夏にも現地ムルフン村でりんご栽培支援を行うことを飯島町国際協力会のみなさんが計画され、私もその調整員として参加させていただく予定であった。
しかし、甚大な水害をもたらした集中豪雨のために直前で中止となり、大変残念に思いつつ、いつか機会あるときに訪問したいと願っていた。
今回その願いがかなう旅となり、日本を発つ前に飯島町にお伺いし現地の様子についての情報をいただき、激励をしてくださった。

スストのイミグレーションで入国手続きを済ませたあと、居合わせた地元の方に「ムルフン村のアムジャッド・アリさん(日本に来られたひとり)知っている?」と尋ねると、「ああ、知っているよ」とイミグレーションと道路をはさんだほぼ向かいのお店に連れていってもらったところが、アリさんのお店だった。
事前連絡できずいきなりの訪問であったが、アリさんは大変に喜んでくださり、持っていた携帯から早速飯島町の方とお話をしていただいた。数年ぶりの日本語での会話でアリさんは少し困っていたようだったが「はい」「げんきです」「みなさんげんきですか」などうれしそうに話していらっしゃった。

この日から1週間、アリさんの家に泊まらせていただきながら、アリさん・カリムさん・シャフ-さんの3人の元研修員のみなさんとお会いしていまの暮らしぶりを伺ったり、私の携帯電話で飯島町の方とお話をしていただいた。

ムルフン村で実る「ふじ」種のリンゴ(2013年7月撮影)
長野県飯島町の方と携帯電話でお話をするシャフーさん一家

3人の方たちの近況
アリさん(Amjad Ali):ムルフン村に隣接したジャマラバード村のイスマイリー派寺院の長老。自宅で接ぎ木した「ふじ」他のりんごを大切に育てている。アッタバードの湖(フンザにできた湖)の影響で作物が出荷できず、スストの町で古着商をして生計を立てている。
カリムさん(Karim ullah Khan):元ムルフン村村長。りんご栽培プロジェクトに中心的立場で関わり、現在も同村で「ふじ」など日本品種のりんごの栽培を広く推進している。地域団体として「パミール・コミュニティ・ファウンデーション(PCF)を設立し代表として活動。
シャフ-さん(Sharafat Ali Khan):ムルフン村に在住。自宅敷地で日本品種のりんご栽培を実践中。道路工事などの日雇い仕事で生計を立てている。

三人三様の今のお暮しになっているが、どの方も日本での研修の日々を懐かしみ、お世話になった農家の方たちを「お父さん」「お母さん」と呼んで大切に思っていらっしゃることが、お話ぶりからも、電話で飯島の方たちとやりとりをされているご様子からもよく伝わってきた。

目下、りんご栽培は日本との気候風土の違いを乗り越えて着実に広がっているが、先述したアッタバード湖(2010年に、フンザ川をせきとめて出来た湖)による道路寸断でりんごを含めた農作物がイスラマバード方面に出荷することが困難(小舟に積み替えて湖を渡らないといけないためコストがかさむ)であることが大きな問題となっている。

カリムさんたちは、ドライフルーツへの商品化、オーガニック認証の導入、中国への輸出などの道を模索している。

帰国後の9月、ムルフン村の様子を飯島町で報告させていただいた。写真や動画を交え、現地からの電話口・メールだけではお伝えしきれなかったことも情報共有させていただいたが、懐かしいムルフン村の方たちのお顔が画面に映るたび、飯島町の方たちが懐かしくうれしいご様子で見入ってくださる様子を見て今回ムルフン村訪問ができて良かったと改めて感じた。

この10月にJICAの支援でムルフン村産りんごをラホールに試験出荷したところ高値がつき、バイヤーからの問い合わせが次々入っているという知らせを飯島町の方からお聞きした。
これをきっかけに、ムルフンでのりんご栽培が一層盛んに、そして「実」のあるものになるよう、これからも応援していきたい。

■ムルフン村からフンザへ

ムルフン村に1週間滞在した後、7月28日にバス・船・バスと乗りついでフンザ・カリマバードに移動した。
アッタバード湖を船外機を付けた小船で渡ったが、源流の荒々しく泥水色の流れと反して、湖面は静かに深い青色を湛えていたのが印象的だった。

アッタバード湖の船着場(2013年7月28日撮影)。 撮影当時、グルミット(撮影地点)とアーリアバード間は道路が水没し迂回路はなかったため、渡船による輸送が行われていた。
アッたバード湖の水面。
穏やかな日は真っ青な湖水を滑るように船が渡る。

