パキスタン・レポート : 2005年10月

【2005年10月28日(金)~30日(日)】
H8区画にある収容施設にお邪魔して、お父さん・お母さん・子どもたちとお話したり折り紙を折ったりオカリナを吹いたりして遊んだりしています。
この施設はNISE(国立特殊教育研究所)の新施設として夏休み明けにオープンしたばかりのものですが、今は教室・会議室など大半の部屋を怪我をした子どもとそのご家族のために開放しています。
いろいろな方からノートや鉛筆、ぬいぐるみの差し入れがあってそれで遊ぶ子どもたちもいますが、ずっと静かにベッドで押し黙った子どもたちも多いです。地震以来話せなくなってしまった子のところでも面白おかしく歌をうたったり腹話術もどきでぬいぐるみと遊んでみせたりしています。すると言葉は出ないですが声をだして笑ってくれます。
子どもたちはものをもらってもとても喜びますが、こうした面白く楽しいかかわりもとっても喜んでくれるし、地震のショックを癒すためにも必要なことだよなぁ、そんな風に感じています。

バラコット(Balakot)・ムザッフラバード(Muzaffarabad)など深刻な被害が及んだ地域には冬が訪れ始めています。天候も悪くなるのでヘリコプターでの輸送も難しくなってくる、そのように伺っています。ぜひ冬の間だけでもより暖かいイスラマバードなどに避難してきて欲しい、そう願うのですが、住み慣れた場所から離れることができないと考えて暮らす人々も多いです。
そうした方々にも、このNISEと同じようなケアができないものか、そうしたお手伝いはできないものか、そんなことを考えています。

地震直後、PIMS(G8:ピムス:パキスタン医科学研究所)など主要な病院には通常時の5倍~10倍の方々が収容されていて、大変騒然としていたと活動する協力隊員さんは話していらっしゃいました。
その後、ある程度の治療がすんだ方からアッパラマーケット(G6)近くにあるスポーツコンプレックス(ジナースタディアム)やNISEなど空いている場所に移送させているようです。
それでも、PIMSで活動している隊員さんはこの3週間ほどぶっ続けで夜9時10時12時まで活動をされることがあると伺っています。
イスラマバードに戻ってきてからは夜そうした方に何度かごはんを作って差し入れさせていただいたりしました。ご想像の通りの味ですけれどね(笑)。

30日(日)は昨年私の活動していた学校に来ていたフェイサル君(ムザッフラバード)が身を寄せているラーワルピンディのお家にお伺いしていました。ムザッフラバードの家は全壊してしまったとのことでしたが、幸いご家族は全員ご無事で親戚を頼っておいでになったとのことでした。

11月5日(土)ごろから15日(火)にかけてマイルストーンを中心にしてラホールで障害当事者の方々がひらくセミナーのお手伝いをすることになっています。11月に入るとイード(ラマザーン明けのお祝い)を故郷で祝う方で交通機関は大混雑します。それで少し早めにラホールに行くことになりました。


【2005年10月26日(水)~27日(木)】
イスラマバード市内に、政府が設置したテント村や救援キャンプが増えてきています。
その中のH8区画に政府の新しい施設(国立特殊教育研究所)がありますが、そこに被災地から避難している負傷者の方々が収容されています。
そこには大勢の子どもたちも居て毎日けがの治療をその施設や近くの病院でしてもらいながら過ごしています。屈託なくはしゃぎまわる子どももいますが、お父さんやお母さんにだっこされ、虚ろな表情をしている子もいます。
ここ数日その施設でそうした子どもたちやお父さんお母さんたちとじっくりお話するようにしています。

<バッタグラム(Batgram)から避難してきた女の子>
お父さんにだっこされ、とっても愛くるしい顔をした5歳の女の子です。幸いご家族はすべて無事とのことでしたが、地震以来この子は言葉を話すことができなくなってしまいました。それに歩くことも。
外傷はないのですが精神的なショックからそうなってしまったんだよ、とお父さんは話してくださいました。
思いつくパキスタンの歌を歌ったりオカリナで吹くととっても愛くるしい笑顔で笑ってくれます。お父さんは「そうやって関わってくださればきっと何日かのうちに話せるようになるさ」と言ってくださいます。
バラコット(Balakot)に入ったあの日以来で、いちばんホッとする笑顔をこの子からもらっています。

<ムザッフラバード(Muzaffarabad)から避難してきた男の子>
お母さんといっしょに外の芝生でくつろいでいました。彼は右腕をギプスで固め、額にはまだ縫合の痛々しい傷跡が残っています。まだどこか痛むからでしょう、座ることはできずずっと寝そべって電子ゲームをしていました。
彼は映画の歌が好きなようで、最近の流行の曲もよく知っていて口ずさんでいました。お父さんはカラチで仕事をなさっているとのことで会えないからでしょうか、どこか物寂しげな表情をしていました。