渡船は、アーリアバード~グルミット間で行われ、双方の船着場には連絡のバス・トラックがひしめき合っていた。
運賃は、パキスタン人が100ルピー(2013年当時約100円)、外国人が200ルピー(同約200円)で、渡船時に集金人が集めて回っていた。
アーリアバードの船着場は市街地からは相当離れており、連絡バスはカリマバードの他、ギルギットなど各地向けに走っていた。

013年8月1日(木):パキスタン・フンザのビューポイント「イーグルネスト(Eagle Nest)」にて
後ろに見える雪に覆われた山はフンザの誇る秀峰ラカポシ(Rakaposhi 7788m)。
2013年8月1日(木)朝のフンザの谷(イーグルネストからパノラマ撮影)
カリマバードの山道であんずを集めている村人たち。
木からふるい落としたあんずは、家の屋上などで天日干しされる。

カリマバードでは、2004年の初旅行以来定宿にしているヒルトップホテルに泊まった。かつて満天の星空を仰ぎつつフンザパーニー(地元酒)を味わった中庭には新館が建てられ、フロア増設の工事が中途になっていた。
こうした改築・建て替え・新築をしたホテルをカリマバードの随所で見かけたが、昨今の情勢による観光客激減で当てが外れて閑古鳥が鳴いているところも少なくなかった。

近年拡張・改装工事を行ったヒルトップホテル。 かつて、日本の登山家たちが夜な夜な酒盛りをした後に残していった一升瓶コレクションの小屋はなくなってちょっと残念。

また、カリマバード入口の道路には「アメリカをつぶせ」などというスローガンがペンキで書かれていた。余所の地域から書きに来ているんだ、と地元の人は話していたが、平和でのどかな桃源郷というイメージだったフンザにも、パキスタンでのきなくさい現況が漂いつつあるのか、と思わざるを得なかった。
停電が半端なく、観光客が減ってさびしいメインストリートだったが、ぶらっと入ったお店で交わす雑談はとても楽しかった。
8月1日の自分の誕生日の朝、カリマバードから歩いてビューポイントのイーグルネストまで登った。他に観光客が居らず、貸し切り状態のような岩場からフンザの谷を眺め、他人に気兼ねせず思いっきりオカリナを吹けたことはよい思い出となっている。

日本人旅行者から「爺さん・じいちゃん・じい」などと呼ばれ親しまれている、 フンザ・カリマバードの「ハイダー・イン(Heider In)」の当主ハイダー爺

■フンザ→ギルギット→イスラマバード

フンザを8月3日に出発し、2日間フライトキャンセルで待機したものの、8月5日のギルギット発フライトでイスラマバードに到着した。
イスラマバードでは、パキスタン協力隊の先輩でもあるIさん宅と市内ゲストハウスに宿泊しながら10日間ほど過ごした。
到着したのがイード直前で、夕方のイフタール明けのマーケットは、服やアクセサリーの出店が軒を連ねていつもの年と変わらない賑わいだった。
協力隊隊員時代(2003年~2005年)に住んでいたのがF7エリアのジナースーパー近くであったので、毎日のように出かけては、DVDショップ、本屋などなじみの店を覗いていた。中でもジナースーパーの広場そばにある写真屋は顔なじみの店員さんが多く、今回の滞在中も夕方のイフタールになるとお店の奥に入り込んで一緒にカジュール(なつめやし)や果物・軽食をいただいたりした。
カリマバードほどではなかったが、イスラマバードも停電が頻発していた。滞在当時は特にジナースーパーの停電はひどく、写真屋自慢のDPE処理機が自家発電の電力では動かせずにその間は開店休業状態。「ここはイスラマバードでも指折りのマーケットなんだぜ。ここでこんなに停電がひどいだなんて、どうなってんだよ!」と店員さんがぼやいていた。
Iさんご家族には、今年2月にオープンした高級ショッピングモールのセンタウラス(The Centaurus)や、H8エリアにあるイトワールバザールに連れて行っていただいた。
センタウラスは3連の高層ビルの低層階を巨大なショッピングモールにあつらえて有名ブランドのテナントが多数入っている。外観や噴水のある吹き抜けのエスカレーターホールに圧倒され、綺麗でクオリティのあるモール街を歩くとここはパキスタンなのか?と戸惑いを起こしそうな心地だった。
また、F6エリアスーパルマルケットでは日本でもお馴染みの「ビアード・パパ(シュークリーム)」の店舗がオープン間近だったし、ジナースーパーの一画には日本でまだ渋谷や原宿にしかないJuice Zone(スムージーの国際チェーン)が営業していたり、これまで住宅だったところをファッション店やレストランに改装して煌々とライトアップしている場所がいたるところにあるなど、一般に思われる「パキスタン情勢の悪化」のイメージとは別の、ビジネス活動が活発に展開されている面があることも実感した。