お友だちの家で見させていただいたテレビでは、そうした人々を励ますイスラームの指導者たちの様子を報道していました。
イスラームの教えが根付いている彼らにはその教えに即した励ましを懇々としてあげると、とても落ち着いた表情をみせているように思います。彼らには大切なカウンセリングのアプローチなんだと感じています。
また、私のように非イスラームの者でも、音楽や折り紙などで子どもたちの表情が明るくなるお手伝いをすることができるのだと感じました。

マイルストーンのシャフィークさんとお話をしていたとき、私が「治療がひと段落したら、こうした音楽とかの励ましが大切になってきますよねぇ」と話すと、彼は「いいえ、とささん、治療と同時にこうした励ましやカウンセリングは必要なんだと思いますよ」とおっしゃいました。


【2005年10月24日(月曜日)~25日(火曜日)】
バラコットの様子について、日本からお出でになっている調査団や関係の方にお伝えさせていただいていました。
また、緊急援助活動で来ている自衛隊について活動するパキスタン協力隊OVの方にもお会いしていろいろお話を伺っていたりしました。
今日(25日)夜はイスラマバードに来られたマイルストーン(ラホールの障害当事者NGO)の方々とお会いしていました。
彼らは世界銀行パキスタン事務所のご友人の勧めで、イスラマバードにできた子どもの避難施設に赴き子どもたちを励ましていたそうです。
「でもね」とメンバーのシャフィークさんはいいます。
「いまは私たち障害者の姿を見て頑張れ頑張れって言うよりも、地震の恐怖に今もおびえる気持ちをやわらげてあげるケアが大切だと思うんですよ」そうシャフィークさんは話してしばらく考え込んでいらっしゃいました。
彼らはDPI日本会議に寄せたレポートにもありますが、地震発生直後の10月11日にアーザードカシミール州に入って様子をみていらっしゃいます。

すでに朝晩は0度近くまで冷え込む気候・村全体が地すべりで消失した事実・平等に行き渡らない支援・いまだに多くの人がテントもなく確実に飢えや寒さで凍える危機が押し寄せている事実・・・そうしたことに居てもたっても居られず現地に行きたい気持ち・・・でも山間部で車椅子を使う彼らの行動の制約の大きいこと・・・また確実に援助を弱い立場の人にまで届けるためには一民間団体の立場ではできることが限られるということ・・・

そんないろいろを思い、いったい何をすればいいのか、彼らも考え続けています。

とりあえず彼らはいったんラホールにもどり、子どもたちに身の回りの生活用品や車椅子などを支援するために準備をするんだそうです。


【2005年10月20日(木)~23日(日)】
再度、バラコット(Balakot)の街で医療救援活動のお手伝いをさせていただきました。
地震から10日経って、市街地から奥の村々に通じる道に軍のブルドーザーが入り少しずつ奥地まで車で行けるようになってきました。

また、被災した方々が壊れた家からジープを掘り起こし、エンジンがかかれば多少フレームが曲がったままでも車を走らせるようになり、奥地から人を乗せて行き来できるようになってきました。
遠方の親戚や縁者を頼ってでしょうか、荷物をまとめて移動していく人たちの姿もみるようになってきました。
しかし、そうすることもできず、奥地の村々でビニールシートや中には干したとうもろこしの茎で仮ごしらえのテントや掘っ立て小屋で夜を過ごさなければならない人も数多くいらっしゃいます。
車で行けるところまで出張って怪我の治療をさせていただいていましたが、やはりはじめは軽い怪我ですんでいたのが、何日も包帯を換えていないばかりにひどい化膿の仕方をしている方が多数いらっしゃいました。

また、日・パ旅行社さんのご友人たちがいろいろな援助物資を届けてくださるので、それをお配りするお手伝いをしていましたが、日に日に「テントが欲しい」という要望が高まっています。
先ほども記しましたが、市街地に近い場所ではある程度テントが行き渡っているのに対し、奥地や山の上など車が行けない場所に住む方は、自力で持っていくことができないといいテントを手に入れることが困難です。またテントも不足しているように思います。

本当の奥地へは今もひっきりなしにヘリコプターが輸送を繰り返していますが、そうではない中間の場所や夫や働き手を亡くした弱者の立場の人にはそうした支援は届いていないと感じます。

効果的な支援の方法を探るということで、23日(日)夜イスラマバードに戻ってきました。

帰ってきて泥だらけになっていた体を洗い、食事を摂り、こうしてネットでいろいろな情報をみている間も治療のお手伝いをさせていただいて、また援助物資を配らせていただいてお会いした被災者の方々の「テントを欲しいんだ」「食糧はないんですか」「食器はないの」「痛いよう」「包帯を替えてください」という声や表情が頭に浮かんでは消えていきました。


【10月15日(土曜日)~18日(火曜日)】
きむかつさん(blog.kimkatsu.com)とご一緒に、日・パ旅行社が運営するNWA(Nippa Welfare Association)の救援プロジェクトでバラコット(Balakot)に入っていました。
救援トラックなどで大渋滞する道路事情を考え、15日は03:00AMに出発。アボタバード(Abbottabad)市街ではいくつかの建物が倒壊しているのが見えました。またただブロックを積んだだけの壁も多くが崩れていました。マンセラ(Mansehra)でも同様に。街道沿いから見る様子では大きな被害を感じることはなかったのですが、バラコット市街に入ると光景が一変しました。
多くの建物がペシャンコにつぶれています。残った建物も大きな亀裂が入りもはや住むことはできない状態です。ナラーン(Naran)・カガーン(Kaghan)渓谷というパキスタン有数の景勝地の入り口にある街でホテルなどが軒を連ねた大通り沿いはまったく見る影がありません。
すでに軍やさまざまなNGOの方々が入って活動をしているものの、救助・治療活動に終われていて、建物の下敷きになったご遺体を運び出す活動まで十分に手が回らず異様なにおいがたちこめている状態でした。
また、驚く光景は路上のあちらこちらに散乱した衣類。いまパキスタン各地で救援物資が集められ運びこまれています。しかし、当地はすでに朝の気温は0度近くまで下がり、遠くの山には雪が積もり始めました。そんななか運び込まれる衣類はそうした寒さには役立たない夏物や薄手のものが多く捨てられるしかないのです。

私たちのグループはバザール(中心街)だったところから20~30分ほど山を上ったところにテントを設置し医療ケアを行うことになりました。車がバザールまでしか通れないので、さまざまな資材や物資を背負って土砂降りの雨の中なんとか設置することができました。
重篤な患者や怪我の方々は各地の病院に搬送されていったようですが、当地ではさらに問題が起こっています。はじめは軽い切り傷だったのが、1週間あまり十分な消毒・治療などが施されていなかったためにひどく化膿している人が何人も見られたことです。床ずれのように骨近くまで見えるひどい化膿をした方々もいらっしゃいました。そうした方に対してはドクターの応援を借りて、野外で臨時の消毒・縫合手術が行われます。麻酔は打つものの、その麻酔を刺す注射の痛さに泣く子どもたちの姿はとても痛々しいものでした。
そうした手術のお手伝いをしたり、軽傷の怪我の方の包帯を取り替えてあげたり・・・というお手伝いをこの数日させていただいておりました。化膿し包帯が張り付いてしまって水や消毒薬でぬらしてはがしやすくしながら30分1時間とかけて包帯を取り替えることもあります。少しの衝撃でも激痛なのを我慢する子ども・我慢しきれず苦痛の様子を浮かべる方・・・とてもつらいものです。でも少しずつ快方に向かいつつある様子を包帯を代えるたびに感じ取れる方もいてそういうときはとてもうれしいものです。

さて、当地では中心街などには援助物資もかなりの量が届くようになりましたが、まだこの先の奥地は軍のブルドーザなどが復旧活動を続けている状態でトラックが入ることはできていません。かわって一日中ひっきりなしに各国のヘリコプターが飛び交っています。

これからの当地での課題は次のとおりになるかと思います。

  • 1 冬への備え
    先ほども記しましたように、朝夕は厳しい冷え込みになってきました。しかしいまだにビニールシートを張り合わせてつくった急ごしらえのテントに暮らす方もとても多いです。そうした方に寒さ・雨をしのぐ丈夫なテントが必要なだけいきわたるよう道路の復旧や円滑な輸送が求められています。また、服の上から羽織れる毛布なども必要かと思います。
    水道・ガス・電気などインフラはすべてストップしています。暖をとれる手段は薪を燃やすなど限定されています。そうした部分での復旧も望まれるところです。

  • 2 感染症・下痢などへの警戒
    インフラがストップしているために、水は近くの川から汲んできています。生水が危険なことは十分地元の人もわかっていて、沸かすなどしていますがやはり感染症への警戒は怠れません。また、援助物資はビスケット・LL牛乳・ジュースといったものが多く十分な野菜を取ることが難しい状態で人々の栄養バランスが崩れているように思います。
    ここ数日は頭痛・せき・熱など風邪の症状を訴える方が多く訪れるようになりました。そうした方へはビタミン剤などを差し上げるようにするなどしていますが、安全な食が提供できるような取り組みが必要になってくると思います。