この他、協力隊時代からの知己である私立支援学校のハッサンアカデミーのイスラマバード新校舎を訪れた。
ハッサンアカデミーは昨年2012年に日本政府から910万ルピーの財政支援を受けて、イスラマバード郊外のパークロード沿いに新校舎を建設中だ。訪れた8月中旬は2階建ての本校舎の1階部分が出来上がりつつあり、2階部分はこれからというところだった。
ハッサン校長に各部屋を案内していただいた後、紅茶をごちそうになりながら、大勢の子どもたちに自らの信ずる教育を行っていきたい、という夢をお聞きしていた。
彼は一般国際企業のパキスタン法人社長を務めた後、自宅で聴覚障害のある子どもを受け入れて私学を始めた。その私学が障害のある子もない子も同じ学び舎で勉強する教育(インクルーシブ教育)の学校として年を追う毎に規模を拡大し、ラーワルピンディに2キャンパスを構え、そしてイスラマバードでも開校させようとしている。
ハッサン校長の困難に負けない強い信念に改めて感じ入る訪問だった。

■イスラマバードからラホールに足を伸ばす

2006年以来ラホールに久しく行っていなかったため、イスラマバード滞在中に1泊2日の駆け足行程でラホールに行った。
ラホールへの行き来にはDaewoo都市間バスを利用したが、通常タイプ1130ルピー(約1130円)、デラックスタイプ1350ルピー(約1350円)と隊員時代の2倍以上の運賃になっていることに驚いた。
他にも、ローカルバス初乗り10ルピー、街角で飲むミルクティーが1杯20ルピー、ダールチャーワル(シンプルな豆カレーごはん)1皿30ルピーなどと、昔の2倍~4倍もの値段になっていて驚かされた。価格も5ルピー10ルピー刻みになっていて、1・2ルピー硬貨はほとんど使う場面がなかったほどだ。

ラホールのDaewooバススタンドのあるカルマチョークはこれも今年2月に開業したメトロバス(専用道・高架での連結バス運行)の高架やアンダーパスなどが交わり、景色は一変していた。メトロバスに乗りたかったが今回は時間がなく残念。
バススタンドに、旧知の障害者団体マイルストーンのアクマルさんに迎えに来てもらい、事務所に連れて行っていただいた。市内タウンシップ地区の幹線道路沿いにある事務所は、以前のアラーマイクバルタウン地区にあったそれよりも分かりやすいロケーションになっていた。
この事務所内には、日本の中古電動車いすを修理再生してパキスタンの障害者に提供する日本のNPO法人「さくら・車いすプロジェクト」の工房が設置されており、多数の電動車いすが並べられていた。2004年にラホールで開かれた車いす修理のワークショップをきっかけにして現在同プロジェクトに携わるハビブさんがいらっしゃって、説明をしてくださった。
日本に比べてバリアフルなパキスタンで電動車いすを使用するためには、個人に合わせたフィッティングやメンテナンスサービスが欠かせない。この10年余りの日パのみなさんの努力の賜物である同プロジェクトが更に発展するよう願っている。

■イスラマバード→カラチ→スィンド州バディン・タッタへ

NRSP(National Rulal Support Programme)は1991年に設立されたセミガバメントの地域開発NGOで、AMDA(日本のNGO)が2010年パキスタン水害救援活動をスィンド州タッタ県で行った際協力団体として一緒に活動を行った。救援活動当時、AMDAの調整員として従事した際に現地NRSPの方たちと仲良くなったこともあり、活動後、2011年2月に再度現地を訪れて状況を見せていただいた。
今回の旅行でもぜひタッタを訪問する旨、AMDAにお伝えすると、AMDAからNRSPへ訪問の調整をしてくださり、合わせてタッタ訪問時に支援金をお届けする役割を言付かった。

■豊かなスィンドの文化に触れるー歌謡・アルゴーザ(二本笛)