  • 3 奥地の方への支援
    援助トラックが入ることのできるバラコット中心街にはかなりの量の援助物資が届き・配られるようになりました。しかしさらに数十キロにわたり集落が点在しています。地震から10日以上たちますが、そうした方にはまだ十分な支援が届いているとは言えない状況です。すでに私たちのテントのところにはそうした奥地の方から「私たちのところまで来て欲しい」という要請が何回も届きます。プロジェクトリーダーさんを中心にそうした奥地への支援活動も検討されているところです。
    個人的な所用のために昨日(18日)夜イスラマバードに戻ってきました。用件が終わり次第、明日(20日)にでも再度バラコットに向かいます。たくさんのメールをいただき、そのお気遣いに大変感謝しているところです。お返事がきちんとできず大変申し訳ありません。


    【2005年10月13日:木曜日】
    ラホールでの募金・救援物資受付活動の様子

    ↑ラホールでの募金・救援物資受け付けの様子

    地震への募金を呼びかけている文章(募金箱)

    ↑地震への募金を呼びかけている募金箱

    パキスタンに入ってから、あちらこちらで↑のような義捐金・救援物資の受付をしているようすを見ました。
    また救援物資を満載したトラックが行きかうのも見ました。無事必要とされているところに届くのを祈ります。

    07:00AM デリー→アムリトサル行き特急で出発
    13:30PM アムリトサル駅着 ローカルバスでインド側国境の町アターリーへ
    14:30PM バス・リキシャー乗り継ぎで国境のイミグレーション(審査)へ。特に問題なく出国→入国できました。
    15:00PM ローカルバス乗り継ぎでラホール・カルマチョークへ。DAEWOOバス18:30のバスが取れましたのでバスターミナル着後、ほどなく出発。
    23:00PM ラーワルピンディ・ターミナル着
    01:00AM イスラマバードの宿舎着


    【2005年10月11日~12日】
    パキスタンへ戻る準備・どうしてもお会いしておきたかったデリーの障害当事者の方とのお話・日本からお出でになっていたお友達のアテンドなどであっという間に時間が過ぎていきました。


    【2005年10月10日:月曜日】
    朝一番にまず日本大使館に行き、レターをつくっていただきました。その後3軒隣のパキスタン大使館へ。
    受付はスムーズに行き、「14:00PMにとりにきてください」といわれました。
    14:00PMすぎに無事ビザを取得。
    すでに購入していた鉄道・飛行機チケットの変更・キャンセルに時間を使いました。


    【2005年10月09日:日曜日】
    拡がる地震被害の規模に、ネパール・インド訪問のキャンセルとパキスタンへもどることを決めました。
    あとはビザが無事とれることを願うばかりでした。


    【2005年10月08日:土曜日】
    パキスタン大地震のことを知ったのは、滞在中のデリー(インド)のネットカフェからでした。
    はじめはイスラマバードの崩壊したマルガラタワーのことがニュースの中心でしたが、その後拡大する被害報道に心が落ち着かなくなっていきました。
    デリーで揺れを私は感じませんでしたが、インド実効支配下のカシミールでも大きな被害がでていることもあり、テレビはずっと特別番組を続けているところもありました。

  • パキスタン・レポート : 2005年10月」への14件のフィードバック

    1. Johnnyさん、ご無事でよかったです。
      我が家には、昨日から、友人が二人泊まっています。一人はパキスタン人でアッチコッチに電話をかけて親族の安否を確認しようとするのですが、通じません。インターネット、CNNTVを見ては、心配を募らせています。生き埋めになった人達は救出されることを祈ります。不幸にして亡くなった方々の冥福を祈ります。
      昨年暮れのツナミ以来、なんと災害が多いことでしょうか。

    2. お気遣いありがとうございます。
      昨日(8日)1度だけイスラマバードの隊員さんと
      お話ができました。
      地震後2・3時間後のことでしたので、まだ被害もさほど
      大きくは伝えられていなく、安堵していたのですが。
      その後はインターネットで情報を見させていただいております。
      インドのテレビでも倒壊したタワーの映像が映っていますが、
      あのどっしりとした建物が崩壊するとは信じられないです。
      お亡くなりになられたNさんは協力隊の先輩でいろいろ
      お世話いただきました。
      何をしてよいかわかりませんが、ご冥福をお祈りさせて
      いただくばかりです。
      11月に一度パキスタンに戻りますので、パキスタンの
      お友達に変わりないか伺えたらと思っています。
      重ねてですがお気遣いに感謝させていただきますとともに
      被害に遭われた方へのお見舞いを申し上げます。