スィンド州ノーコート(Naukort)にある砦を友人たちと訪問する。(2013年8月)
スィンド州タッタ(Thatta)にて、アルゴーザ(二本笛)の名手エッサ・サモーさん(Essa Samo)と(2013年8月)

8月17日イスラマバード発フライトでカラチへ。カラチ空港からNRSPの車で、スィンド州事務所のあるバディン(Badin)に到着したのは夕方のことだった。
翌8月18日は日曜日で事務所は休みだったが、スタッフの方にインド国境に近いノーコート砦(Naukort Fort)に案内していただいた。
この砦は、スィンド州で覇を唱えたタルプール朝(Talpur:1783年~1843年)が州各地に建てた要塞のひとつで、1814年、ミール・カラム・アリー・カーンによって建設された。州政府により近年修復工事が進められており、崩落していた城壁が修復されている様子も見ることができた。
この砦の中にそびえる大木の下で、一緒に同道してくださっていたスィンディー語歌謡の歌い手のバルカット・ファキールさん(Barqat Faqir)がハルモニウム(手風琴)を奏でながらスィンディー語の歌を披露してくださった。スィンディー語の歌詞の意味を友人がウルドゥ語で説明してくれ、古城の大木の下という風情あるロケーションで情感たっぷりに愛や友情を歌いあげるファキールさんの歌に魅了された。
この後、NRSPタッタ事務所では、タッタ事務所長が幼いころから親しんでいるアルゴーザという2本笛(民族楽器)の名手エッサ・サモーさん(Essa Samoo)の演奏を聴かせていただいた。煌々と照る月の下(ちょっと蚊が多くて悩まされたが)、スィンディー地方の名曲ホージャマロー(Ho Jamalo)はじめとした民謡を、笛の1本は基音を、もう1本でメロディーを息を吸う間も奏で続ける循環奏法という吹き方で披露してくださった。
他日、バディンにあるスィンド州文化を展示したラール・ミュージアム(Laar Museum)も見学したが、バラエティ豊かな古民具、スィンド文字で書かれた文献、スィンディー歌謡の歌い手・演奏家の写真パネルに目を奪われた。スィンド文化を守り、大切にしていこうとする方たちの思いを実感した。

■バディン・タッタでのフィールド活動

両地には数日滞在し、NRSPがサポートしている村々を回った。
それらの村々では、私たちの来訪を事前に知らされてか、大勢の村人が出迎えてくださり、道路の改修・地域コミュニティセンター・自治組織づくりがNRSPの支援のもと行われている様子を詳しく説明していただいた。
また、2010年水害で甚大な被害を受けたタッタ県ジャーティ地区(Jati)のある村に対して、AMDAから提供された支援金で購入したミシン18台を提供するセレモニーが行われた。事前に選ばれた18名の女性に対し、ひとりずつミシンを手渡させていただいた。
度重なる水害により、農業での自活が難しい同地区で現金収入の手段としてミシンによる縫製が考えられ、今回の提供となった。受け取ったある女性が「ミシンを手にして裁縫の仕事をするという夢が叶ってうれしい」と話してくれたが、そうした願いにわずかでも寄り添えることができ、この地を訪れることができて良かったと感じた。

タッタ近郊の村(水害被災者が住む復興村)にて。
ガハハ、と笑いかけると子どもたちもそれに釣られるようにいい笑顔を見せてくれた。
フィールド活動で訪れた村でオカリナを吹く。
はじめ硬い表情だった子どもたちが興味を覚えてくれたか、立ち止まって耳を傾けてくれた。
フィールド活動で訪れた村に教室一つの小学校があった。
そこで折り紙(はばたく鶴)を折ってみせてあげた。

認定 特定非営利活動法人AMDA(アムダ)
パキスタン洪水 : パキスタン洪水に対するフォローアップ活動2(2013年8月24日)
http://amda.or.jp/articlelist/index.php?page=article&storyid=286

■カラチでの貴重な出会い

8月21日にタッタからカラチへ移動し、8月24日の帰国便発まで数日であったが、カラチ日本人学校のM校長先生宅に泊めていただき、日本人学校を見学させていただいたり、いろいろなお話を伺う機会を得た。
また、カラチ市内のクリスチャン区画で長年障害児教育に携わる日本人修道士のMさんにお会いし、愛情豊かに子どもを育てていらっしゃる様子を見ることができたことも印象深い。
旅の最終盤にあったカラチでは、このひと月の旅を振り返りいろいろなことを思っていた。2年半ぶりのパキスタン旅行、出発前は安全面に不安を感じていたし、パキスタン入国後もそれを実感する出来事もあって穏やかではない心地になったこともあった。
しかし、懐かしい友人に再会し、忘れかけたウルドゥ語を思い出して話していくと、10年前の協力隊赴任時の高揚した気持ちが蘇る心地がしていた。この国に来るとホッとする心地にもなるのだ。

お一人お一人を紹介できないけれど、今回の旅でも大勢の方にお世話になった。その方たちに深く感謝したい。シュクリヤ!