    3. まずは今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
      こちらはずいぶんとご無沙汰しておりましたが、昨日この地震のニュースを聞いて、じょにぃさんは無事なのだろうかと思い出して伺いました。
      ひとまずはご無事なようで何よりです。
      職場に、今回の震源地となったカシミール出身者が1名いまして、家族は皆無事だったことが確認されたようですが、村は完全に消滅したとのことで、落ち込んでいる姿はとても見ていられません。
      もう少し経って状況がつかめたら、何か力になってやりたいと思っているところです。

    4. お久しぶりです。そしてご投稿ありがとうございます。
      いろいろな情報を拝見させていただくと、カシミールと隣接するカラコルムハイウェイ(K.K.H)地域での被害が甚大なようです。
      昨年はムザッフラバードから生徒さんがお出でになっていたこともありました。
      またアボタバード・マンセラにも知り合いの方が数多く住んでいらっしゃいます。
      時が経つにつれて深刻さを増す被害の大きさに胸を痛めるとともに私にできることはないか考えているようになっています。

    5. 今回の地震、本当に突然で驚きでした。
      加えてこの被害のひどさを考えると・・・
      ジョニーさん、ご無事でしたね。
      インドでも被害がかなりあるとの事ですが、やはり
      北部の方なのかな。
      パキスタンの状況、2chですが書いてあったので
      コピーしました。→
      震源地はイスラマバードよりやや北へ行ったマンセラです。
      ムザファラバードは活断層があり、それが激しくズレタとか。
      >フンザ
      フンザは激しい揺れがあったものの、ほとんど被害ないようです。
      昼、ネットカフェのメダカちゃんに電話して確認しました。
      コショーさん始め、ハイダーのおじいちゃんももちろん無事です。
      電話・ネット、共に通常通り。
      バスも、ギルギット~フンザ、フンザ~スストは出ているようです。
      >ピンディー
      朝、アル・アザムホテルに電話して確認。
      アル・アザムは建物・人ともに、大きな被害はほぼないようです。
      ただ、余震が起きるたび、みんないっせいに外へ飛び出しているとか。
      ピンディーは高層ビルもないので、壊滅的被害は受けなかったとか。
      とにかく酷いのは、イスラマバードだと言っていました。
      日パ旅行社に募金のお知らせがあったので貼りますね。
      不要なら上記の件と併せて削除願います
      http://www.pat.hi-ho.ne.jp/

    6. 15-1のあやこです。本当に今度の地震びっくりしました。ジョニーさんがご無事でよかったです。
      パキスタンでお手伝いされるとのこと…、軽々しいようですが、がんばってください。そしてくれぐれも無理なさらぬよう…。

    7. 無事イスラマに着けたんですね。
      インドからの大移動お疲れさまでした。
      なお、僕もまだピンディ滞在中です。

    8. Kyosenさん あやこさん きむかつさん
      いろいろお気遣いありがとうございます。
      JICA事務所もとても慌ただしい動きでした。
      初動の動きだけでなく、中長期的な支援体制もこれから
      作られて行くことと思います。
      対応できるようにしばらく滞在できればと思います。

    9. 昨年の11月5日の記事で、
      うちのクラスの生徒です(3) -フェイサル君-
      http://www.ktc-johnny.com/i
      のフェイサル君は、ムザッフラバード(アーザードカシミール:パキスタン統治下)の出身ですよね。無事でいるでしょうか。気がかりです。

    10. 同じ活動先の隊員さんから
      "フェイサル君たちは無事です。家は壊れてしまったので、いまラーワルピンディに避難しています。"
      というお知らせがおとといありました。まずは無事で何よりと思います。
      harukoさん、お気遣いありがとうございます。

    11. 無事でよかった。
      じょにぃさん、お知らせくださって有難うございます。

    12. ジョニー、無事でよかった。。。ほかに言葉がありません。
      想像を絶する大変さだと思いますが、
      くれぐれも体には気をつけて。
      無事に元気で帰ってきてね。

    13. ジョニーさんが無事で、まずはなによりです。現地でのご活躍はときおりHPで拝見させていただいておりました。今後も地震の復興支援など困難な状況が続くと思われますが、お体に気をつけて、お仕事を全うされることをお祈りしています。

    14. つむぎさん、hiroさん、お気遣いありがとうございます。
      体に気をつけてできることをやっていきたいと思います。ありがとうございます。

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