2013年夏、中国→パキスタン縦断旅行記(パキスタン編)” への6件のフィードバック

  1. ちと遅れましたがお誕生日おめでとうございます。
    パスー、スストには行ってましたが、ジャマラバードって初めて聞きました。よさそうなところですね。

    僕が行った頃からフンザ周辺はホテル着々と高級化&増設してたので、オーナーさんは完全にアテが外れてしまったでしょう。気の毒です。
    ハイダーじいやオールドフンザインの勝新さんはお元気ですか?夏のノーザンエリアを満喫してください。

  2. きむかつさん
    お祝いのお言葉、ありがとうございます。
    スストから10キロほどパスーよりの場所にあるのが、ムルフン村(Morkhun)で、隣接するのがジャマラバード(Jamalabad)村です。
    Jamal(ジャマール)の由来は、フンザ王国の最後の藩王(~1974)のJamal Khan(ジャマール・カーン)だそうです。
    大変濃密な毎日を過ごしました。
    また、完全オーガニックな食事、お腹を壊さない美味しい地下水、観光地慣れがまったくなく屈託なく接してくれる村人。
    などなど、こちらカリマバードに移ってきてみると、そういう部分で物足りなくなる心地がしています。
    素晴らしい経験でした。
    ハイダー爺は変わらない印象でした。勝新さんにはお会いできていないです。

    以下追記です。
    とか言ってたら、カリマバードのジャパンチョーク(ハセガワスクール近く)そばの郵便局に行ったら、ハイダー爺にバッタリ出くわしました(笑)。
    なんか爺は私のことを覚えてくれてたようでハグしてくれました~。

  3. こんにちは。
    8月にコメントを送信させて頂いたウチダと申します。
    今年1月にパキスタンに行き、パキスタン大好きになって帰って来た者です。

    現地に行かれた方ならではの、特にパキスタンに通じていらっしゃるこちらの旅行記を楽しみにしております。
    時々、こちらを拝見しているのですが、ご健在でいらっしゃいますでしょうか。
    現地で何かトラブルに巻き込まれているのではと案じております。
    人知れず・・・ということにはなっていないと信じております。
    どうかご無事をいらっしゃることを心から念じております。

  4. ウチダさん

    管理人@日本です。
    ご投稿ありがとうございます。

    ご心配をいただきながら、更新ならびにご返信を滞らせてしまったことをお詫びいたします。
    フンザからカラチまで予定通り縦断し、帰国いたしました。一度もお腹を壊さず旅行できたことに我ながらびっくりしております。
    帰国後は日本で元気に過ごしております。
    2013年夏の旅行は、現地の友人たちに良くしてもらい、大変充実したものとなりました。
    1ヶ月の長期間旅行がこれからまたできるか分からないのですが、またパキスタンを訪れることを楽しみにしております。

    ウチダさんが、パキスタンを好きになってお帰りになられたとのこと、大変素敵なことだと思います。
    4travel.jpのウチダさんのブログ、折にふれて拝見させていただきます。

    ありがとうございました。今年2014年も良い一年でありますように。

  5. パキスタン地図を検索していて、お邪魔しました。
    とても参考になります。ありがとうございました。
    この3月に一度パキスタンを旅行したなあと、思い始めています。

    また教えてくださいませ。

  6. SKIPさん

    管理人です。拙サイトをご覧くださってありがとうございます。
    地図の情報はずいぶん古くなっていますので参考にならない点が多々あるかと思いますが、お言葉うれしく思います。
    他サイトなどでご参照になっているかと思いますが、中国→フンジュラーブ峠越えは冬季は道がクローズになっております。例年ですと5月頃開通の見通しですので、SKIPさんのご旅行のルートに影響があるかも知れません。
    3月末の花咲くフンザはかつて私も一度訪れたことがありましたが、まさに桃源郷そのものかと感動したことを今も思い出します。

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